令和に活きる就活終活のヒント

令和宗活(のりかつのりかつ)

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《6》大衆割烹しながわ

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 夜は、「大衆割烹しながわ」っていう名前の居酒屋で、牟礼部長の歓迎会になっていた。俺は、日本玩具に掲載誌を届けるように頼まれたから、30分遅れて店に入った。掲載誌っていうのは、日本玩具が広告代理店のスーパーエージェンシーを通して広告掲載を申し込んでくれた雑誌のことで、『たのしい保育園』、『小学一年生』、それと『ディズニープリンセス ドリーム』、こんな雑誌を各10部ずつ、スーパーエージェンシーのロゴマークが刷られた、結婚式の引出物を入れるみたいな特大のペーパーバッグに詰めて、日本玩具ホールディングス宣伝部の学生アルバイトのチャラ男に届ける。これも、俺の重要な仕事、になりつつあるなあ。
「遅くなってすみません」
 大衆割烹しながわの座敷に上がって末席に座ると、新川さんがビールを注いでくれた。
 今夜の主役、牟礼歌音嬢は、チョコレート色のワンピースに着替えていた。ホテルに寄ってから来たんだろう。今度はエメラルドの指輪とエメラルドいっぱいのブローチを煌かせている。破格に給料いいんだろうな、東証1部上場の大手広告代理店の部長ともなると。
「尾崎さん!」
「は、はい」
「私、根に持ってhystericになるような女やないですから。もう、忘れて下さいね」
 帰国子女は、巻き舌でヒステリックと発音した。忘れて下さいって、湯呑茶碗のことだろうな。
「いえ、こちらこそ、すみませんでした」
「そやから、すんませんて謝んのはもう……」
「凄いですよね。高そう」機転が利く新川さんが、エメラルドいっぱいのブローチに話題を移してくれた。
「コムやけど。イミテーションよ」
「あ、そうなんですか」素っ気なく新川さんが返した。
「ジュエリーなんか、女優にとっては小道具でしょ。魅力的な女が着けると、本物以上の輝きを放つもんなんよ」
 そうだよな。これくらいの女でないと、29歳で東証1部上場の大手広告代理店の部長にはなれないよな。まあ、部長っていっても、最下位の管理職なんだけどね。広告代理店には課長職がないみたいだから。他の業界の会社と比べると、第35営業局の局長が部長クラス、第35営業局第3営業部の部長が課長クラスって感じかな。プレテの時、クライアント側は役員、場合によっては社長が出てきたりするから、広告代理店では、一流企業の社長にお会いするのに相応しい肩書を社員に付与しているらしい。だから「副部長」なんて名刺に刷られてても、管理職手当が付かない、コピーも自分で取ってる平社員だったりするんだよね。新入社員の新川さんも、来年4月には自動的に「副部長代理補佐」になるそうだ。名刺にそう刷られるだけらしいけど。俺の名刺の肩書は「イベント担当」のままなんだろうな、ていうより、東証1部上場の大手広告代理店にいられるかどうかも、分からない。来年の3月10日で、一旦契約が切れる。
「尾崎さん。尾崎さん」
 枝豆、冷やしトマト、チーズオムレツ、太り難い料理を選んで摘んでると、後ろから囁かれた。部長の湯呑茶碗を落として割った清掃員のおばちゃんだった。このおばちゃんは、この居酒屋、みたいな「大衆割烹しながわ」の従業員で、翌朝4時までここで働いてから、そのままスーパーエージェンシーの清掃の仕事をしてるんだそうだ。
「これ、ウチにあった奴なんですけど」
 「高級品」と筆書きされた木箱を持っていて、中から、有田焼? て感じの湯呑茶碗を取り出した。赤と白の牡丹みたいな花、扇、牛車の車輪なんかが描かれてる、んじゃなくて、多分、印刷だ。
「あ、ああ。いいです、いいです。大丈夫でしたから」上機嫌の牟礼部長を気にしながら、小声で返した。
「でも、新しい部長さん、怒ってなかったですか。部長さんから苦情が入ると、スーパーエージェンシーさんのお掃除の仕事、辞めさせられちゃうかも……」
 おばちゃんは、出先表に新しく貼られた「牟礼部長」をオヤジだと思い込んじゃってるようだ。
「大丈夫ですから。じゃあ、後にして下さい。これ終わった後」
 とりあえず、おばちゃんは納得したのだが、チョコレート色のワンピの女の子が、こっちを見ていた!
「尾崎さん、どういうこと?」顔の下半分だけで微笑んで、ストレートに詰問してきた。
「いや、あの」と言葉に詰まりながら、おばちゃんに仕事に戻るようにと肩を押したが、おばちゃんはまだ、新しい部長が来店してることに気付いていないようだ。
「新川君。なんでこの店選んだん?」
「なんでって。ここ、ウチの部でよく使うんですよ。安いし」
「安いし? 私の歓迎会、安う上げよと思たわけやね」と、ヒステリックに言った。
 おばちゃんは俺を見ている。
「新しい部長です」
 おばちゃんは口を丸く開けて、フリーズしてしまう。
 新しい部長は立ち上がり、俺をキッとにらんで、早足で店を出てしまった。
「牟礼さん!」俺の声は届かなかったようだ。
 おばちゃんも追いかけるように出て行った。おばちゃんの名前は知らないから、呼び止められなかった。失礼。
 俺も追いかけた。フウー、気に障ったのは分かりますけど、俺よりずっと大人なんじゃないんですか、教養的にも精神的にも。東証1部上場企業の部長なんだろ、あんたは。あー、それとも、ずっと大目に見てもらえてきたのかな、帰国子女だから仕方ないよって。あるいは、■■自動車だか▲▲▲▲化粧品だか●●●ビールだかの、広告宣伝担当の役員の娘だから仕方ないよ、とかね。
 短い橋の上、木箱を持ったおばちゃんが、牟礼部長に追いついた。
「部長さん、すみません。申し訳ありませんでした。お許し下さい」木箱を差し出し、頭を下げている。
「そやから、こんなもん要りませんて」
 部長が箱を押し戻すと、地面に落ち、湯呑茶碗が出て、勢いよく転がって……、欄干の下を抜けて……、川に沈んでしまった。
 暗くてよくは見えないんだけど、おばちゃんの失望の表情、牟礼歌音さんの後悔の表情が窺える。2人共、そして俺も、静止したまま、動けなかった。俺は何をしたくて、追いかけて来たんだろう。
 新川さんがプライベートで使ってるバーを教えてもらって、歌音部長と2人、そこに行った。カウンターの、ずっと座ってたいような木の椅子に体を預けて、歌音さんがブランデーの水割りと「乾葡萄(ほしぶどう)」を注文すると、房のままドライフルーツになったブドウが出てきた。そういう店だ。俺はビールの小瓶と「スモークトチーズ」を頼んだ。
「アホ。死んでまえ。ほんまに傲慢で嫌な女」
「……」
「自分自身に言うてるんです」
「明日また、飲みに行ってあげればいいんじゃないですか、あの店に。あの人多分、明日もいるだろうし」
「そやろか……。尾崎さん。告白させてもらっていいですか」
「!」
「あの湯呑の話、聞いてもらえます?」 
「あ、ああ。ええ。よければ」
「私の母は、ずっとヨーロッパで活動してたピアニストやったんですけど。父親はいないんです。私が生まれた時から……。生まれる前から、になるんかな」
「お母さんが、未婚の母だったって……」
 歌音さんは、コックリ、と頷いた。
「母は、日本の物って、あんまり好きやなかったんですけど。いっつも、あの湯呑で紅茶飲んでたんです。あんな大きな湯呑で」
「ああ、そうですよね、大きかった」
「母が亡くなってから、母のお友達に聞いたんですけど。あの湯呑、私の父親にあたる人の形見やったんです。岡山の倉敷で、旅館経営してた日本人でした、私のお父さん。一度も会えませんでしたけど」
「お母さんはいつ?」
「もう6年前です。今、オーストリアに眠ってます」
「牟礼部長……」
「今は部長は外して下さい。牟礼さんか、歌音ちゃんでお願いできます? どうせ、ちょっと酔ってますし。2人共」
「じゃあ、牟礼さん? 私も告白しますよ」
「してして、告白」
「……、私の両親も、離婚してんです。私が中1ん時」
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