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二章:春知らずの雛鳥
24:ルノワール*
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上がる熱で息苦しくなって、鷹人もシャツの襟を緩め始めた。
衣服を脱ぎ捨てて撒き散るサンダルウッドは情交の時にいつも包まれる香り。
嗅ぎ慣れてきた雛子の中に生まれたパブロフの犬。
上品な薄甘い匂いで欲を掻き立てられ、身体が湿り気を帯びる。
鷹人のことが好きかどうかは分からないが、嫌いではないと思う。
芯から痺れるようなキスも、この香りも。
「雛子……髪、下ろしてもらっても良いか?」
剥き出しのうなじに口付けて鷹人が囁く。
日下部邸は畏まった場なので、服装だけでなく髪もすっきりと隙なく整えてきた。
クリップを付けたまま横たわると頭に当たって痛むので、雛子の方もそうしたいところ。
手探りでヘアアクセサリー類を外すと、支えを失った長い髪が金色の雨となって肩へ降る。
鷹人の手で奪われたワンピースと下着は既にベッドを滑り落ちて、床の上で丸まった後。
クリーム色を溶かした白さの肉感的な身体が、レースカーテン越しの春光を惜しみなく浴びる。
「お前は……本当に綺麗だな……」
眩しげ愛しげに鷹人が目を細めて感嘆する。
ふわふわの金髪を絡め、ベッドの上で素肌を晒す雛子はやはりルノワールの裸婦画を思わせた。
大きめの林檎を丸ごと二つ並べたような乳房や白桃に似た尻は衣服によっては必要以上に肥え太って見えてしまうが、一糸纏わぬ時こそ素晴らしく映える。
本当は画家になりたかったという当主がもし筆を執っていたら、何とかその美しさをキャンバスに残そうと躍起になっていたろう。
深く暗い暗褐色の双眸も今は光の下。
しかし当主はその底無しの闇にこそ惹かれていた。
傷や悲しみを抱えて、魔物めいた強さを持つファム・ファタル。
好き勝手に扱える愛玩具を手に入れた筈が、頭や心を支配されて尽くしてしまう。
ルノワールの絵画には水浴びする乙女の姿もある。
魅了とは謂わば、その水を独占して飲み干そうと跪くに等しい行為だ。
ガブガブと味わう本人にとってはまるで天上の美酒。
理性を奪われて酔い痴れている様は幸福だが、乙女や傍から冷静に見ている者にとっては酷く滑稽。
そう、誰もが魅了される訳ではない。
最上家に引き取られてから当主を恐れて陰口は減ったとはいえ、言葉遣いが汚い親戚から「白くて気味が悪い」なんて睨まれていることなら知っていた。
異端に対しては所詮そんなもの。
愛らしい顔立ちに色素の薄い雛子は確かに目立つが、何も絶世の美少女でもなし。
「なるべく優しくする、俺のこと怖がらないでくれ……」
鷹人の声は情欲に濡れていても弱気な響き。
別に、怖かったことなど。
そう思いつつも雛子は黙ったまま瞼を半分伏せた。
この目に宿った感情の正体なんて自分でも分からないまま。
雛子がベッドに身を横たえれば、シーツに広がった長い髪は金の河川になる。
レモネードに似ていて甘くない色。
恭しく一房掬い上げると椿が香り立ち、誘われるように鷹人が唇を落とした。
先程から軽く甘いキスばかりの繰り返し。
形の良い唇、この奥に凶暴な牙を隠しているのは雛子も知っている。
そのうち焦れてきた鷹人が艷やかな溜息一つ。
キャンディでも味わうような舌を肌に這わせ始めた。
「っん……く、ふぅ……」
数日肌を重ねたのはただ情欲をぶつける為ではない。
弱いところなら見破られている。
それでもあまり声は上げず、吐息を震わせるだけ。
じわじわ蕩けてくる感覚の中で見上げながら、こうして身体を舐められているとどことなく鷹人は大きな犬のようだと思う。
尻尾を振って懐いているのか、捨てないでほしいと縋り付いているのか。
酷いことをした後に優しくするのは愛などではなく、飴と鞭とすら呼べない。
それでは単なるDVのハネムーン期だろう。
離れることを恐れているだけで、ほとぼりが冷めたら再び手を上げ始める。
「花を贈られて許したら、次に花を贈られるのはあなたが暴力を振るわれて亡くなった葬式」というやつだ。
違う、そんなことは起こらない、と心から叫べるとしたら何が必要か。
バグによって暴力しか愛の形を知らない者も居る。
それならば欠けているものは信頼関係だ。
愛と信頼は別物であって、イコールではない。
鷹人もその気になればいつでも雛子の細首を折ることだって出来るだろう。
さて、果たして鷹人との間にその信頼は生まれるのか。
そうやって雛子が苦くて冷たい思考を口の中で転がすのは、忘れるなと自分に言い聞かせる為だった。
身体がこんなに熱くなっているのに。
しかしそれすら当主に仕込まれたからであって、どうにも切ない気持ち。
「あ……っ、鷹……」
羞恥で零れ落ちた声は甘く、雛子は自分で戸惑った。
顔から首筋、乳房とゆっくり下を目指す鷹人の唇。
腹に吸い付かれ、閉じていた脚に手を掛けられた時のことだった。
「悪い、嫌なら……」
「嫌、ではないです……」
囁きで許可すると割られる膝の間。
鷹人が顔を埋めて口付けてきた花弁は、湧き出る蜜が溢れて泉になる。
これは魅了されている者の姿勢。
父子だけに好みが似ているなら鷹人も業が深いこと。
とはいえ魅了の形は当主と確かに違う、雛子の心身全てを欲しがるからこそ苦しいのだ。
この冷たい鳥籠から解放するのは見返りだなんて考えてなくとも、どうか好きになってほしいと。
恋人になれる望みが欠片でもあるなら縋ってしまう。
鷹人のことを可愛いと思うことがあるのは愚かしさを含むからだろうか。
そして、一欠片だけ同情する。
魅了されているのは本人の問題であり、ファム・ファタル自身はどうにも出来ないのだ。
「……雛子は全部綺麗だな、可愛い」
綺麗だと言われるたびに胸が痛む。
まだ愛も信頼も生まれてないのに、こうして自分から脚を開くのは罪深いことか。
多淫の血に呪われている身は男を欲しがる。
もしかしたら身体目当てなのは雛子の方かもしれない。
だとしたら鷹人の弱みに付け込んで、狡いのも酷いのもこちらだ。
衣服を脱ぎ捨てて撒き散るサンダルウッドは情交の時にいつも包まれる香り。
嗅ぎ慣れてきた雛子の中に生まれたパブロフの犬。
上品な薄甘い匂いで欲を掻き立てられ、身体が湿り気を帯びる。
鷹人のことが好きかどうかは分からないが、嫌いではないと思う。
芯から痺れるようなキスも、この香りも。
「雛子……髪、下ろしてもらっても良いか?」
剥き出しのうなじに口付けて鷹人が囁く。
日下部邸は畏まった場なので、服装だけでなく髪もすっきりと隙なく整えてきた。
クリップを付けたまま横たわると頭に当たって痛むので、雛子の方もそうしたいところ。
手探りでヘアアクセサリー類を外すと、支えを失った長い髪が金色の雨となって肩へ降る。
鷹人の手で奪われたワンピースと下着は既にベッドを滑り落ちて、床の上で丸まった後。
クリーム色を溶かした白さの肉感的な身体が、レースカーテン越しの春光を惜しみなく浴びる。
「お前は……本当に綺麗だな……」
眩しげ愛しげに鷹人が目を細めて感嘆する。
ふわふわの金髪を絡め、ベッドの上で素肌を晒す雛子はやはりルノワールの裸婦画を思わせた。
大きめの林檎を丸ごと二つ並べたような乳房や白桃に似た尻は衣服によっては必要以上に肥え太って見えてしまうが、一糸纏わぬ時こそ素晴らしく映える。
本当は画家になりたかったという当主がもし筆を執っていたら、何とかその美しさをキャンバスに残そうと躍起になっていたろう。
深く暗い暗褐色の双眸も今は光の下。
しかし当主はその底無しの闇にこそ惹かれていた。
傷や悲しみを抱えて、魔物めいた強さを持つファム・ファタル。
好き勝手に扱える愛玩具を手に入れた筈が、頭や心を支配されて尽くしてしまう。
ルノワールの絵画には水浴びする乙女の姿もある。
魅了とは謂わば、その水を独占して飲み干そうと跪くに等しい行為だ。
ガブガブと味わう本人にとってはまるで天上の美酒。
理性を奪われて酔い痴れている様は幸福だが、乙女や傍から冷静に見ている者にとっては酷く滑稽。
そう、誰もが魅了される訳ではない。
最上家に引き取られてから当主を恐れて陰口は減ったとはいえ、言葉遣いが汚い親戚から「白くて気味が悪い」なんて睨まれていることなら知っていた。
異端に対しては所詮そんなもの。
愛らしい顔立ちに色素の薄い雛子は確かに目立つが、何も絶世の美少女でもなし。
「なるべく優しくする、俺のこと怖がらないでくれ……」
鷹人の声は情欲に濡れていても弱気な響き。
別に、怖かったことなど。
そう思いつつも雛子は黙ったまま瞼を半分伏せた。
この目に宿った感情の正体なんて自分でも分からないまま。
雛子がベッドに身を横たえれば、シーツに広がった長い髪は金の河川になる。
レモネードに似ていて甘くない色。
恭しく一房掬い上げると椿が香り立ち、誘われるように鷹人が唇を落とした。
先程から軽く甘いキスばかりの繰り返し。
形の良い唇、この奥に凶暴な牙を隠しているのは雛子も知っている。
そのうち焦れてきた鷹人が艷やかな溜息一つ。
キャンディでも味わうような舌を肌に這わせ始めた。
「っん……く、ふぅ……」
数日肌を重ねたのはただ情欲をぶつける為ではない。
弱いところなら見破られている。
それでもあまり声は上げず、吐息を震わせるだけ。
じわじわ蕩けてくる感覚の中で見上げながら、こうして身体を舐められているとどことなく鷹人は大きな犬のようだと思う。
尻尾を振って懐いているのか、捨てないでほしいと縋り付いているのか。
酷いことをした後に優しくするのは愛などではなく、飴と鞭とすら呼べない。
それでは単なるDVのハネムーン期だろう。
離れることを恐れているだけで、ほとぼりが冷めたら再び手を上げ始める。
「花を贈られて許したら、次に花を贈られるのはあなたが暴力を振るわれて亡くなった葬式」というやつだ。
違う、そんなことは起こらない、と心から叫べるとしたら何が必要か。
バグによって暴力しか愛の形を知らない者も居る。
それならば欠けているものは信頼関係だ。
愛と信頼は別物であって、イコールではない。
鷹人もその気になればいつでも雛子の細首を折ることだって出来るだろう。
さて、果たして鷹人との間にその信頼は生まれるのか。
そうやって雛子が苦くて冷たい思考を口の中で転がすのは、忘れるなと自分に言い聞かせる為だった。
身体がこんなに熱くなっているのに。
しかしそれすら当主に仕込まれたからであって、どうにも切ない気持ち。
「あ……っ、鷹……」
羞恥で零れ落ちた声は甘く、雛子は自分で戸惑った。
顔から首筋、乳房とゆっくり下を目指す鷹人の唇。
腹に吸い付かれ、閉じていた脚に手を掛けられた時のことだった。
「悪い、嫌なら……」
「嫌、ではないです……」
囁きで許可すると割られる膝の間。
鷹人が顔を埋めて口付けてきた花弁は、湧き出る蜜が溢れて泉になる。
これは魅了されている者の姿勢。
父子だけに好みが似ているなら鷹人も業が深いこと。
とはいえ魅了の形は当主と確かに違う、雛子の心身全てを欲しがるからこそ苦しいのだ。
この冷たい鳥籠から解放するのは見返りだなんて考えてなくとも、どうか好きになってほしいと。
恋人になれる望みが欠片でもあるなら縋ってしまう。
鷹人のことを可愛いと思うことがあるのは愚かしさを含むからだろうか。
そして、一欠片だけ同情する。
魅了されているのは本人の問題であり、ファム・ファタル自身はどうにも出来ないのだ。
「……雛子は全部綺麗だな、可愛い」
綺麗だと言われるたびに胸が痛む。
まだ愛も信頼も生まれてないのに、こうして自分から脚を開くのは罪深いことか。
多淫の血に呪われている身は男を欲しがる。
もしかしたら身体目当てなのは雛子の方かもしれない。
だとしたら鷹人の弱みに付け込んで、狡いのも酷いのもこちらだ。
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