潺の鈴 御庭番怪異禄

霞花怜

文字の大きさ
32 / 38
第五章

第五章 枯尾花の入舞に、別れを告げる《六》

しおりを挟む
 童の時分には、憧れの眼差しで見つめるしか、できなかった。遠かった二人の背中が、今、善次郎の目前で剣を振るっている。

(儂はもう、あの頃の童ではない)

 腰を落として、刀を顔の傍で平らにし、突きの構えを取る。

 獅子は善次郎を睨むばかりで、動かない。

『我が獅子よ! 無能な飼い犬を、食い殺せ!』

 宇八郎と皓月の刀を躱しながら、乗邑が叫ぶ。獅子の体を覆う赤い炎が、勢いを増した。大きく咆哮を上げて、獅子が駆け出す。

(乗邑の声で士気を上げたのか? 何故、あれほど苦しそうに呻る)

 獅子の上げた雄叫びが、善次郎の耳には、悲鳴に聞こえた。

 構えを崩さず、善次郎は獅子との間合いを詰める。

(今、核を砕けば、総てが終わるのか? ……いや、迷う暇はない。気を凝らせ。開いた口を目掛けて、一突きで砕く)

 湧いた疑念に蓋をして、更に身を低く構える。

 善次郎の目前にまで躍り出た獅子を突如、落雷が命中した。

「ざまぁみろ! 三社権現じゃぁ油断したがなぁ。雷は、あたしの十八番おはこなんだ!」

 環の金棒が、乗邑の雷を吸い取る。閃光を纏った金棒を高く翳し、振りかぶった。

「そぅら、でっけぇのを、見舞ってやる! もう一発、食らいやがれ!」

 雷の塊が、獅子に向かい鋭く飛ぶ。獅子の体が稲魂いなだまに捲き取られ、足が宙に浮いた。

「善次郎様、お下がりください。あれに巻き込まれれば、人は死にます」

 後ろから円空が、善次郎の腕を引く。二人が獅子から遠ざかる。円空が、本殿を振り返った。乗邑と獅子を、何度も見比べる。

「円空も、違和を感じるか?」

 善次郎の問いに、円空が頷いた。

「三社権現でまみえた時は、獅子の核が怨霊の威力の根源に感じましたが。今は、まるで源壽院の怨霊が獅子に力を注いでいるかのようです」

「やはり、そう見えるか。儂の勘は、間違いではなさそうだ」

 善次郎は、刀を下ろした。

 神官崩れが獅子を手放した、と吐き捨てた乗邑の言葉。お鴇の書いた「獅子が泣いている」の文言。獅子が上げた悲鳴のような咆哮。

 善次郎の頭の中で、総てが、繋がった。

(獅子は、帰りたがっておるのやも知れぬ。核は今や、獅子の御霊を縛る枷だ)

 善次郎は、本殿を振り返った。社から溢れる神々しき光は、とても暖かい。善次郎たちを守り、宇八郎に活力を与える、護りの光だ。

「源壽院は、あの光を神の怒りと、笑いくさした」

 善次郎の眼の先を追って、円空の目が本殿に向く。

 円空は、乗邑に眼の先を変えた。

「久伊豆の御神の光から、怒りを感じるか?」

 善次郎の問いに、円空が首を横に振る。

「ですが源壽院には、そう感じるのでしょう。感じなければ、力を維持できぬのやも知れませぬ。だとすれば、長くは保ちますまい」

 善次郎は、円空に眼を向ける。

「怒りとは、刹那の感情です。それに頼らねば維持できぬ恨みなら、空疎な絡繰り同然。今はもう、何を恨んで怨霊に堕ちたかすら判然とせぬ心情やも、知れませぬな」

 二人は再び、乗邑に眼を向けた。

 宇八郎と皓月の二人を相手取り、太刀を交える乗邑を眺める。

(許す気持ちや忘れるのとは、きっと、違うのだろうな)

 我を失うほどの恨み。その恨みに飲まれた挙句が、あの姿だ。

 乗邑の怨霊が少しだけ、憐れに思えた。

 善次郎は、刀の柄を握り直した。

「だとしても、儂らの仕事は変わらぬ。核を砕いて、獅子の御霊を解き放つ。たとえ長く保たぬとしても、怨霊が消えるのを待つ訳にはゆかぬ」

 善次郎は、環を振り返った。

「環! 稲魂を消せ! 儂が核を砕く!」

 頷いた環が、金棒から放つ稲妻を空へ逃がす。宙に浮いた獅子の体が、地面に降りた。

 地に足を付いた獅子は、へたり込んで丸まり、動かなくなった。

「善次郎様、まだ直に触れねぇでくだせぇよ! 体ん中に、雷が残っているはずだ!」

 獅子の体から、びりっと、小さな稲妻がほとばしる。

 善次郎は頷いて、獅子に歩み寄った。

「お鴇! 待てよ。そっちは、危ねぇ! 行くな!」

 本殿のほうから、長七の大声が飛んだ。

 気が付くと、お鴇が獅子の正面に立っていた。

「お鴇、いつ、気が付いた。ここへ寄るな! 向こうで、長七と共に……」

 慌てて駆け寄り、手を伸ばす。お鴇の顔を見た途端、伸ばしかけた手は、ぴたりと、止まった。

(泣いて、おる。お鴇……では、ない。この涙は、福徳稲荷の狛犬の涙だ。お鴇の身に乗移ったのは、やはりあの狛犬だった)

 涙を流すお鴇の細腕が、獅子に伸びる。その姿を見た乗邑が、高らかに笑った。

『獅子よ、その小娘を食らえ! 無能を焚きつけるに、都合が良いわ!』

 座り込んだ獅子は、微動だにしない。乗邑が怒りの表情を露わにした。

『儂の指図が聞こえぬか! 立ち上がれ! 動かぬか!』

 獅子に寄ろうとする乗邑の行く手を、皓月と宇八郎が塞ぐ。

 お鴇の手が、獅子の顔を、そっと包んだ。ばちり、と閃光が走る。獅子の体に残る雷を浴びても、お鴇は表情を変えない。

『やっと見つけた、我が朋輩。ずっと、ずっと、探していた。離れられぬ場所から、ずっと』

 お鴇が、獅子に頬を寄せる。流れた涙が、獅子の目に落ちた。

『こんなにも、心をやつして。どれだけ辛かったろう。痛かったろう』

 お鴇の顔に、深い悲しみが滲む。獅子が顔を上げ、自らお鴇に、頬擦りした。

『ああ、そうだ。我らは、二つで一つの御霊。一つは、寂しい。一つは、怖い。共に還ろう。我らの、在るべき場所に』

 獅子の体から、燻った炎が消える。

 その場にいた誰もが、動きを止め、息を殺した。お鴇の声と獅子の息遣いだけが、境内に響く。

 獅子の体の中の青い灯火が、ゆらりと、揺れた。

 善次郎は、静かに獅子に歩み寄ると、突きの構えを取った。

「枷となる核だけを、砕く。さすれば、獅子の御霊は解き放たれよう。動いてはならぬぞ」

 お鴇が獅子の顔を抱く。獅子が身を強張らせ、じっと息を止めた。

 善次郎は、刀の切っ先に気を澄ました。刀身が淡く白い光を宿す。

 深く刺してしまわぬよう、慎重に、刀を滑り込ませた。

 切っ先が、核の外側を突く。獅子の体の中で青い灯火が、ぱん、と弾けた。

 途端に獅子の体が、ぐにゃりと歪み、透けていく。風に溶けた獅子の体が消えてなくなり、青い灯火が、空に浮いた。

 灯火を見上げたお鴇が、微笑んだ。

『やっと、自由になった。やっと、還れる。さぁ、戻ろう。もう二度と、離れぬように』

 お鴇の体から、獅子と同じ青い灯火が、すぅっと浮き上がる。気を失ったお鴇が目を瞑り、その場に倒れ込んだ。

 駆け寄った善次郎は、お鴇の身を抱き止めた。

 善次郎とお鴇の周りを、青い灯火が二つ、ふわりふわりと、揺れた。穏やかな安堵を宿した御霊が一つ、お鴇にふわりと、触れる。礼をするように揺れると、二つの灯火は空高く舞い上がり、夜の彼方に消えて行った。

 境内には、静かな風だけが、漂い流れていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

処理中です...