鳳凰の巣には雛が眠る〜かつて遊び人だった俺と慰み者だった君が恋人になるまで〜

タケミヤタツミ

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一章:秘密は殻の中(鳳一郎視点)

08:入水

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夏休みに入った七月後半は雛子の誕生日もある。
来島家の女性陣がお祝いしていたものの、鳳一郎からは「おめでとう」くらいで特に何かプレゼントなどは用意していなかった。
というより、何が欲しいのか分からない。
昔は黒頭巾のウサギのキャラクターが好きだったと記憶していたがグッズを贈るのは少しばかり子供っぽいかもしれず、そもそも今も好きなのかどうか。

ロストルムへパフェを食べに行こうと思い立ったのもバースデーケーキ代わりを含んでいた。
今の雛子が好きな物を奢った方が良いだろうと。
種類が豊富なので一つくらいお気に召す物がある筈。


燃え盛っていた太陽が西に落ちようとする夕暮れも、蒸し暑さはまだ続く。
夏服と湯上がりの肌の間を吹き抜けた風一陣。

鳳一郎の誘いに頷いて雛子は黙って着いてきた。
自室に戻ってお洒落してから、徒歩十分の道を行く。

雛子は白地にミントブルーのラインが入ったシンプルなセーラーワンピース。
こちらに来てから姉が贈った服なので真新しく、風の中を歩くたびAラインの裾が軽やかに踊る。
淡い金髪もサイドテールに結び、どことなく夏らしい活発な印象。
髪を上げているのでイヤリングもよく見える。

鳳一郎も雛子に合わせて水色を選び、タンクトップの上にシアンブルーのサマーパーカーを羽織った。
両腕に黒い紐の編み上げと蝶結びで、メンズ服ながらもちょっとした可愛らしさのあるデザイン。
ボトムも靴も黒で纏めてすっきりと。



「アラアラ、マァマァ……!」
「その先は言わんで良いですよ、ママ」
「だって鳳ちゃん、女の子連れて来るの初めてじゃない?」
「いや、男も連れてきたこと無いですけど……」

馴染みの店を選ぶとこういうことが起きる。
はしゃぐカウンターのママと鳳一郎が軽く言葉を交わすと、雛子も黙って会釈した。
途中で孔雀が交代するが、開店の午後三時から八時まではママのハヤブサが接客する。
穏やかにこやか、丸々した中年女性にしか見えないので正体にはなかなか気付けまい。


濱宮はまみや隼介しゅんすけといえば、かつて八十年代は「男の中の男」としてロックで一世を風靡した男性アイドルだった。

古い作品も配信サービスなどで気軽に見られるようになった時代、特撮で変身ヒーローを演じて地球の平和を守っていた姿も残っている。
ジムで鍛えているシーンでは細く締まった上半身を晒していたっけ。
それが還暦の近い今やロストルムを切り盛りするママか。
曰く、公私ともに何十年も男らしさを強いられ続ける人生に疲れ果てたと。
ちなみに孔雀の方は単なる趣味。
昼間は普通に男性の姿で普通に在宅の仕事をしているそうだ。

昔の漫画では女装している男といえば「大きくて逞しくて化粧が濃い不細工」として描かれているが、ハヤブサに関しては当てはまらない。

おっとりした雰囲気でふっくらした体型だと男性でも母性が滲み出てしまうらしく、きっとその辺の中年女性に混じっていたら見分けがつかないだろう。
美しいかは別として確かに黙っていれば女性として通じる。
当時の面影はあるので若い頃の写真を見せながら「息子です」とでも言われたら納得してしまいそうだ。
お笑い芸人がコントなどで女装した時に「自分の母親そっくりになった」という現象。
そもそも男児持ちの中年女性は割と逞しい。


船をテーマにした店内は天井の巨大な舵から吊り下がるランプに、丸い舷窓の並ぶ壁。
初めて来た雛子はやはり物珍しさで見渡していたが、テーブル席で鳳一郎が椅子を引いてやると素直に腰掛けた。

運動と風呂の後なので心地良く身体が疲れており、空腹を思い出す頃。
ロストルムでの食事系メニューはスキレットで熱々の提供なのでワイルドな雰囲気である。
香ばしく焼けたソーセージとポテトの盛り合わせ。
貝や海老などの魚介の下、スープをたっぷり吸い込んだ米のパエリア。
店の内装と相まって、ちょっとした海賊の宴といったところ。

「あの、鳳一郎、本当に奢りで良いの?」
「ボンボンの財布の心配なんかすんなよ」

誕生日祝いも兼ねているのに、気を遣われてしまった。
これからメインのパフェだって来るのに。


鳳一郎はミックスベリーパフェ。
苺の時と大体同じなのだが、冷凍のミックスベリーを使っているのでいつでも食べられる定番メニュー。
塩気の効いたナッツクッキー、レアチーズケーキ、バニラアイスを重ねている。
その上にミックスベリーをたっぷり盛り、ラズベリーと薔薇のシロップを浴びせて鮮烈な甘酸っぱさ。
佇まいも香りもビビッドで華やか。
じゅわりとした果汁で思わず唾液が溢れる。

一方、雛子はアップルパイパフェを選んだ。
砕いたパイ生地、シナモンシュガーで炒めた林檎、バニラアイスが層を連ねている。
要するにアップルパイのアイスクリーム添えをそのままガラスの器に重ねた訳である。
最初の一口目はたっぷり振り掛けられたシナモンで薬っぽい香りを一瞬感じるが甘い林檎とバニラが受け止め、店で焼いたパイ生地を使っておりザクザクとした食感がアクセント。
外見にあまり派手さはなくとも、手堅い美味しさ。


ああ、そういえば、来島家に訪問する際にはよく雛子の母がアップルパイを焼いて持って来ていた。

日頃、来島家では火の通した林檎に馴染みが薄い。
切るのが面倒な時なんて丸齧りしてしまう。
それに加えてアップルパイはケーキ屋よりもパン屋の方によく置いてあり、正確にはパイ生地でなくデニッシュ生地での物も多い。
なので子供の頃、鳳一郎にとって本物のアップルパイは雛子の母が作った物を指していた。

鳳一郎の母はシナモンが苦手なので「市販品のアップルパイはシナモンが強くて食べられないので、抜きで作ってくれてありがたい」と笑っていたのを覚えている。
雛子の母がこうしてわざわざ気遣いした物を与えてくれるのは愛か。

とはいえ林檎とシナモンは相性抜群。
雛子の母は「一味スパイスが欲しい人にはどうぞ」とシナモンシュガーの小瓶も別で添えていた。
雛子は掛ける方だったので、鳳一郎も真似したものである。
確かに最初は薬臭さを我慢したが、もう慣れてしまってからは好物のうち。

同級生でも半年違いは大違い、雛子の方が背も高かったので子供の頃は張り合う気持ちがあった。
小学生にして彼女はブラックコーヒーを飲んでいたので鳳一郎も真似したが、三口程度でギブアップ。
ちなみに今も飲めないでいる。


不得意なブラックコーヒーは、雛子の底知れない目の色によく似ていた。

前から物静かな方だったが今は音すら吸い込むような眼差しを向けてくる。
気付けばカップに突き落とされていた。
這い上がろうとしても陶器の壁で滑って、もう溺れるしかない錯覚。

どうにも格好悪くて仕方ないが、それが惹かれているということだ。
認めてしまえばずっと呼吸が楽になる。


「雛子、俺と付き合って下さい」

告白の低音は一息で明瞭に。
パフェの載ったテーブルを挟んで向かい側、雛子へ向けて鳳一郎が手を差し出した。


パフェを食べようとして口を開いた雛子がそのまま固まる。
いつも無表情なので驚いた顔は何だか新鮮だった。
鳳一郎の告げた言葉の意味がゆっくりと浸透したのか、最初の反応は「馬鹿」と言いかけた空気。

それも苦々しげに呑み込んで、息を吐く。
パフェの甘さはどこかへ消えてしまったように。

「やることやったから情が湧いただけじゃないの……」
「そこまでピュアじゃねぇわ」
「忘れたって良いのに」
「無理、嫌だ、ちゃんと付き合って俺はお前のこともっと知りたい」

返事はいつでもと言いたいところだが、出来れば今すぐ雛子の心を聞きたい。
驚き、呆れ、さてその後は。
差し出した手はテーブルの上で広げられたまま。


無表情になるとブラックコーヒーの目は考えていることを読ませない。
照れているのか困っているのか雛子が手遊びで片耳を弄っていたものだから、イヤリングが真っ直ぐと床へ落ちた。
チョコミントカラーの小さなハート。

この時、雛子よりも先に鳳一郎が動いた。
骨を投げられた犬のような条件反射。

鳳一郎はピアスだが、耳に突き刺さっていても失くす時は失くす。
うっかりキャッチが外れたら呆気ない。
そういう訳で、落とした時の焦りはよく分かる。


影の濃いテーブルの下、小さく金属音のした方向を探って巡らせる視線。
巨漢の鳳一郎には少しばかり腰が辛い体勢ではあれど。
そして一寸遅れてから雛子もしゃがみ込んできた。
二人で探せば見つかる筈、と思っていたのに。

雛子が手を伸ばしたのはイヤリングを見つけたからではなかった。
今度こそ鳳一郎に指先を絡めて、笑った気配。


「……後悔しない?」

問いただしておきながら、唇を重ねて塞がれた。

暗褐色の目は、もう真っ暗闇の沼。
自分から足を取られた水音。
このまま奈落へ落ちても良いと思って、目を閉じる。



「ッ痛!」

鈍い音と散った星。
暗くて狭いテーブルの下、頭をぶつけて鳳一郎はふと我に返った。

馴染みの店、こんなところでさかるなんてどうかしている。
からかわれたりしたら次からどんな顔で来たら良いのやら。
見られてやしないかと思わず冷や汗が一粒流れたが、店内は相変わらず賑やかで平穏。

変わってしまったのは鳳一郎と雛子の関係だけ。

「あらまぁ、大丈夫?」
「まぁな……」

キスされた熱で目眩を覚えつつ、痛む部分を擦りながら立ち上がった。
雛子にも手を貸すともう通常通りの顔。
反対側、いつの間にか握っていたハートのイヤリング。
涼しい態度で付け直してチョコミントが両耳に揃う。


「あー……付き合ってくれる、ってことで良いのか……?」

あまりにも平然としていたものだから、つい確認を入れてしまった。
弄ばれただけかもしれないと疑っていたので雛子が頷いてくれてどれだけ鳳一郎は安堵したことか。

「ん、でも私、お付き合いとか初めてだからよく分からないんだけど」
「それ、嫌って意味じゃねぇことを祈るわ」

苦笑した鳳一郎の口に、雛子からアップルパイパフェが一匙突き出された。
バニラアイスでとろりと白く染まったハートのパイ生地。

甘くて、刺激的で、一味違う。
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