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《19》LAST
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「おみゃー、オッサン臭いがね。カツラ被ってちょう」
百貨店の開店前、ピンクの帽子は被ったものの、日本玩具名古屋支店の年輩の女係長には、金髪坊主は不評だった。帽子を使って実演したりもするからね。
開店間もなく、大催事場の「よい子のおまつり・日本玩具フェア」は、盛況モードに入った。
「このアンキー、偽者だがや」
屈んだ母親の耳元で、男の子が言った。分かり易い金髪カツラを被って知育玩具の実演をしてるアンキーを見上げて。
その近くにいた利発そうな女の子は、
「そうよね。説明してもらわなきゃ」と言って、悪者を見るような、非難する目付きで、一生懸命働いてる崖っぷち30代を見上げてやがる。
俺、もしかしたら、ちょっと子供って、かなり好きじゃないかも。
名古屋出張の後は2連休にして、そのまま函館に飛んだ。
「今積もってる雪は、直に解けるから」
根雪になるのは、今月半ば頃からなんだそうだ。
丘の上のかなり古い団地、小さい新しい仏壇が置かれた部屋で、俺は、奥さんに不義理を詫びた。失業中だったけど、弔問じゃなくて、葬式を手伝わせてもらわなきゃいけなかった。ダイエットに成功して余裕で入るようになってた昔の礼服を着て、函館に来なきゃいけなかったんだ。告別式の日の朝、俺は、スーパーエージェンシーで採用面接を受けてた。LASTが倒産して2年以上経ってたけど、初めての面接だった。履歴書と職務経歴書は何十通も作ったし送ってたんだけど。
「余所さんが無理だ出来ないって断った仕事でも、LASTはやらせてもらいますよ。LASTリゾート(最後の手段)ですから」
社長はよくこう言ってた。社名の由来も本当にそういうことなんだろうなと俺は思い込んでたんだけど、奥さんの話は違ってた。会社を立ち上げる前に、何度も転職したり事業に失敗したりしてたから、「これが最後だから、これで終わりにするから」ってことで、「有限会社LAST」に決めたんだそうだ。株式会社LASTが倒産した時、奥さんは小学校の校長先生になってたから、奥さんの定年退職を待って、去年の春、社長の出身地、函館市に越してきたんだ。
ワニ革好きの社長でさ、社長はクロコダイルって言ってたけど、セカンドバッグも名刺入れも財布も、それからベルトも、そうそう、高校入学の時に親父さんに買ってもらったんだって言ってたシチズンの腕時計のベルトも、ワニ革に付け替えてあった。昔、阿久悠と仕事してたこともあるっていうのが自慢らしくて、カラオケに行くと、『津軽海峡冬景色』か『北の宿から』か『舟唄』を社員に歌わせてたな。酷い音痴の俺は、阿久悠禁止だったんだよね。
で、会社からだと、社長のマンションと同じ方向に住んでた俺とか後輩は、よくタクシーに同乗させてもらってたんだけど、「もう1軒寄るか」って社長が言って金がない時は、決まって真夜中の社長のマンションで飲ませてもらってた。
「もう、何時だと思ってんのよ。だから、常識人になってよ、常識人に。女房にだって、迷惑は掛けちゃあいけないの!」
こう怒りながらも、ガウンを羽織った寝起きの奥さん(小学校の先生)は、準備してあったみたいに、3~4人分の豪華な晩酌の支度をしてくれて、「じゃあ、もう起きませんからね。おやすみなさい」と寝室に戻ってた。住んでるマンションも家具も食器も普通の物を使ってたけど、生のしらすとか、冷凍しといた松茸とか、フォアグラとか、豆腐よう(沖縄特産のチーズの奈良漬って感じの酒の肴)とか、そんな物がサッと出てくる家だった。そうそう、酎ハイ飲む時は決まって生グレープフルーツハイで、赤い果肉のグレープフルーツをグルグル搾って作ってたな。
朝、リビングのソファーなんかで目覚めると、酸っぱい梅干のおにぎりと大きなしじみの味噌汁なんかを作ってくれてて、
「じゃあね、仕事頑張ってね。食器そのままでいいからね。いってきまーす」って、とっても愛想よく小学校に出勤して行った。そんなことが、何十回もあった。本当に本当に、本当に御世話になりました。
「御飯も炊かないのよ。1人でしょ。今朝も、牛乳温めて、食パン、あー、今日は焼かなかったし、ジャムも塗らなかった。それでいいのよ」
奥さんは、時々行ってるっていう、坂の途中にあった定食屋に案内してくれた。奥さんと同じ、真イカの刺身定食を注文した。で、直ぐに出てきたんだけど、函館名物のはずの生の真イカは、しっかり火を通して臭味を緩和してほしい感じだし、御飯も味噌汁も、鮮やかに着色された黄色い漬物も、まずい、んー、まず過ぎる。どうまずいのか指摘できないくらい、まずい味しか感じ取れない。地球温暖化で北海道の米が旨くなってるって聞くのに。でも、奥さんは平気で食べてる。社長とは、もう少し先にある食堂まで行ってたそうだ。
夜、独りで函館山に行った。ロープウェイから夜景を見下ろしてると、頭の中で舟唄が鳴り始めた。展望台のレストランで、グレープフルーツジュースを注文した。まだ舟唄が鳴っている。夜景を見ながら飲むと、不意に、涙が溢れてきた。グレープフルーツの酸味が、涙腺を刺激する。涙が止まらない。阿久悠がいた広告代理店でアルバイトをしてたことがあるらしいって、奥さんは言ってた。別に知り合いでも何でもなかったんだよ、きっと。函館を、故郷を思い出せる詞で歌で、自分自身を励ましてたんだ。ふがいない社員を抱えてさ、俺みたいな。
社長が育った、暮らしてた、入院してた函館の夜景に、まだ怖かった頃の社長、ちょっと丸くなってしまった頃の社長が映る。いい人だったなあ。自己満足なんだろうけど、俺だけの都合なんだけど、これが、俺にとっての、葬式だ。閉店まで、ロープウェイの最終便まで、夜景が消えるまで、ここに座ってよう。来てよかった。奥さんに謝れて、社会人として再会できて、よかった。6か月契約だなんて言わないからさ、奥さんにも、母ちゃんにも妹にも。
百貨店の開店前、ピンクの帽子は被ったものの、日本玩具名古屋支店の年輩の女係長には、金髪坊主は不評だった。帽子を使って実演したりもするからね。
開店間もなく、大催事場の「よい子のおまつり・日本玩具フェア」は、盛況モードに入った。
「このアンキー、偽者だがや」
屈んだ母親の耳元で、男の子が言った。分かり易い金髪カツラを被って知育玩具の実演をしてるアンキーを見上げて。
その近くにいた利発そうな女の子は、
「そうよね。説明してもらわなきゃ」と言って、悪者を見るような、非難する目付きで、一生懸命働いてる崖っぷち30代を見上げてやがる。
俺、もしかしたら、ちょっと子供って、かなり好きじゃないかも。
名古屋出張の後は2連休にして、そのまま函館に飛んだ。
「今積もってる雪は、直に解けるから」
根雪になるのは、今月半ば頃からなんだそうだ。
丘の上のかなり古い団地、小さい新しい仏壇が置かれた部屋で、俺は、奥さんに不義理を詫びた。失業中だったけど、弔問じゃなくて、葬式を手伝わせてもらわなきゃいけなかった。ダイエットに成功して余裕で入るようになってた昔の礼服を着て、函館に来なきゃいけなかったんだ。告別式の日の朝、俺は、スーパーエージェンシーで採用面接を受けてた。LASTが倒産して2年以上経ってたけど、初めての面接だった。履歴書と職務経歴書は何十通も作ったし送ってたんだけど。
「余所さんが無理だ出来ないって断った仕事でも、LASTはやらせてもらいますよ。LASTリゾート(最後の手段)ですから」
社長はよくこう言ってた。社名の由来も本当にそういうことなんだろうなと俺は思い込んでたんだけど、奥さんの話は違ってた。会社を立ち上げる前に、何度も転職したり事業に失敗したりしてたから、「これが最後だから、これで終わりにするから」ってことで、「有限会社LAST」に決めたんだそうだ。株式会社LASTが倒産した時、奥さんは小学校の校長先生になってたから、奥さんの定年退職を待って、去年の春、社長の出身地、函館市に越してきたんだ。
ワニ革好きの社長でさ、社長はクロコダイルって言ってたけど、セカンドバッグも名刺入れも財布も、それからベルトも、そうそう、高校入学の時に親父さんに買ってもらったんだって言ってたシチズンの腕時計のベルトも、ワニ革に付け替えてあった。昔、阿久悠と仕事してたこともあるっていうのが自慢らしくて、カラオケに行くと、『津軽海峡冬景色』か『北の宿から』か『舟唄』を社員に歌わせてたな。酷い音痴の俺は、阿久悠禁止だったんだよね。
で、会社からだと、社長のマンションと同じ方向に住んでた俺とか後輩は、よくタクシーに同乗させてもらってたんだけど、「もう1軒寄るか」って社長が言って金がない時は、決まって真夜中の社長のマンションで飲ませてもらってた。
「もう、何時だと思ってんのよ。だから、常識人になってよ、常識人に。女房にだって、迷惑は掛けちゃあいけないの!」
こう怒りながらも、ガウンを羽織った寝起きの奥さん(小学校の先生)は、準備してあったみたいに、3~4人分の豪華な晩酌の支度をしてくれて、「じゃあ、もう起きませんからね。おやすみなさい」と寝室に戻ってた。住んでるマンションも家具も食器も普通の物を使ってたけど、生のしらすとか、冷凍しといた松茸とか、フォアグラとか、豆腐よう(沖縄特産のチーズの奈良漬って感じの酒の肴)とか、そんな物がサッと出てくる家だった。そうそう、酎ハイ飲む時は決まって生グレープフルーツハイで、赤い果肉のグレープフルーツをグルグル搾って作ってたな。
朝、リビングのソファーなんかで目覚めると、酸っぱい梅干のおにぎりと大きなしじみの味噌汁なんかを作ってくれてて、
「じゃあね、仕事頑張ってね。食器そのままでいいからね。いってきまーす」って、とっても愛想よく小学校に出勤して行った。そんなことが、何十回もあった。本当に本当に、本当に御世話になりました。
「御飯も炊かないのよ。1人でしょ。今朝も、牛乳温めて、食パン、あー、今日は焼かなかったし、ジャムも塗らなかった。それでいいのよ」
奥さんは、時々行ってるっていう、坂の途中にあった定食屋に案内してくれた。奥さんと同じ、真イカの刺身定食を注文した。で、直ぐに出てきたんだけど、函館名物のはずの生の真イカは、しっかり火を通して臭味を緩和してほしい感じだし、御飯も味噌汁も、鮮やかに着色された黄色い漬物も、まずい、んー、まず過ぎる。どうまずいのか指摘できないくらい、まずい味しか感じ取れない。地球温暖化で北海道の米が旨くなってるって聞くのに。でも、奥さんは平気で食べてる。社長とは、もう少し先にある食堂まで行ってたそうだ。
夜、独りで函館山に行った。ロープウェイから夜景を見下ろしてると、頭の中で舟唄が鳴り始めた。展望台のレストランで、グレープフルーツジュースを注文した。まだ舟唄が鳴っている。夜景を見ながら飲むと、不意に、涙が溢れてきた。グレープフルーツの酸味が、涙腺を刺激する。涙が止まらない。阿久悠がいた広告代理店でアルバイトをしてたことがあるらしいって、奥さんは言ってた。別に知り合いでも何でもなかったんだよ、きっと。函館を、故郷を思い出せる詞で歌で、自分自身を励ましてたんだ。ふがいない社員を抱えてさ、俺みたいな。
社長が育った、暮らしてた、入院してた函館の夜景に、まだ怖かった頃の社長、ちょっと丸くなってしまった頃の社長が映る。いい人だったなあ。自己満足なんだろうけど、俺だけの都合なんだけど、これが、俺にとっての、葬式だ。閉店まで、ロープウェイの最終便まで、夜景が消えるまで、ここに座ってよう。来てよかった。奥さんに謝れて、社会人として再会できて、よかった。6か月契約だなんて言わないからさ、奥さんにも、母ちゃんにも妹にも。
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