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二章:春知らずの雛鳥
21:アップルパイに誓う
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純喫茶の定番メニューといえばオムライス、ハンバーグ、カレーライスと大衆向けかつ子供っぽい。
そういう訳で、鷹人がタコウィンナーのナポリタンを注文したのは何だか意外。
ここは馴染みの店と言っていたし御曹司でもこういう物を好むのか。
それでもやはり育ちは所作に出るもので、パスタをフォークに巻き付ける様は品良く優雅。
食事のマナーを徹底されているだけに雛子もサンドイッチは皿に倒し、ナイフとフォークで切り分けながら一口ずつ。
手は汚れないにしても少し面倒な食べ方でもある。
「お待たせしました、アップルパイです。ご注文は以上で宜しいでしょうか?」
店員が空っぽの皿を片付けて、最後にアップルパイが到着。
雛子が食事を少なめにしておいたのはデザートの為。
鷹人から遠慮するなと言われた上、メニューにアップルパイがあったものだから我慢出来ず。
アップルパイは亡き母の得意なお菓子だった。
ホームパーティなどの手土産にする際は相手の好みに合わせてシナモンを抜いて作って小瓶を別で持って行くが、普段は林檎を煮る際にたっぷりと振り掛ける。
いちょう切りが煮崩れてくる頃には砂糖とバターも絡んで実に良い香りが台所を満たす。
子供の頃から一緒に作っていてレシピも教わったものの、最上家では台所を貸してもらえないので雛子の頭の中にだけ。
なので、何かとケーキを選ぶ機会があれば母を想ってアップルパイばかり。
それでもあの懐かしい味にはなかなか出会えず。
何しろアップルパイは奥が深い。
練りパイか折りパイか、焼き加減は、林檎はジャムかプレザーブかコンポートか、甘さはシナモンは。
レーズンやアーモンドやクランブルなどが加わっても一味変わる。
勿論、格子模様や飾り切りなど外見も大事。
それらで全く違う物になるので、実に個性が出るものであった。
さて、トリノスのアップルパイは。
外見は上から生地をかぶせて切り込みを入れて焼くだけの素朴なスタイル。
どちらかといえばしっとりしたパイにナイフを入れる。
フォークで口に運ぶと、金色の林檎はシャキシャキと瑞々しい歯応えが残る火加減。
それらを下に詰められたカスタードクリームが受け止めて包み込み、シナモンの代わりに優しい甘さとバニラの風味。
なるほど、これはブラックコーヒーの苦味とよく合う。
「雛子の好きなもの知ったのは初めてだな」
「ん……美味しいけど意外ですね、アップルパイにカスタードって初めてです」
林檎とカスタードの組み合わせといえば、これはデニッシュに近いかもしれない。
これだからアップルパイは個性の違いが面白いと思う。
とはいえ鷹人に語ったりはせず、雛子の口は黙ってパイを咀嚼するだけ。
飽くまでも今の関係は主人と使用人、もう少し近くても義兄妹のようなものか。
余計なことは喋らない、喋る必要など無い。
しかし、その余計なお喋りこそが鷹人の欲しいものでもあった。
本当の望みは雛子を従えたいのでなく、愛したいのだ。
父親に嫉妬して、奪いたくて、暴走してしまった数日を経て今は穏やかな空気。
鳥籠じみた最上家から脱出したら、その後は自由。
最初からやり直すなんて都合良くいかないにしても、上下が明確な今より少しフラットな関係に変わる。
「なぁ、雛子……またどこかに誘っても良いか?本当に気が向いた時だけで良いし、何も二人きりじゃなくても……」
二度目のデートは随分と気弱な誘い方。
雛子が返事をする前に言葉を付け足していくのは自信の無さか、少し可愛い。
こちらが余裕だからこそ思うことだろうけれど。
鷹人の方からすれば縋っている自覚もあり。
落ち着く為に冷めたコーヒーを啜ってから、苦い溜息。
「本当はお前のこと解放してやらなきゃいけないのは、分かってる……俺達は会わない方が良いってことくらい。でも、もう会えないのは……悪い、俺が寂しいだけなんだ……」
切れ切れに吐き出すのは鷹人の本音。
何だ、言えたじゃないか。
対する雛子も「お茶で良ければ」と返事しようとして、口の中で転がすだけで留めておいた。
舌先から離すにはもっと相応しい別の言葉があるのだ。
この傲慢な男がプライドを捨てて真っ正面から来るのならば、こちらもまた向き合わねば。
それが誠意というものだろう。
「……そうですね。今まで選択肢を奪われてきたから私も自分の判断力には自信がある訳ではないですが、期間を設けましょうか」
どういうことかと眉を顰める鷹人を置き去りに、静かに深く呼吸して雛子が切り出す。
これを言うには簡単に取り消せない覚悟が必要な上、大変面倒なことになる。
分かっていながら、続きを口にした。
「当主様が帰ってくるまでに私を口説き落とせたら、今後は鷹人様が飽きるまでお付き合いすると約束します」
要するに、これは賭けの申し出だ。
偉そうな物言いだが、今までの鷹人の傲慢ぶりに比べたら可愛いものだろう。
呆れたりするくらいなら却下してくれても良い。
あまりに予想外の返事で、鷹人が理解するには液体が布に染み込む速度で数秒。
付き合うことには一応ながら頷いた訳なのだが、これは喜んで良いのかとさぞ複雑だろう。
片手を頭に当てて俯き、張っていた気が抜けるような苦笑で肩を小さく震わせる。
「飽きるまで、か……信用されてないな」
「だって、そうでしょう?もし本気で真剣に交際しても、駄目になる時はもうどうしようもないですから」
どうせ鷹人はいつか最上家を継ぐ身。
恋人なんて作ったところで、どうせいつか雛子のことは全て綺麗な思い出だけになる。
そもそも雛子の方も軽く落ちるつもりは無く、これは鷹人にすっぱり諦めてもらう為の提案でもあった。
付き合ってみた上で駄目と突き付ければ筋は通るだろう。
そうなった時は後腐れなく終われる筈だ、たとえ誰が泣いても笑っても。
「それで、どうします?」
「俺にもチャンスがあるなら、何でも良い……乗るよ」
こうして新たな始めの一歩。
とりあえずは、帰って二杯目のコーヒーから始めましょうか。
そういう訳で、鷹人がタコウィンナーのナポリタンを注文したのは何だか意外。
ここは馴染みの店と言っていたし御曹司でもこういう物を好むのか。
それでもやはり育ちは所作に出るもので、パスタをフォークに巻き付ける様は品良く優雅。
食事のマナーを徹底されているだけに雛子もサンドイッチは皿に倒し、ナイフとフォークで切り分けながら一口ずつ。
手は汚れないにしても少し面倒な食べ方でもある。
「お待たせしました、アップルパイです。ご注文は以上で宜しいでしょうか?」
店員が空っぽの皿を片付けて、最後にアップルパイが到着。
雛子が食事を少なめにしておいたのはデザートの為。
鷹人から遠慮するなと言われた上、メニューにアップルパイがあったものだから我慢出来ず。
アップルパイは亡き母の得意なお菓子だった。
ホームパーティなどの手土産にする際は相手の好みに合わせてシナモンを抜いて作って小瓶を別で持って行くが、普段は林檎を煮る際にたっぷりと振り掛ける。
いちょう切りが煮崩れてくる頃には砂糖とバターも絡んで実に良い香りが台所を満たす。
子供の頃から一緒に作っていてレシピも教わったものの、最上家では台所を貸してもらえないので雛子の頭の中にだけ。
なので、何かとケーキを選ぶ機会があれば母を想ってアップルパイばかり。
それでもあの懐かしい味にはなかなか出会えず。
何しろアップルパイは奥が深い。
練りパイか折りパイか、焼き加減は、林檎はジャムかプレザーブかコンポートか、甘さはシナモンは。
レーズンやアーモンドやクランブルなどが加わっても一味変わる。
勿論、格子模様や飾り切りなど外見も大事。
それらで全く違う物になるので、実に個性が出るものであった。
さて、トリノスのアップルパイは。
外見は上から生地をかぶせて切り込みを入れて焼くだけの素朴なスタイル。
どちらかといえばしっとりしたパイにナイフを入れる。
フォークで口に運ぶと、金色の林檎はシャキシャキと瑞々しい歯応えが残る火加減。
それらを下に詰められたカスタードクリームが受け止めて包み込み、シナモンの代わりに優しい甘さとバニラの風味。
なるほど、これはブラックコーヒーの苦味とよく合う。
「雛子の好きなもの知ったのは初めてだな」
「ん……美味しいけど意外ですね、アップルパイにカスタードって初めてです」
林檎とカスタードの組み合わせといえば、これはデニッシュに近いかもしれない。
これだからアップルパイは個性の違いが面白いと思う。
とはいえ鷹人に語ったりはせず、雛子の口は黙ってパイを咀嚼するだけ。
飽くまでも今の関係は主人と使用人、もう少し近くても義兄妹のようなものか。
余計なことは喋らない、喋る必要など無い。
しかし、その余計なお喋りこそが鷹人の欲しいものでもあった。
本当の望みは雛子を従えたいのでなく、愛したいのだ。
父親に嫉妬して、奪いたくて、暴走してしまった数日を経て今は穏やかな空気。
鳥籠じみた最上家から脱出したら、その後は自由。
最初からやり直すなんて都合良くいかないにしても、上下が明確な今より少しフラットな関係に変わる。
「なぁ、雛子……またどこかに誘っても良いか?本当に気が向いた時だけで良いし、何も二人きりじゃなくても……」
二度目のデートは随分と気弱な誘い方。
雛子が返事をする前に言葉を付け足していくのは自信の無さか、少し可愛い。
こちらが余裕だからこそ思うことだろうけれど。
鷹人の方からすれば縋っている自覚もあり。
落ち着く為に冷めたコーヒーを啜ってから、苦い溜息。
「本当はお前のこと解放してやらなきゃいけないのは、分かってる……俺達は会わない方が良いってことくらい。でも、もう会えないのは……悪い、俺が寂しいだけなんだ……」
切れ切れに吐き出すのは鷹人の本音。
何だ、言えたじゃないか。
対する雛子も「お茶で良ければ」と返事しようとして、口の中で転がすだけで留めておいた。
舌先から離すにはもっと相応しい別の言葉があるのだ。
この傲慢な男がプライドを捨てて真っ正面から来るのならば、こちらもまた向き合わねば。
それが誠意というものだろう。
「……そうですね。今まで選択肢を奪われてきたから私も自分の判断力には自信がある訳ではないですが、期間を設けましょうか」
どういうことかと眉を顰める鷹人を置き去りに、静かに深く呼吸して雛子が切り出す。
これを言うには簡単に取り消せない覚悟が必要な上、大変面倒なことになる。
分かっていながら、続きを口にした。
「当主様が帰ってくるまでに私を口説き落とせたら、今後は鷹人様が飽きるまでお付き合いすると約束します」
要するに、これは賭けの申し出だ。
偉そうな物言いだが、今までの鷹人の傲慢ぶりに比べたら可愛いものだろう。
呆れたりするくらいなら却下してくれても良い。
あまりに予想外の返事で、鷹人が理解するには液体が布に染み込む速度で数秒。
付き合うことには一応ながら頷いた訳なのだが、これは喜んで良いのかとさぞ複雑だろう。
片手を頭に当てて俯き、張っていた気が抜けるような苦笑で肩を小さく震わせる。
「飽きるまで、か……信用されてないな」
「だって、そうでしょう?もし本気で真剣に交際しても、駄目になる時はもうどうしようもないですから」
どうせ鷹人はいつか最上家を継ぐ身。
恋人なんて作ったところで、どうせいつか雛子のことは全て綺麗な思い出だけになる。
そもそも雛子の方も軽く落ちるつもりは無く、これは鷹人にすっぱり諦めてもらう為の提案でもあった。
付き合ってみた上で駄目と突き付ければ筋は通るだろう。
そうなった時は後腐れなく終われる筈だ、たとえ誰が泣いても笑っても。
「それで、どうします?」
「俺にもチャンスがあるなら、何でも良い……乗るよ」
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