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《7》味の花火
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俺の父親は、計量機器メーカー、ハカリの会社に勤めてた。窓際族だったのかな。毎日毎日6時半には社宅に帰ってきた。酒飲まない人だったしね。
だから、俺んちの夕飯は6時半に決まってたんだけど、家族の会話なんて、なかった気がする。俺と妹は、さっさと食って早くテレビが見られればよかったんだけど。そうだ。たまーに、父親が、
「ちょっと塩足りなくないか」とか母ちゃんに聞くと、
「そうですか。書いてある通り入れてますけど。ちゃんと使いましたよ、計量スプーン」
「そう。ならいい」
っていうような、夫婦の会話があったかな。
「書いてある通り」って母ちゃんが言ったのは、『主婦の友』あるいは『婦人倶楽部』の付録の料理本に書いてある通りっていう意味なんだけど。
毎月、第2日曜日は、家族4人で埼玉のおばあちゃんちに行くって、ほぼ決まってたんだ。そん時、土産に『婦人倶楽部』を買って持っていくって決まってたんだよね。『主婦の友』は伯父さん家族が土産にしてたからなんだけど。で、おばあちゃんが作ってくれた古い付録に載ってた料理を御馳走になって、その付録を借りて帰る。翌月の第2日曜日までには、1回は、その御馳走になった料理を母ちゃんが付録を見ながら作る、て決まってたんだ。
小5ん時、日当たりが悪い中古の「マイホーム」に引越したんだけど、その決まりは、修正されながらも、続いてた。父親の帰宅時間が7時20分頃になったから、夕飯もほぼ7時20分過ぎからになって、1週間か10日に1度は、母ちゃんが、おばあちゃんの形見の『婦人倶楽部』か『主婦の友』の本誌か付録を見ながら、作ってた。セメント瓦の木造2階建て、玄関横に狭い浴室を増築してあって、トイレは汲み取り式だったマイホームにも、ちゃんと応接間があった。その応接間の電子オルガンの上、横に置いた木目柄の3段ボックスに、『婦人倶楽部』、『主婦の友』、それから付録を分けて、古い順に並べてあった。何度か、婦人倶楽部の本誌の間に付録が紛れ込んでたり、左から古い順に並んでなかったりしたのを、父親が、正しく、直したりしてた。母ちゃんが買ってきた新しい料理本が交じってたりすると、3段ボックスの上に置き直したりもしてたな、物置状態の狭苦しい応接間で。照明は一応シャンデリアだったんだけど、「省エネ」ってことで、4つの電球のうち、2つのソケットを緩めてあった。台所の母ちゃんは、もう何十回も作ってんだから覚えてんじゃねえのと思う料理でも、古雑誌を見ながら、神経質に量りながら、作ってたな。
で、中1の夏休み、父親と母ちゃんは離婚した。そん時、父親は新潟に単身赴任してたから、急に母子家庭になったって感じじゃなかったけどね。単身赴任になったのは、マイホームが売るに売れず、借りてももらえなくて、妻と子供で住み続けることになったからだ。売れなかったのは、再建築不可って分かる? 奥まった敷地に建った古い建物に多いんだけど、道路と2m以上接してないから、建て替えようとしても、建築許可が下りない物件。再建築不可のボロ家だったから、低所得だった父親でも買えたんだろうな。勿論、ローンでだろうけど。
安い家賃でも借り手が付かなかったのは、日当たりが悪いボロ家の周りに、汚くて凶暴な野良猫がいっぱい住み着いてたから。引越して来た時、「なめんなよ」ってハチマキして、ヤンキーの学ランとか暴走族の特攻服なんかを着せられた猫の下敷を使ってたんだけど、友達にガンダムの下敷と交換してもらったのを覚えてる。猫アレルギーになってたから。今は大丈夫だけどね。血統書付きの猫なんかじゃなくて、茶色いトラ猫とか三毛猫なんかを、それこそ、猫可愛がりしてるような人に、好感を覚える。
で、雑種の猫を蹴飛ばして靴の汚れを気にしてた父親が、離婚確定を息子と娘に告げて、日帰りで新潟に戻った夜、妹は、泣きわめいてたな。
「自由研究、手伝ってくれるって約束したのに。こんな夏休みの思い出、作文になんか、できないよ」とかなんとか言ってた気がする。
その夜、野良猫どもも、いつも以上にうるさかった。母ちゃんは、
「ひと花咲かせてみたかったんじゃないの」とだけ、しれっと言った。
離婚の原因は父親の浮気で、相手は新潟の五十嵐水産て会社の女社長だった。さきいか、いかフライ、そういう酒のつまみを造ってる会社だった。
「ひと花」ね。母ちゃんは、「もうひと花」とは言ってなかった。新潟転勤の辞令が出た時、父親の新しい役職は、新潟営業所の副所長か所長代理か、そんな役職だったんだよね。母ちゃんが、
「パパのサラリーマン生活は、新潟営業所・所長、で終わっちゃうのかな」みたいなことを言ってたのを覚えてる。そうそう、その頃はまだ、パパ、ママって呼んでたんだ。それと、離婚した時、父親はもう53歳、母ちゃんは46歳だったんだよね。俺、父親が40歳の時の子供だったから。
でも、父親は所長にはなれなかった。所長が異動になった時、新しい所長が赴任してきたらしいんだ。父親より10歳以上若い所長が。
そんな境遇だったから、何がなんでもひと花咲かせてやるぞ、とか思っちゃったのかな。で、しっかり咲かせたけどね。次の年、俺が中2の夏。『味の花火』っていう商品をヒットさせたんだ。派手な打ち上げ花火のイラストのパッケージで、その袋の裏側、「五十嵐水産」の下に「五十嵐昭五」って印刷されてた。赤の他人なら、昭和5年に生まれた男が一代で築いた会社なのかなと思うかもしれないけど、俺は、いかにも婿養子の名前だなと思った。だって、五で始まって五で終わる名前なんて付けないっしょ、て思ったから、そん時は。
『味の花火』の中味は、さきいかとか、柿ピーとか、よく覚えてないけど、そうそう、あれ、ツナを甘辛く味付けしてコンソメブイヨンみたいに固めて、金か銀のシートでキャンディみたいに包んだ、あれが入ってた。初めて食ったから覚えてる。
隣の牟礼さんは、「新川伸次朗」さんのボトルで水割りを作って自分で飲んだり、「コンソメブイヨンみたいな魚系のおつまみあります?」ってバーテンダーに聞いたり、「イガラシ違て、イカラシですよ、絶対。新潟では濁れへんて聞いたことありますもん」とか、目から鱗ではあったけど、俺にはもうどっちでもいいことを力説して、
「そんで、いつ始まるんですか。告白」と聞いてきた。
つまんなかったのかな、俺の告白。それなら、とっておきの話をしてやろうか。崖っぷち30代の秘密。俺が「尾崎」博昭になった時、それから、父親が死んだって聞いた時、一瞬は悲しいと感じたかもしんないけど、直ぐに清々しい気持ちで前向きにその事実を受け容れられた理由、それは、告白に値することかなと思うんだけど……。いや、この人には言えない、どんなにいい人でも。言わない方がいいんだ。俺が6か月毎更新の契約社員で、その更新の必要性を判断するのが、この牟礼歌音部長なんだから。
新川さんの話を思い出す。新川さん達が受けた新卒採用の役員面接で、1人だけ落とされたらしい。その前に健康診断があって、落とされた奴の肩に、ワンポイントのタトゥーがあったそうなんだ。「タトゥー」って検査項目はないから、特記事項の欄に「イレズミ有」って書かれたんじゃないかって、新川さんの同期の間で話題になったんだって。俺? 俺は入れ墨なんかしてないよ。昭和45年、大阪万博の会期中に生まれた、39歳のオッサンだから。「オッサン」て呼ばれたとしても、もう、そんなに嫌でもないな。だって、結構オッサンだしな、中年のオッサン。人生を折り返すんだ、何も成さないままに。
だから、俺んちの夕飯は6時半に決まってたんだけど、家族の会話なんて、なかった気がする。俺と妹は、さっさと食って早くテレビが見られればよかったんだけど。そうだ。たまーに、父親が、
「ちょっと塩足りなくないか」とか母ちゃんに聞くと、
「そうですか。書いてある通り入れてますけど。ちゃんと使いましたよ、計量スプーン」
「そう。ならいい」
っていうような、夫婦の会話があったかな。
「書いてある通り」って母ちゃんが言ったのは、『主婦の友』あるいは『婦人倶楽部』の付録の料理本に書いてある通りっていう意味なんだけど。
毎月、第2日曜日は、家族4人で埼玉のおばあちゃんちに行くって、ほぼ決まってたんだ。そん時、土産に『婦人倶楽部』を買って持っていくって決まってたんだよね。『主婦の友』は伯父さん家族が土産にしてたからなんだけど。で、おばあちゃんが作ってくれた古い付録に載ってた料理を御馳走になって、その付録を借りて帰る。翌月の第2日曜日までには、1回は、その御馳走になった料理を母ちゃんが付録を見ながら作る、て決まってたんだ。
小5ん時、日当たりが悪い中古の「マイホーム」に引越したんだけど、その決まりは、修正されながらも、続いてた。父親の帰宅時間が7時20分頃になったから、夕飯もほぼ7時20分過ぎからになって、1週間か10日に1度は、母ちゃんが、おばあちゃんの形見の『婦人倶楽部』か『主婦の友』の本誌か付録を見ながら、作ってた。セメント瓦の木造2階建て、玄関横に狭い浴室を増築してあって、トイレは汲み取り式だったマイホームにも、ちゃんと応接間があった。その応接間の電子オルガンの上、横に置いた木目柄の3段ボックスに、『婦人倶楽部』、『主婦の友』、それから付録を分けて、古い順に並べてあった。何度か、婦人倶楽部の本誌の間に付録が紛れ込んでたり、左から古い順に並んでなかったりしたのを、父親が、正しく、直したりしてた。母ちゃんが買ってきた新しい料理本が交じってたりすると、3段ボックスの上に置き直したりもしてたな、物置状態の狭苦しい応接間で。照明は一応シャンデリアだったんだけど、「省エネ」ってことで、4つの電球のうち、2つのソケットを緩めてあった。台所の母ちゃんは、もう何十回も作ってんだから覚えてんじゃねえのと思う料理でも、古雑誌を見ながら、神経質に量りながら、作ってたな。
で、中1の夏休み、父親と母ちゃんは離婚した。そん時、父親は新潟に単身赴任してたから、急に母子家庭になったって感じじゃなかったけどね。単身赴任になったのは、マイホームが売るに売れず、借りてももらえなくて、妻と子供で住み続けることになったからだ。売れなかったのは、再建築不可って分かる? 奥まった敷地に建った古い建物に多いんだけど、道路と2m以上接してないから、建て替えようとしても、建築許可が下りない物件。再建築不可のボロ家だったから、低所得だった父親でも買えたんだろうな。勿論、ローンでだろうけど。
安い家賃でも借り手が付かなかったのは、日当たりが悪いボロ家の周りに、汚くて凶暴な野良猫がいっぱい住み着いてたから。引越して来た時、「なめんなよ」ってハチマキして、ヤンキーの学ランとか暴走族の特攻服なんかを着せられた猫の下敷を使ってたんだけど、友達にガンダムの下敷と交換してもらったのを覚えてる。猫アレルギーになってたから。今は大丈夫だけどね。血統書付きの猫なんかじゃなくて、茶色いトラ猫とか三毛猫なんかを、それこそ、猫可愛がりしてるような人に、好感を覚える。
で、雑種の猫を蹴飛ばして靴の汚れを気にしてた父親が、離婚確定を息子と娘に告げて、日帰りで新潟に戻った夜、妹は、泣きわめいてたな。
「自由研究、手伝ってくれるって約束したのに。こんな夏休みの思い出、作文になんか、できないよ」とかなんとか言ってた気がする。
その夜、野良猫どもも、いつも以上にうるさかった。母ちゃんは、
「ひと花咲かせてみたかったんじゃないの」とだけ、しれっと言った。
離婚の原因は父親の浮気で、相手は新潟の五十嵐水産て会社の女社長だった。さきいか、いかフライ、そういう酒のつまみを造ってる会社だった。
「ひと花」ね。母ちゃんは、「もうひと花」とは言ってなかった。新潟転勤の辞令が出た時、父親の新しい役職は、新潟営業所の副所長か所長代理か、そんな役職だったんだよね。母ちゃんが、
「パパのサラリーマン生活は、新潟営業所・所長、で終わっちゃうのかな」みたいなことを言ってたのを覚えてる。そうそう、その頃はまだ、パパ、ママって呼んでたんだ。それと、離婚した時、父親はもう53歳、母ちゃんは46歳だったんだよね。俺、父親が40歳の時の子供だったから。
でも、父親は所長にはなれなかった。所長が異動になった時、新しい所長が赴任してきたらしいんだ。父親より10歳以上若い所長が。
そんな境遇だったから、何がなんでもひと花咲かせてやるぞ、とか思っちゃったのかな。で、しっかり咲かせたけどね。次の年、俺が中2の夏。『味の花火』っていう商品をヒットさせたんだ。派手な打ち上げ花火のイラストのパッケージで、その袋の裏側、「五十嵐水産」の下に「五十嵐昭五」って印刷されてた。赤の他人なら、昭和5年に生まれた男が一代で築いた会社なのかなと思うかもしれないけど、俺は、いかにも婿養子の名前だなと思った。だって、五で始まって五で終わる名前なんて付けないっしょ、て思ったから、そん時は。
『味の花火』の中味は、さきいかとか、柿ピーとか、よく覚えてないけど、そうそう、あれ、ツナを甘辛く味付けしてコンソメブイヨンみたいに固めて、金か銀のシートでキャンディみたいに包んだ、あれが入ってた。初めて食ったから覚えてる。
隣の牟礼さんは、「新川伸次朗」さんのボトルで水割りを作って自分で飲んだり、「コンソメブイヨンみたいな魚系のおつまみあります?」ってバーテンダーに聞いたり、「イガラシ違て、イカラシですよ、絶対。新潟では濁れへんて聞いたことありますもん」とか、目から鱗ではあったけど、俺にはもうどっちでもいいことを力説して、
「そんで、いつ始まるんですか。告白」と聞いてきた。
つまんなかったのかな、俺の告白。それなら、とっておきの話をしてやろうか。崖っぷち30代の秘密。俺が「尾崎」博昭になった時、それから、父親が死んだって聞いた時、一瞬は悲しいと感じたかもしんないけど、直ぐに清々しい気持ちで前向きにその事実を受け容れられた理由、それは、告白に値することかなと思うんだけど……。いや、この人には言えない、どんなにいい人でも。言わない方がいいんだ。俺が6か月毎更新の契約社員で、その更新の必要性を判断するのが、この牟礼歌音部長なんだから。
新川さんの話を思い出す。新川さん達が受けた新卒採用の役員面接で、1人だけ落とされたらしい。その前に健康診断があって、落とされた奴の肩に、ワンポイントのタトゥーがあったそうなんだ。「タトゥー」って検査項目はないから、特記事項の欄に「イレズミ有」って書かれたんじゃないかって、新川さんの同期の間で話題になったんだって。俺? 俺は入れ墨なんかしてないよ。昭和45年、大阪万博の会期中に生まれた、39歳のオッサンだから。「オッサン」て呼ばれたとしても、もう、そんなに嫌でもないな。だって、結構オッサンだしな、中年のオッサン。人生を折り返すんだ、何も成さないままに。
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