祝福の星

ばやし せいず

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 宿題をどっさり渡され、明日から夏休みとなる。とにかく蒸し暑い。
 今日、一緒に帰る友達は無く、一人ですいすいと自転車を漕いでいたところだった。

「おい」

 通っている高校の裏手側の信号の下で呼び止められた。
 呼び止められたというよりかは、私が運転する自転車の前に人が飛び出してきたのだ。当たり屋だと思った。私が悲鳴を上げる代わりに、急ブレーキをかけた自転車がギイっと鳴る。

「これ、おまえ?」

 同じ年頃の男子が私の自転車のかごをつかんでいた。
 顔認証しようとするみたいに、ひび割れたスマホを私の顔にかざす。日差しが画面に反射して、なにが映っているのかわからない。
 私には現在、父親がいない。兄弟も男友達も昔からいない。通っている高校は別学だ。
 だから、同年代の男子がそばに立つとその体格の良さに怯んでしまう。彼らの頭の中はきっとまだ赤ちゃんみたいなはずなのに、体つきだけは立派だ。そのアンバランスさは本人たちをも苦しめているに違いない。
 目の前の彼のあごにはニキビがたくさんできていて、血が滲んでいる箇所もいくつかあった。ごわごわした髪がうねっている。
 着ている制服は目と鼻の先にある私立高校のものだった。その高校の偏差値は、うちとは比べ物にならないほど低い。
 私は可愛いかったので、すれ違いざまに「やらせてくれねえかな」と言われることや、勝手に写真を撮られることが度々あった。しかし、帰り道で待ち伏せされ、スマホの画面を見せつけられたのはこれが初めてだった。
 彼の水色のシャツの胸元には、汗ジミがくっきりとできていた。自分のパンツや靴下の中も蒸れに蒸れているのを思い出し、にわかに不快になる。

「これ、おまえ?」

 彼はもう一度尋ね、スマホをアンダースローするような仕草を見せる。私は腕を伸ばしてスマホを受け取った。かさついた彼の指が私の手に触れて顔が歪む。
 画面には案の定、私の姿を映した写真がいくつも表示されていた。おむつ替えされている私、バナナを咥えている私、口の周りを汚しながらソフトクリームを食べている私などなど。下にスクロールしてみると、アンダーバーがとても小さいことに気付く。画像の数が多すぎるのだ。
 これらは全て、ママがネットにアップした写真だった。どこかの誰かが保存してまとめたようである。なんのためになんて、聞くだけ野暮だ。
 「これ、おまえ?」という質問に対し、自分を指さして頷き、スマホを返した。

「ユートォ!」

 スマホを回収するや否や、彼は振り返って電信柱をそう呼んだ。陰から同じ水色のシャツの男子高生が現れた。慌てたようにこちらに駆け寄ってくる。

「いやー、まじやめろってえ」

 顔を真っ赤にしたユートだが、スマホを引ったくり私を一瞥するとにたにた笑い、一目散に去っていった。
 ユートもスマホに表示された私の画像でシコシコやっているんだろうか。今晩もやるだろうか。
 勃起した状態のちんちんも、ザーメンも、実物は見たことが無い。けれど、まんこや経血よりかはきっとシンプルで可愛らしい。金玉なんて、きっとなにかのキャラクターみたいなのではないか。そんな気がしている。

「親があほだと、大変だよな」

 目の前の彼が笑う。彼があほだと評した親とは、うちのママのことだ。そう。私のママはどあほなので、特殊性癖の持ち主を喜ばせてしまう。

「こと、バイバーイ!」

 すぐ横を、自転車に乗った円華ちゃんがびゅんと通り過ぎる。私も手を上げたけど、彼女はすぐに前を向き、立ち漕ぎで行ってしまう。
 目の前の彼はまだ去らない。

「さっきのユートってやつと、もう一人、レンってやつがいて、毎日お前の話してる」

 私は話を聞いていることを示すために頷く。

「おまえのファンで、毎日おかずにしてるらしいぞ。で、おまえって名前も、だいたいの住所も晒されてるだろ。それを踏まえたうえで、よく聞け。お前の母ちゃん、俺のクラスの担任と不倫してるぞ」

 彼は唾をとばしながら語り始めた。
 少し前に、クラスメイトのユートがカノジョと隣町の映画館を利用した。
 見覚えのある車が映画館の駐車場に入っていった。担任の車だった。委員会の帰りに車に乗せてもらったことがあったので覚えていた。
 助手席に座る女は、担任の奥さんではなかった。写真で見た担任の奥さんは眼鏡を掛けていてもっと地味だったはずだ。ユートは思った。
 助手席の、やたら浮ついた様子の女に見覚えのあるような気がしながら、スマホで二人を撮影した。キスしているところもばっちり収めた。ディープキスだった。
 ユートのカノジョは生理中だということで、映画が終わるとそのまま解散となった。ユートも真っ直ぐに帰宅して、一人さみしくシコシコやろうとしたときに、助手席の女が「こっちゃんママ」だということに気が付いた。(こっちゃんママこと私のママはうっかり屋さんだ。写真の中の鏡やガラスに自分の顔が反射していることに気付かず投稿することが度々あった)。(こっちゃんママは無償でおかずをたくさん提供してくれるので、『こども食堂』と呼ばれ崇められている)。
 その数週間後、今度はショッピングモールの駐車場で同じ光景を見かけたらしい。



 彼は色々と説明してくれたが、早口だった。あまりにも早口だったので、情報処理に私のほうが時間を要した。

「どのタイミングで気付いてんだよって感じだよな」

 一気に喋ったせいで息切れしている彼を眺めながら口を開く。訊きたいことがあった。
 母親が不倫してるのって、やはりやばいのだろうか。
 率直な疑問を投げかけると、彼は目を剥いた。

「やばくねえわけねえだろ。おまえの父ちゃん、おまえの母ちゃんを刺すぜ。きっと」

 私には父親がいない。彼は私に父がいないことを知らない。
 その事実をたった今思い出し、彼に説明した。ママはパパに刺されようがない。

「はーん。シングルマザーか。でも、うちの担任は妻子持ちだぜ。ばれたら慰謝料だ。……なに? 慰謝料は女も払うのかって? あたりめーだろ。女も、っていうか女が払うんだよ。おまえの母親が。……はあ? 担任の先生に、じゃねえよ。担任の奥さんに、だろ。被害者は奥さんなんだから。おまえ、あの高校通ってんのに頭悪ぃな」

 偏差値の低い人間に「頭悪ぃな」と言われて腹を立てない人間はいない。私はぷいと顔を背け、またペダルを踏み入れた。

「待てよ。ひょっとしてこの状況がわかってねえな?」

 わかっている。ママにもよく言っておかなくてはいけない。近場で不倫するなと。

「ちげえよ。いいか? ……いーま、おまえはあ、俺にい、脅されてんだよっ」

 不可解な内容よりもなによりも、小学生に数字を教えるような口調が癪に障る。

「黙っててほしかったら、おまえの親とうちの担任がやってるとこ、撮影させてくれよ」

 千円貸してくれよ、というときのような口調だった。
 こいつの発言のせいで、ママと知らないジジイが腰をガクガク振り合っている場面を想像してしまった。

「うおおっ!」

 私が叩きつけようとした通学バッグを彼は華麗に避けた。

「まあ、落ち着け。撮影させてくれないんだったら、学校中に不倫のことをばらす。裁判やったり慰謝料払ったり、引っ越すことになったりしてめんどくさいぞ。多分」

 彼は口角を上げた。
 


 あの場所で話は続けられないと判断し、とりあえず近くの公園に移動することになった。広いわりに遊具の少ない公園だ。蝉は鳴いていない。暑すぎるのかもしれない。
 彼はベンチを見つけ、鳥のフンをよけて座った。私は座らなかった。
 連絡先を交換するはめになった。
 持っているSNSのアカウントは二つ。一つは落書き用。残りの一つは、一枚の写真しか載せていないアカウントだ。家で飼い始めた金魚の写真を載せるために作った。彼にこっちのアカウントを教えた。
 0だったフォロー、フォロワーがそれぞれ1になる。ママと担任のセックスの撮影をさせろと脅迫してきた「こばすけ」が加わったからだ。
 彼のアカウントのアイコンは本人の後ろ姿だった。一番最近の投稿は二か月前の、数字をかたどった風船の写真。呼気を封入した「1」と「7」が並べられている。クラスメイトたちに誕生日を祝ってもらったらしい。
 私はあいさつ代わりにその写真にハートマークを贈った。こばすけも金魚たちに同じマークを贈ってくれた。しかし本名は教えてくれなかった。

「名前なんて教えるかよ。俺はおまえの本名も知ってるけどな。山田古都葉。十月七日生まれ。杉の子第二保育園、城東小学校。生理になったのは小六」

 チェックメイトと言わんばかりのこばすけの股間を蹴り上げたくなる。
 初潮の時期を知っているくらいで。
 処女を奪ったのならまだしも。
 あーいやだいやだ、きっと童貞なんだ。黒い塊まじりの経血を見た日には、卒倒するんじゃないかな。
 しかし元はといえばやはり、ママが悪い。数年前に、『ついにこの日が!?今大慌てでお赤飯の炊き方を調べてまーす!』なんて投稿したママが、全て悪い。

「つーか、俺らすごくね?」

 私とこばすけの、一体なにがすごいのだろう。

「おまえが『こっちゃん』だってわかったの、フツーにすごいよな? 俺ら、探偵になれるわ、まじで」

「俺ら」とは、こばすけやユートのことだったらしい。

「おまえって、いつからそんなデブになったの?」

 彼はにやにやしながら私の全身を遠慮なく眺めた。
 平均的な身長に対し、体重は約八十キロ。丸くふわりと太れればよかったのに、骨格がしっかりしているせいか、肩で押せば他人を倒せそうな力強い見た目をしている。
 高校に入る前くらいから、と律儀に答えた。
 制服は太り始める直前のときのサイズだ。だから今、スカートは拷問器具みたいに私の腹を締め付けている。脂肪を蓄えた太ももの付け根は歩く度に擦れ、色素沈着を起こしている。太ってからは、汗をたくさん掻くようになった。いびきもかいているのか、水中で溺れる夢や誰かに首を絞められているを見るようになり、苦しさで目を覚ますこともある。一日一回は心臓のあたりがきゅうっと締まって痛くなる。

「なに喰ったらそんなにデブになんだよ。勿体ねえな。昔は可愛かったのによお」

「デブ」よりも「可愛かった」という言葉に反応してしまい、もじもじする私を、こばすけは「おいっ、喜ぶな。気持ちわりい」と一喝した。

「とにかく。今度の水曜日、母ちゃんを尾行してみるか?」

 水曜日? と首を傾げる私をよそに、こばすけは勝手に撮影の計画を立て始めた。
 彼によると、ユートは担任とママのキスシーンを二回見かけたが、どちらも水曜日だったらしい。
 でも水曜日は、ママは仕事をしているはず。

「おまえの母ちゃんって、なんの仕事してんだ?」

 週六で働く医療従事者だと教えた。駅前の皮膚科で医療事務をしている。
 こばすけは「医療事務は医療従事者じゃねえから~」と言って私とママを馬鹿にし、それから「しかし、はあ、なるほど」と知り顔になった。

「あそこの皮膚科か。だから水曜日だったんだな」

 どういうことだか、さっぱり。

「だから、あの皮膚科は水曜日が休診だろ? 俺も前に行ったら休みで、めちゃくちゃむかついたからよく覚えてる。ふつー、木曜日が休みだと思うだろ? 騙された。くそ」

 ふんと私は鼻を鳴らす。確かにママが働く診療所は水曜日には休診となる。
 だけどそれは建前であって、患者は診ないけれど、先生も看護師も事務員も、診療所で残りの仕事を片付けたり、勉強会を開いたりしているのだ。
 大きな病院だと「休診日」ではなく、「研究日」と呼ぶのがなによりの証拠だ。
 私は得意になってこばすけに説明してやった。

「んなわけねーだろ。研究日にアルバイトする勤務医はいるかもしれねえけど。医療事務が休診日に働くなんて、聞いたことねえよ」

 言い返せずにいると、こばすけはふふんと笑った。

「俺のおじさん、医者だからそのへん詳しいんだ」

 親が医者というならまだしも、おじさんて。よく鼻を高くできるものだ。
 私は心底あきれた。
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