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三章:この羽根は君を暖める為に(最終章)
44:「ブロックを解除します」
しおりを挟むさて、ここから話は昨日まで遡ろうか。
ラブホテルのパフェで腹を満たした後、鳳一郎がロストルムに電話をかけている間に雛子も静かに深呼吸をしてからスマホに向き合っていた。
とりあえず待つのはコール十回だけ。
あちらも雛子をブロックや削除しているかもしれないし、そもそも酷く忙しい人だ。
出ないことに苛立つような、小さく安堵するような気持ちで呼び出し音を聴いていたのに。
繋がった瞬間、動揺してしまったのは不覚。
「はい、もしもし」
「……雛子?」
声を聞くのは半年ぶりか。
逸りを抑えながら雛子を呼んだのは、鷹人だった。
かつてこの耳に馴染んでいた独特の低音ももはや懐かしい。
「雛……っ良かった……もう二度と、口すら利いてもらえないと思ってた……」
スマホの向こう、呆けた口元から零れ落ちるような鷹人の声。
恐らくは取り繕いようがない本音なのだろう。
出会った時は威圧感のあった鷹人も、一緒に過ごすうち雛子の前では随分と素直になった。
同棲していたら隙だらけな面を幾つも見ることくらいあり、当主が亡くなってからは神経を削られて弱っていたものだから依存にすら近かったと思う。
昨日までならこちらも感傷的になっただろうか。
しかし、ずっと溶けずにいた金平糖は噛み砕いてしまった。
もうここは鳥籠の外なのだ。
雛子は欲を満たす愛玩具や癒やしを与えるペットではあらず、柔らかく温かで可愛いだけではいられない。
再び深呼吸の後、雛子は苦々しく溜息。
初恋の薄甘さを断ち切って無機質な声を作る。
「ホッとしているところ悪いですけど……これクレームの電話ですので、本題に移っても宜しいですか?」
「そう、か……いや、当然だ、お前には言う権利があるよ……最後まで、恨み言一つくれなかったもんな……」
何だ、その諦めたような反応は。
声というのはたった一言でも感情が表れる。
冷ややかな雛子の物言いに対して、鷹人は動揺もせず静かに噛み締めていた。
飽くまでも重々しく罪を受け止める姿勢。
しおらしい自分に酔っているだけなら腹立たしいが、そうした色は感じられず。
流石に雛子も鈍くないので、毒気を抜かれて一旦止まってみる。
ヨタカを送り込んでまで手の込んだリベンジポルノを仕掛けてきたにしては、これらの返答には確かな違和感があった。
振られたことで憎んでいるなら、きっとまた最初の頃のように冷たく高圧的な態度に戻っていたろうから。
雛子が知っている鷹人とはそういう男だ。
徹底して壁を作り、内側を晒す真似なんてしない。
ここで浮かび上がる仮説を一つ。
もしや鷹人はヨタカの蛮行を知らないのでは。
そういえば鷹人と行為の最中に写真を撮られたこともあったのだ。
リベンジポルノならそちらを使えば良いものを。
とはいえ、演技の可能性だってある。
あちらは二枚目のジョーカーとして隠し持っているのかもしれない。
ヨタカを使う辺り自分の手を汚したくないだけかもしれない。
どうしようか。
「あなたね……変なアルバム取っておくんじゃありませんよ……」
「は……ぁ……?」
慎重に探りを入れるつもりが、今度は呆れがしっかりと声に乗ってしまった。
一方、雛子からどんな罵詈雑言を浴びせられるかと身構えていた鷹人はやたら間抜けた返事。
ああ、これは、シロかもしれない。
そこから先は淡々と今日あった出来事の報告。
ヨタカが現れたこと、当主が隠し撮りしたアルバムを持っていたこと、脅迫してきたこと。
ただし痴漢の件だけは伏せておいた、鷹人は鳳一郎ほど信用が無い。
「何だそれは……馬鹿じゃないのか、あいつ……」
「そうですね、私も同意見です」
きっとスマホを持ったまま、もう片手で鷹人が頭を抱えているのだろう。
頭痛持ちだけにあまりのことで目眩を覚えている筈。
「雛子……申し訳ない、怖かったよな……」
「別に?一度お相手するだけで済むならその方がラクですけどそんな保証ないから面倒ですし、言いなりになるの癪なので……それだけです」
素っ気ない雛子の返事に対して、鷹人が息を詰まらせた気配。
性的虐待や性犯罪の被害者が奔放になってしまうのはよくあることなのだ。
「あんなことは何でもなかった」と我が身に言い聞かせる為の自傷行為代わり。
そんな強がりくらい言っても良いだろう。
何しろ鷹人こそ加害者の一人。
あれは当主やヨタカと違って恋心が暴走した結果だったが、だからこそ最も深い傷として残っていたこと。
そして実のところ、鷹人に電話をしてみて安堵していたのは雛子もだった。
何だ、普通に喋れるじゃないか。
以前と関係は明確に変わってしまっていても、そんなものは些末なこと。
むしろ鎖が無い分だけ身軽になったかもしれない。
そして、この件に関して鷹人が絡んでいなくとも電話をしていたろう。
現在、最上の最高責任者は若当主である彼なのでどちらにせよ雛子はここに苦情を告げるつもりだった。
どうせ橋永家を当たったところで納得の行く対応なんてしてもらえまい。
ただでさえ多忙だろうに余計な仕事を増やして鷹人には悪いが、こちらの知ったことではないのだ。
なので鷹人からの謝罪は一族の代表としてのものかとも思ったのだが。
そこに続く言葉は意外なもの、或いは、腑に落ちるもの。
「……まぁ、お前になら教えても良いだろう。橋永ヨタカの実父はな、最上大鷲……あいつは俺の異母弟だ」
久しぶりにその名を聞いた時、雛子の中で宙ぶらりんになっていたピースが音を立てて嵌った。
バスを降りる際にヨタカが見せたいやらしい笑い方。
そうだ、あれは当主によく似ていたのだ。
本人はもう骨だけになろうと、ふとした時に遺伝子は顔の造作よりも色濃く浮き上がる。
一族を縛る血の呪いとはやはり脈々と受け継がれていた。
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