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《8》家族
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「どう? 慣れたか。日本で働くのは」
「まあね。もう帰国して4週間だし。オフィスに日本人がいっぱいいるってだけで、やってる仕事はインドと変わんないから」
妹から電話があって、8年振りに家族3人で飯を食うことになった。妹は、アメリカ資本のIT系企業の社員で、ずっとインドのムンバイで働いてたんだけど、その日本法人が伊豆に研究所を開設したとかで、帰国していた。とりあえず、伊豆の別荘で、母ちゃんと暮らしてる。
2階建ての小さな別荘なんだけど、だだっ広い庭から富士山が見える。庭の端の方は、もしかしたら、母ちゃんの土地じゃないんじゃないかなあって気もすんだけど。
12年前、都立大学の学食の仕事を定年退職した母ちゃんは、中古のその別荘をキャッシュで買って、ずっとそこに独りで住んでた。
実はね。今の俺は全然そうじゃないんだけど、母ちゃんが離婚してから、金に不自由した記憶がないんだよね。離婚と同時に、父親は早期退職したから、退職金も、婿養子に入ったイカラシ水産の金もあったんだろうな。慰謝料とか養育費とか、ちゃんともらえたんだと思う。再建築不可のボロ家に住んでたし、独り親の母ちゃんは「母子家庭枠」かなんかで都立大学の学食に勤めるようになってたから、高校は、俺も妹も「この高校に行きたいから行くんだよ」って近くの都立に進学したんだけど、俺がイベントの専門学校に入学した時も、妹が京都の外国語大学に進学した時も、奨学金の申請なんかはしなかった。で、再建築不可のボロ家が売れたんだよね、バブル崩壊寸前の地上げで。1年後に都立大学が八王子に移転することになってたし、専門学校に倒産された俺もイベント会社の正社員になってたし、妹も外国語大学の推薦入試に合格してたから、売却決議案は全会一致で可決された。日当たりの悪いボロ家を売った時の金で、伊豆の別荘を買った、と思うんだ。
10月の最終金曜日の夕方、百貨店のレストラン街のカレー専門店に入った。妹が「私の兄はビーフカレーを食べました」なんてインド人もいる研究所で言いたくないって言うから、「鶏の笹身とキノコのカレー」にした。
年老いた母親と30代独身の息子と娘は、生ビールで乾杯した。
「へーえ。29で部長なんだ。部下は何人?」
「俺入れて6人」
「なーんだ」
「なーんだってことないだろ。帰国子女で、英語もドイツ語もペラペラだぞ」
「うわあ、感じ悪い。研究所にもいるのよ、帰国子女のバカ女。インド人のマネージャーがよく食事に誘ってるんだけどuh-huhとdeliciousしか言えないの。delicious とか言っといて、殆ど残したりするんだよ。お兄ちゃん、そんな女、信用できる?」
「さあ、どうだろう」
「博昭、その頭……」母ちゃんが、俺の金髪を見上げて言った。俺は身長176㎝なんだけど、小せーんだよね、母ちゃんは。150㎝あるかないかぐらい。久し振りに会ったから、さらに縮んじゃったような気もする。
「若く見えるんだから、いいんじゃいないの」立てば170㎝ぐらいある妹が言った。
「そりゃ、氷川きよし君なんかがやれば可愛いけど、博昭ももう、いい歳なんだから」
「誰? その、ヒカワキヨシ君て。どこの人?」
妹は、外国語大学を中退して、イギリスに留学して、イギリスとアメリカとインドで働いてたから、氷川きよしを知らなかった。
レストラン街の下の階の大催事場では、「竜野桃吉作品展」が開催されていた。
「この後、ウチが使うんだよ。閉店と同時にこれバラしてもらって、徹夜でウチのイベントの準備」
入場無料の展示即売会だったから、3人で会場に入った。竜野桃吉は、備前焼の作家だった。
23万円の夫婦茶碗が展示されている。大きい方が、牟礼歌音部長のあの湯呑茶碗にそっくりだ! 釘付けになってしまっていると、店員が寄ってきた。
「お客様。今日は最終日ですから、バラでもお売りできますよ。大きい方がよろしいですか」
「あ、いや、いいです」と断ってると、母ちゃんと妹が来た。
「あれだったら、母ちゃん作れるから」と耳元で囁いた母ちゃんは、様々な角度から茶碗を観察してから、「OK! 設計図、頭に入ったから。出来上がったら、録音するからね、留守番電話」と、楽しそうに言った。
カルチャーセンターだか、公民館の手芸教室だかに通ってるとか言ってたから、そこで作る気なんだろうか。
「お兄ちゃんは、イベントで何するの?」下りのエスカレーターで、妹が聞いてきた。
「……、デモンストレーション、だな。最新の商品の機能とか特長とか、誰にでも分かるように説明すんだよ」
「格好いい。あたしもコンピューター相手にするんじゃなくて、華やかな仕事がしたいな。お兄ちゃんみたいに」
下の段の母ちゃんが、兄妹を見上げて、微笑んでる。
2人を駅の改札口で見送って、俺は、マックで100円コーヒーを飲みながら「竜野桃吉作品展」の撤収を待った。家族って、親子って、兄妹って、いいもんだな、いい時間だったな、なんて思いながら。
「まあね。もう帰国して4週間だし。オフィスに日本人がいっぱいいるってだけで、やってる仕事はインドと変わんないから」
妹から電話があって、8年振りに家族3人で飯を食うことになった。妹は、アメリカ資本のIT系企業の社員で、ずっとインドのムンバイで働いてたんだけど、その日本法人が伊豆に研究所を開設したとかで、帰国していた。とりあえず、伊豆の別荘で、母ちゃんと暮らしてる。
2階建ての小さな別荘なんだけど、だだっ広い庭から富士山が見える。庭の端の方は、もしかしたら、母ちゃんの土地じゃないんじゃないかなあって気もすんだけど。
12年前、都立大学の学食の仕事を定年退職した母ちゃんは、中古のその別荘をキャッシュで買って、ずっとそこに独りで住んでた。
実はね。今の俺は全然そうじゃないんだけど、母ちゃんが離婚してから、金に不自由した記憶がないんだよね。離婚と同時に、父親は早期退職したから、退職金も、婿養子に入ったイカラシ水産の金もあったんだろうな。慰謝料とか養育費とか、ちゃんともらえたんだと思う。再建築不可のボロ家に住んでたし、独り親の母ちゃんは「母子家庭枠」かなんかで都立大学の学食に勤めるようになってたから、高校は、俺も妹も「この高校に行きたいから行くんだよ」って近くの都立に進学したんだけど、俺がイベントの専門学校に入学した時も、妹が京都の外国語大学に進学した時も、奨学金の申請なんかはしなかった。で、再建築不可のボロ家が売れたんだよね、バブル崩壊寸前の地上げで。1年後に都立大学が八王子に移転することになってたし、専門学校に倒産された俺もイベント会社の正社員になってたし、妹も外国語大学の推薦入試に合格してたから、売却決議案は全会一致で可決された。日当たりの悪いボロ家を売った時の金で、伊豆の別荘を買った、と思うんだ。
10月の最終金曜日の夕方、百貨店のレストラン街のカレー専門店に入った。妹が「私の兄はビーフカレーを食べました」なんてインド人もいる研究所で言いたくないって言うから、「鶏の笹身とキノコのカレー」にした。
年老いた母親と30代独身の息子と娘は、生ビールで乾杯した。
「へーえ。29で部長なんだ。部下は何人?」
「俺入れて6人」
「なーんだ」
「なーんだってことないだろ。帰国子女で、英語もドイツ語もペラペラだぞ」
「うわあ、感じ悪い。研究所にもいるのよ、帰国子女のバカ女。インド人のマネージャーがよく食事に誘ってるんだけどuh-huhとdeliciousしか言えないの。delicious とか言っといて、殆ど残したりするんだよ。お兄ちゃん、そんな女、信用できる?」
「さあ、どうだろう」
「博昭、その頭……」母ちゃんが、俺の金髪を見上げて言った。俺は身長176㎝なんだけど、小せーんだよね、母ちゃんは。150㎝あるかないかぐらい。久し振りに会ったから、さらに縮んじゃったような気もする。
「若く見えるんだから、いいんじゃいないの」立てば170㎝ぐらいある妹が言った。
「そりゃ、氷川きよし君なんかがやれば可愛いけど、博昭ももう、いい歳なんだから」
「誰? その、ヒカワキヨシ君て。どこの人?」
妹は、外国語大学を中退して、イギリスに留学して、イギリスとアメリカとインドで働いてたから、氷川きよしを知らなかった。
レストラン街の下の階の大催事場では、「竜野桃吉作品展」が開催されていた。
「この後、ウチが使うんだよ。閉店と同時にこれバラしてもらって、徹夜でウチのイベントの準備」
入場無料の展示即売会だったから、3人で会場に入った。竜野桃吉は、備前焼の作家だった。
23万円の夫婦茶碗が展示されている。大きい方が、牟礼歌音部長のあの湯呑茶碗にそっくりだ! 釘付けになってしまっていると、店員が寄ってきた。
「お客様。今日は最終日ですから、バラでもお売りできますよ。大きい方がよろしいですか」
「あ、いや、いいです」と断ってると、母ちゃんと妹が来た。
「あれだったら、母ちゃん作れるから」と耳元で囁いた母ちゃんは、様々な角度から茶碗を観察してから、「OK! 設計図、頭に入ったから。出来上がったら、録音するからね、留守番電話」と、楽しそうに言った。
カルチャーセンターだか、公民館の手芸教室だかに通ってるとか言ってたから、そこで作る気なんだろうか。
「お兄ちゃんは、イベントで何するの?」下りのエスカレーターで、妹が聞いてきた。
「……、デモンストレーション、だな。最新の商品の機能とか特長とか、誰にでも分かるように説明すんだよ」
「格好いい。あたしもコンピューター相手にするんじゃなくて、華やかな仕事がしたいな。お兄ちゃんみたいに」
下の段の母ちゃんが、兄妹を見上げて、微笑んでる。
2人を駅の改札口で見送って、俺は、マックで100円コーヒーを飲みながら「竜野桃吉作品展」の撤収を待った。家族って、親子って、兄妹って、いいもんだな、いい時間だったな、なんて思いながら。
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