令和に活きる就活終活のヒント

令和宗活(のりかつのりかつ)

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《30》ぶっつけ本番

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「すんません。御香典は、ご辞退させて頂いてるんです」
 牟礼さんが受付係をしてくれた。
 俺の同僚、第35営業局第3営業部の部員全員が、来てくれた。明日付で第2メディア局第3雑誌部から異動してくる、美大卒でファッションセンス抜群でCOMの大ファンの超優秀な中原さんも、来てくれた。手分けして、駅とかバス停とか途中の道に立って、おばあちゃん、おばさん、おねえさん達を誘導してくれる。
 母ちゃんを綺麗に描いてくれた津島壽壽さんとは、マーガレットの祭壇の前でお会いした。母ちゃんが描いた絵とは違う形の黒い帽子を被ってて、絵と同じくらい大きな鼻をしてた。あの失礼な絵も、似てたことは似てたんだな。山田摩耶さんも来てくれた。下ろしたら腰まであった黒い髪を黒い髪留めで束ねていた。舗装されてない道を、ヒールのある靴で上がってきてくれたんだ。明日挨拶に行く予定の中原さんが近寄ると、「今日はお構いなく」とだけ言って、おばあちゃん達の中に紛れてしまった。インド人も、いかにも英語を話しそうな日本人も来てくれた。慰められてる妹が泣いちゃってるから、バイオリン演奏が心配だ。だからCDにしとけば……、違う、俺が黙って用意しとかなきゃいけなかったんだ。津島さんも山田さんも中原さんもインド人も日本人も、母ちゃんが裏庭に仕掛けたピンクと黄色の鮮やかなマーガレットの群生に、ビックリしてくれていた。富士山には気付いてなかった人も。
 路線バスが遅れていたので、開演時間を30分遅らせた。両隣の別荘のオーナー御夫妻も参列してくれていて、トイレを開放してくれた。助かります。ありがとうございます。

「尾崎ユリ子の息子の尾崎博昭です。妹の晴子です」最初に俺が挨拶した。「母が私と妹宛に残してあった手紙には、葬式はしないでくれって書いてありました……」
 数人のおばあちゃんが、津島さんも、納得の表情で、顔を見合わせたり、頷いたりしていた。
「本日は、母の思い出の写真を見て頂きながら、母を偲んであげて頂ければと思います」妹が堂々と言った。
 リビングへの上がり口、白い台に載せたプラズマテレビにノートパソコンをつないで、横に座った新川さんが、それを操作してくれる。
 牟礼さんが、妹にバイオリンを手渡してくれた。バイオリンを持った妹が、御辞儀をする。妹の後方に立つ俺は、新川さんの方を見て頷いて、新川さんも頷いた。妹が『家路』を弾き始める。慎重で、正確な演奏だ。
 テレビ画面に、母ちゃんのスナップ写真が映し出される。陶芸教室で頬に泥を付けた写真、乗馬サークルで若い先生と一緒に白馬に乗せてもらった写真、京都の金閣寺をバックに撮ってもらった写……、あれっ。演奏が乱れて、中断した。バイオリンの、弦が、切れてるよ!
 何も聞こえない。黒い服を着た大勢の人達が唖然としている、新川さんも、牟礼さんも。困惑顔の妹が俺を見てる。新川さんも目で指示を仰いでる。どうしよう。近寄ってきた牟礼さんと眼が合った。
「歌います?」顔を近付けて、俺に言った。
「?」思考不能状態。
「私も歌いますから」妹にも囁いてる。
「お願いします」脳が再起動した俺は、牟礼さんの判断にすがり付いた。
「♪遠き山に日は落ちて」牟礼歌音さんが、妹を促しなから歌い始めた。「♪星は空をちりばめぬ」オペラ歌手のように、ミュージカル女優のように歌い上げる。
 聴衆は静かに、響き渡る美声に聴き入っている。
「♪きょうのわざをなしおえて」妹も協調して歌い始めた。やるじゃん。しっかりハーモーニーになってるよ。
 津島さんとお互いの肖像画の下絵を持った写真、自然薯を収穫した写真、牟礼さんが来てくれた時の写真。
「♪心軽くやすらえば 風はすずしこの夕べ いざや楽しまどいせん まどいせん」
 2人共、2番の歌詞は知らないらしくて、ラーララで力強く、ハモり続けてくれてる。
 最後の写真は、妹の小学校の卒業式の日に、近所の人に撮ってもらった写真にした。妹も俺も中学の制服を着てて、「尾崎」ユリ子に戻って1年半経ってた母ちゃんは、一番気に入ってた通勤着を着てる。俺が友達に「尾崎んちのおばさん、ひょうきんだよね」って言ってもらった頃の母ちゃんだ。綺麗だよ、母ちゃん。
 牟礼さんと並んで立つ妹は、バイオリンと弓を持ったまま、テレビ画面を見ないようにして歌っていた。俺も、眼をそらして、ハンカチで涙を押さえた。初めてだな、ハンカチのこういう使い方。
 焼香も献花もなしだと、イベントに参加した実感のないままお帰り頂くことになってしまうから、スプーンで、マーガレットの祭壇に水を撒いてもらうことにした。折りたたみ式の高いテーブルを2脚連ねて、シーツを掛けて、母ちゃんが焼いたどんぶり鉢に水を入れてスプーンと一緒に4組並べた。
 自然におばあちゃん優先で整列してくれた。順番に、水を撒いて、手を合わせてくれる。遺影にひと声掛けてくれてるおばあちゃんも多くて、「孫のケンヤが無事高校に合格できますように」とか、「夏の書道展は金賞か銀賞にしてね」とお願い事をしてるおばあちゃんが、何人かいた。おばあちゃん達の意外な呟きが慰みになったし、癒された。ウグイスも鳴いてくれてる。

 時間の許す人達には、送迎バスで、グリーンピア伊豆の食堂に行ってもらった。今頃、妹と牟礼さん達が接待してくれてる。俺は、母ちゃんと2人で、留守番だ。今夜、黒のレンタカーで、家族3人で、火葬場に行く。
 御天道様が、ピンクの花を赤く、黄色い花をオレンジ色に染め変えて、その上で微笑む真っ赤なセーターの母ちゃんを、綺麗に照らし出してくれていた。あったかいね、母ちゃん。
 御天道様が、霊峰富士に吸い込まれて行く。母ちゃんの魂を連れて。
「さよなら、母ちゃん。ありがとう。ありがとうねー」
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