香りの献身 Ωの香水

鳩愛

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再会編

尊い君1

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 中央に来たかったのは再び先生に会いたかったからだ。そしてその傍に胸を張っていられるような自分になりたかったからだ。

(それを先生にこんなにあっさり否定されると思わなかった……)

 思わず涙が滲みかけて、ヴィオは意地でそれをこらえた。しかし同時にずっと中央で暮らしてきた、立派な医師であるセラフィンが言うことを否定できる材料がまるで自分の中にないことにヴィオは絶望していた。

(甘かった。僕は心のどこかで自分はオメガじゃないだろうって高をくくってた。だからオメガだった時のことを、真剣に考えてなかったんだ。中央に出てきさえすればなんとかできるって思い込んでた。でも……)

 ここで諦めたら何もかも終わってしまう。里に戻ったらもうカイと番うまで中央に来ることすらできなくなるかもしれない。ヴィオは勇気を出して大好きで尊敬しているセラフィンにあえて盾突くことにしたのだ。

「お、お言葉ですが。先生。何事もやってみないとわからない。レイ先生もアン先生も、いつもそういって励ましてくれました。だから僕はやってみて、どうしてもだめだったらその時はまた別の方法を考える。じゃないと諦めがつかない。勉強だって最初はまるで分らなかったけど、やってみたらわかったんだ。先生だってあの時言ったじゃないか。どこにだって行ける、会いたい人に会える。だから僕はここに来たんだ。それを止める権利には先生にだって、……ないですっ」

 最後の方は震え声になってしまった。昨日から迷惑をかけっぱなしなのに、優しくしてくれて諭してくれている先生に、何という言い草なのだと我ながら自分のことが嫌になる。それでもあきらめたくなかった。

 そもそも先生の傍にいたいからなど不純な動機と言われるかもしれないが、こうして傍に来てみたらセラフィンと離れがたい気持ちがみるみる湧いてきて狂おしいほどだ。

 あの日車を追いかけて走った時の苦しかった気持ちが押し寄せてきて、ヴィオの目からまたこらえていた涙がぽろっと零れ落ちてしまった。

 その涙を見て、セラフィンもまたぐっと詰まってしまう。
 あの日バックミラー越しに見た泣きながらセラフィンを追いかけてくる幼いヴィオの姿と交錯してしまって、胸を引き絞られるような切ない気持ちが、心にさざ波というには強すぎる波を巻き起こした。

 やっと出会えたずっと遠くから見守ってきた大切なヴィオ。
 手紙以外の様子も『ジブリール様』伝いに聞き、陰ながら彼を支援をしてきた。頑張り屋で勉強家の彼が苦学して高等教育学校の卒業資格を得ていたことも知っている。そしてセラフィンと同じ医学を志してくれたことをこうして知り得て、勿論本当は嬉しい気持ちの方が勝っている。彼を悲しまるのは本意ではないのだ。
 ヴィオがオメガであるとは知らなかったとはいえ、セラフィンが幼かったヴィオに里を飛び出して生きていくことを、結果的にけしかけその手助けをしていたも同然だった。そのあたりの責任は取らなければならない。

(結局はヴィオが中央で暮らすことのリスクを身をもって実感するほかないのかもしれない)

 そのためには中央ではかつてよりは減ったとはいえ、依然完全にはなくならない、オメガに対するおぞましい暴力暴行事件の数々や差別的な扱いを彼に語らねばならない。

 自身もかつてはアルファとしてオメガをないがしろにしようとした過去があるセラフィンだけに、支配的かつ差別的にオメガを扱う方の暗い気持ちにも精通しているといえる。セラフィンを慕ってくれる、この輝くばかりに清らかな少年に向かって、朝日眩しいダイニングで意地悪く脅かすのは非常に気が重たい作業だった。
 いうことを頭の中でまとめ、口を開きかけたその時、ヴィオが先に涙声で懇願してきた。

「先生、お願い。まだ先生と会えたばかりだよ。すぐにお別れしたくない」

 肩を震わせ、覗き込むようにセラフィンを上目づかいにじっと見つめてくる。潤んだ大きなヴィオの瞳は本当に綺麗で、まっすぐな気持ちがセラフィンにありありと伝わってくる。
 駆け引きもてらいもない、ただひたすらセラフィンを慕っている好意だけが溢れている。それがあまりにも純真可憐で、セラフィンの胸を強く打った。

 後ろ暗いことばかりのセラフィンのつまらない人生の中で、ヴィオは唯一行った善行の化身のようにも見えてくるのだ。

 再び言葉に詰まり、どうしたものかと思案するセラフィンの中にはさらなる葛藤が生まれ始めていた。

(ヴィオが言う通り昨日急に再会したばかりだ。多分ヴィオは里に帰ったらもう俺と会うことは叶わないだろう)

 里に戻る決心がついたならば、自ら送っていってあげようとはやる気持ちと、どうせいつか里に返すのならばしばらくの間だけでも手元に置いて、セラフィンがしっかり面倒を見てやればよいのではないかという気持ち。

 彼を早く手放さなければならないという理性と、すぐには手放したくない本能の狭間でセラフィンは珍しく揺れていた。

(それにここで俺が大反対をして、やけを起こしたヴィオがここを飛び出した場合、きっともっと面倒なことになる)

 そのあたりの線を考えるとこめかみかズキズキ痛むような大問題に思えた。
 昨日のあの幼気なほど無防備な様子と、それに反比例するほどの危うく清らかな色香、首輪もつけていない美味しそうな香りのするオメガの少年をみすみす危険な野に放つなんてそんな恐ろしいことができるはずもない。

 人一倍賢いはずのセラフィンだが、もはや自分が完全に冷静さを欠き、ヴィオの言動に振り回されつつあることにはまるで気が付けないでいた。

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