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第6章 「僕」の見る世界

僕と兄さん

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 はじめて僕を認めてくれたひと。
 自分を傷つけたやつを庇い、弟として迎え入れた可笑しなひとだ。
 エイド・オプセルヴェ。彼がいなかったらファスも僕もここにはいない。今の僕らがあるのも、すべては兄さんのおかげだ。

 「兄さん」、そう呼ぶのは僕だけだった。
 ファスは、いつまで経ってもそう呼ぶことを渋っていた。頭の中では兄と変わりない存在であると理解しながら、気持ちが追いついていなかったのだ。
 僕が兄さんと呼ぶのは、別に兄と認めたからとかそういうことではない。そう呼んだ方が、兄さんが面白い顔をするからだった。

 特殊な生まれ方のせいで、僕は家族というものを知らない。
 ファスの記憶の中にはオプセルヴェ一家に引き取られる前、実の両親の思い出もあるけれど、それは僕のものではないのだ。
 オプセルヴェ一家に引き取られてからも、ソワンとアムールの前ではあまり姿を現さなかった。だから、唯一家族という枠組みに含めてもいいかなと思えるのは、兄さんただひとりだ。

 兄さんが今の状態になってから、時間がある時にはファスは以前よりもまめに帰宅するようになった。
 少しずつではあるが、兄さんの表情は柔らかくなってきている。ファスが自分でつくり上げていた壁を取り払い、兄さんを心からだと受け入れてから。

 隙を見て、ファスと入れ替わる。

「兄さん」

 もう呼べる回数も限られるだろう。そう口にすれば、驚いたように兄さんの目が見開かれた。

「アンヴェール……久しぶりだな」
「そうだね」

 アムールは出かけているので、今この家にいるのは僕と兄さんだけ。
 リビングのテーブルにつけば、兄さんもならって向かい側に座った。

「どうして、最近は姿を見せなかったんだ?」
「別に、必要性を感じなかっただけ」

 今の僕には、ファスを乗っ取ろうだなんて馬鹿げた、無駄な努力をする気はさらさらない。

「今日出てきたのは、俺に言いたいことがあったのか?」
「さぁ、どうだろうね」

 本当に、今出てきたのは気まぐれだ。
 兄さんに特別話したいことなんてなかったけど、もう話せなくなるんだろうなと考えたら、自然と意識が浮上した。

「兄さんはさ、どうして僕のことを迎え入れてくれたの」

 器用だけど、弱くて、ひとのことを守れる余裕なんてなかったはずなのに。
 その問いかけに、何か言おうとして口を閉ざすことを何度か繰り返してから、ようやく言葉を発した。

「必要とされたかったんだ」

 その答えに、僕は呆れてしまう。

「ソワンもアムールもいるのに、随分と贅沢なことを言うね」
「はは……まぁ、そうなんだけどさ」
「いいよ、無理に笑わなくたって」

 ファスとは、そう約束したんでしょう?
 貼り付けていた笑みが剥がれ落ち、兄さんはまた話し出す。

「俺がなんとかしないと、って思える状況が欲しかったんだ」
「自分から責任あることを背負うなんて、やっぱり物好きだね」
「その状況が、俺が必要とされてるって感じられる状態だったから」

 存在するだけで必要とされる。ソワンもアムールも、エイドのことを自分の愛する息子として心から必要としている。でも、兄さんはそれに満足できなかった。
 必要とされなければ存在できない僕としては、やっぱり贅沢な悩みだと思う。

「不安だったんだ。俺がいなきゃ、って必要とされる状況がないと。何だか、独りになってしまう気がして」

 器用ではあるが、一番にはなれない。色々な場面で、兄さんは側に立つことが多かった。
 これだけ能力があるのに、とも思うが、学力ではメディアス、戦闘力ではフォグリア、リーダー性ではゼロ、技術ではサナキと、兄さんの周りには優秀すぎる人材が多すぎた。
 黄金世代のひとりとして兄さんも名を連ねていたけど、それは兄さんにとって重荷でしかなかった。自分には分不相応だと、彼らと一緒にいるほど、自分の価値を下げていった。

「初めは、ただのエゴだったのかもしれない。でも、次第にお前たちから離れられなくなっていったんだ」

 自分がいなければ、生きることすら許されないかもしれない弟。
 自分にしかできないこと。必要とされること。
 初めはただ憐れんだだけだったかもしれないが、次第に執着に変わっていく。

「でも、お前たちに俺は必要なくなった」

 兄さんの支えがなくとも、ファスは歩いていけるようになった。正確には、兄さん以外にも、助けてくれる仲間が増えたのだ。

「多くの人が羨む力をもってるのに、まだ満足できないなんて、見かけによらず兄さんはプライドが高いんだよ」

 だから、今回そんなプライド粉々に砕かれてよかったんじゃない?
 ディオスに操られていた兄さんは、これまでに築いてきた信頼もほとんど失った。
 それでも残る者がいたことには、流石に気がついているだろう。

 ひとが望むようにつくり上げてきた兄さんは、もういない。
 積み上げてきたものが崩れ去った今、何を考えるのか。

「今度は、俺が変わらないといけないんだよな」

 時間をかけて、兄さんが導き出した答えは、それだった。
 兄さんの意識を変えたのは、他でもないファスだ。執着の最たる理由であった僕ではない。
 このまま僕がファスの中に残り続けることは、兄さんにとってもよくないことだ。

「兄さんがそう決めたなら、いいんじゃない」

 ファスも、兄さんも、少しずつ変わっていく。
 変わっていくひとたちがいる中で、僕は変わることができない。
 他愛のない会話をしばらく続けてから、もういいかとファスに意識を返した。

 僕じゃ、兄さんの支えにはなれないから。
 さようなら、兄さん。
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