香りの比翼 Ωの香水

鳩愛

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貴方のダンスが見てみたい27

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波止場は近年まれにみるほどの大しけに襲われていた。漁師の男たちも、商店街の男たちも、そしてついてくると言ってきかなかったパン屋のミリヤ婆さんもみな、貝殻亭から外を眺めてこの突然の荒天に唖然としていた。

「この時化の中、皆に危険を冒させることはできない。俺一人で行く」

ラグは自分で買ったばかりの船を出して島まで渡る気でいる。日頃半刻もあればつくような距離だが、ラグの個人用の小さい船でなれぬ運転ではこの波では困難が付きまとうだろう。
ミリヤが小さな体を男たちの間から無理やり通って前に出ると、ラグの背中と隣に立つ壮年の漁師の元締めの背中をぱーんと張り倒した。

「こりゃあれだ。サレヘが焼かれて沢山の血が海に流れたとき以来だね。あの時も急に大嵐が起こって、砲撃はされたが上陸は防がれた。その間に味方がかけつけたってね。ソフィアリ様はやっぱり、海の女神の加護をもたれる方なのかもしれんね。ならばこんな時化でも島には渡れる。きっとこの街からソフィアリ様を連れ出されないように女神様が嵐を起こしているんだろう。きっとお前たちも加護を受けられる。絶対につける。いいかい、ゼルベ。船をだすんだ」

「いわれなくても俺は行くぜ」

島一番の漁師でもある剛腕のゼルベは力こぶしを見せつけながら、息子や弟子三人の名前を呼んで呼び寄せた。彼は一番早く動く船も持っているし、操縦技術も随一だ。ラグは深い緑の目に金色の光をまとわせたまま、深く首を垂れた。

「すまない」

「何言ってるんだよ。ソフィアリ様は俺たちみんなの領主様じゃないか。ラグの番だが、俺たちの希望だ。それに明日は海の女神様役をする、大切なお方だろ? 祭礼がなきゃ祭りがはじまらんよ」

皆頷き、漁師の中でも腕っぷしの強い男たち、力自慢のリノも含めてラグを入れると6人で船に乗り込んだ。敵の人数は仲間がいなければ3人、この時点で頭数では勝っているが、腕に覚えがあっても素人、家族の待つ大切な身にとにかく怪我をさせたくないラグだ。腰に捕縛用の縄と太く切れ味の良い愛用の短刀を下げ、相手を倒すことを厭わぬ覚悟を決めている。

「みな、無茶はしないでくれ。敵の相手は全部俺に任せてくれて大丈夫だ」

油紙に信号弾を包んでそれぞれが持ったが、この嵐の中音や光がうまく聞こえるかはわからない。

(音…… ソフィアリはベルをもっているだろうか)

どこまで聞き取れるかわからないが、上陸したら獣性を前面に出してソフィアリの行方を追わねばならない。

「そんなに大きな島ではない。すぐ手前に上陸したら、波が強いならば歩いたほうが早いかもしれん。万が一に備えて、二人は反対側の入り江にも船で回り込むようにしよう」

ミリヤ婆さんが自信たっぷりに言った通り、不思議なことに、船は波に先導されるようにすごい勢いで島に向かって引き寄せられていった。
しかも近づくほどに風雨は弱まり、雲の隙間から月の光が差し込んできたのだ。

漁師たちは隣島の海岸線を熟知しているため、波の動きを読みながらゼルベが一番寄せやすい船着き場に船を寄せたがまだ風が強く桟橋にぴたりとつけることは流石にできない。ラグは常人では臆して跳べない距離をものともせずに桟橋のはるか遠くまで跳躍し、船を飛び降りて後ろも見ず獣のように駆け出した。
船先が一番寄った瞬間を見極め、リノたちが後に続く。リノは一番年下のキャスに指示を出し、海岸との境にある物見やぐらを指さした。

「俺はラグを追いかけるから、キャスは半鐘ならして島の人を呼び寄せて」

雨が降り家に閉じこもっているはずの島の人間を警鐘をならして外に出させ、人目につきやすくするのだ。すべての島の人間がグルだとは思わない。この島では山側で農家をする者たちの方が人数では優勢なのだ。特にリノはパンで使うオリーブを直接買い付けたりと、友人も多い。人手を増やしてソフィアリの行方を探させた方がよいだろうと考えてのことだった。

ラグが向かうのは反対側にある、キドゥの前の領主一族がもつ漁業者の船着き場だ。海からはゼルベが、陸からはラグが出向いて挟み撃ちの予定だった。

しかしラグの耳にベルの音が別の方向から届いた。

(漁場近くの船着き場でない方からベルが聞こえる)

空耳かとも思ったが、訓練を受けあの音が聞こえるようになった身としては聞き間違うはずはないと考え、予定よりはずっと北西寄りに進路を変える。

島は山を渡すようにある十字の大きな道以外はそれそれが畑に向かうか点々とある家々に続く小さな道ばかり。ラグはベルの音を辿るために道なき道を一直線に進んでいった。
途中小さな崖や、海にそそぐ沢があったりと足場も悪いが構ってはいられない。
月が出ている間はラグの獣化した瞳には夜道が昼間と同じようによく見える。

ベルの音はたまに途切れながらもどんどん大きくなってきた。
声に出して名前を呼んでやりたい気がしたが、近くに敵がいた場合敵襲を知らせるようなものだ。
できる限り近づいて、人数などを把握してから動きたい。ソフィアリに傷一つ負わせたくないのだ。

(どうしていつも、大切なものは懐に入れても入れても、零れ落ちていくんだ)

今日の明け方寝室に眠るソフィアリの様子を見に農園の屋敷に帰った。
ソフィアリと約束をしていたというのもあるが昨日泣かせてしまったソフィアリに会いたかったのはむしろ自分の方だったのかもしれない。
眠っているのに少し寂し気に見えた彼が広い寝台の中、ラグの場所を開けるように隅に丸まって眠っていた。
寂しそうに見えたのはラグ自身の心を投影していただけかもしれないが、抱きかかえて胸にしまうようにしたら丸まった身体が伸び伸びとして安らいだ顔つきになった。
それだけでまた愛おしさがあふれ充足感に満たされた。また今日も生きていけると思った。

いつでも彼の心が思うまま、自由に安らかに生きさせてあげたい最愛の番。
彼を奪うものがあれば、例えそれが神であっても躊躇せず滅ぼしに行くだろう。

戦争で銃火器による負傷をした者の苦しみをよく知るラグは、ソフィアリのあの美貌を焼き、一生涯後遺症に苦しめようとしたものたちのことなど、決して許すわけにはいかなかった。

(俺の番を奪おうとしたこと、俺たちの街を汚そうとしたこと。死ぬ方がましな目に合わせて生まれてきたことを後悔させてやる)

ラグの瞳は完全に金色に変じ、激しい怒りに全身の血が煮え立つようだった。
ひと際大きくベルの音が聞こえたのは、その時だった。
しかも音がかなりのスピードで移動していた。その速度はソフィアリが走るものよりもやや早く感じる。

「ソフィアリ!」

交戦覚悟でラグは一帯に響き割るほど、青銅の声を張り上げた。雨は上がり、しかしまた風が大きく吹きあがり、木々の梢とラグの黒髪をざわりと大きく揺らす。

「ラグさん!」

暗い木立の間から声が聞こえ、すごい勢いで飛び出してきたのは愛しい番ではなかった。
代わりに胸からあのベルを下げた恋敵がシャツが身体に張り付き砂だらけの顔でラグの前に現れたのだった。

「無事だったんだな。ソフィアリはどこだ?」
ブラントはラグの目の前にベルを掲げるようにしながら早口で本人なりに知りうる情報を話し始めた。
「俺にこれを渡して、逃がしてくれました。助けを呼ぼうと思って走り回ってたんですが。会えてよかったです。意識を失っていた時間が長くてよくわからないのですが、男の人数は3人、もう一人島の男が手引きをしているようです」

どうしてお前だけ逃げてきたのかと喉元まで出かかったが、ソフィアリのことだから彼を逃がすことを優先したに違いないと考え直す。ソフィアリはそういう男だ。

「狙いは俺だと言っていました。また船で移動させられる前にお前は逃げろと言われました。もっと大きな船を探しに行ったと言っていたので、小さな船着き場から漁港に移動したんだと思います」

「わかった。君は南西に向けて走れば仲間の誰かが来るだろう。合流して保護してもらえ」
「いえ、俺もソフィアリを助けに行かせてください。お願いします」

ラグの目の色が変化していることに気が付いたブラントは本能的な恐れを男から感じていた。アルファ同士はつねに互いの力関係を図るところがある。やはり通常は穏やかで全くそんなそぶりを見せないが、ただならぬ覇気を持つ今まであった中で一番強いアルファだとぞくぞくする。しかしソフィアリを助けるためには自分も彼についていくしかない。

ラグは獣が牙をむき出しにするような恐ろし気な笑みを浮かべると振り向きながら言い放った。

「ついてこられるならば、ついてこい」

足の速さだけはトマスにも負けない自信のあったブラントはその言葉にうなずく暇もなく、小山の様に大きな黒づくめの背中を見失わないように目を凝らしながら走り出した。
































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