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第7話 商会が生まれた日
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エリシアが商会を立ち上げたのは、追放されてからではない。
もっと前――
学園に在学しながら、王太子の婚約が内定した直後のことだった。
正式な婚約発表はまだ。だが「婚約者候補」として、彼女は少しずつ王宮の実務に関わり始めていた。
その頃、エリシアは奇妙な違和感を覚えていた。
王宮は、確かに回っている。だがそれは、“誰か”が裏で整えているからだ。
書類。
契約。
人と人の間に生まれる、細かな歪み。
それらを放置すれば、
少しずつ、だが確実に綻びが広がっていくことを、彼女は理解していた。
そして同時に、それを本気で見ている人間が、ほとんどいないことにも。
違和感が確信に変わったのは、公爵家の帳簿を確認したときだった。
数字が合わない。
支出は増えているのに、
収入が追いついていない。
母の社交費。
父の場当たり的な取引。
「公爵家だから」という理由だけで結ばれた、不利な契約の数々。
ある日、
エリシアは父に進言した。
「この契約、条件が悪すぎます。見直した方が――」
返ってきたのは、ため息混じりの言葉だった。
「細かいことを気にするな。家のことは、いずれ誰かが何とかする」
その瞬間、エリシアは理解してしまった。
――誰も、何とかしない。
危機に気づいていながら、目を逸らす人間しかいない。遡って帳簿や資料を確認すると、祖父が亡くなってから、家の蓄えは徐々に減り、歪みが静かに広がっていた。
それが、彼女が商会を立ち上げる決定打だった。
エリシアは、ヴァンローズ家の名を使わなかった。使えば簡単だ。信用も、取引も、すぐに得られる。
だが、それでは意味がなかった。
欲しかったのは、逃げ場ではない。
選択肢だった。
もし、王宮で何かが起きたとき。
もし、家が彼女を守らなかったとき。
そのとき、自分一人で立てる場所。
家の名で始めれば、気づかれた瞬間に、
すべてを奪われる可能性がある。
だから彼女は、名もない小さな商会として始めた。最初に扱ったのは、王宮と貴族家をつなぐ“調整業”だった。
余剰品の再流通。
契約条件の見直し。
仲介手数料の最適化。
輸送ルートの整理。
誰もやりたがらないが、やらなければ必ず歪みが出る仕事。
だがエリシアにとっては、日常の延長だった。
だから分かっていた。これは、商いとして成立する、と。商会の成功は、派手ではなかった。だが、確実だった。
数字が合う。
納期が守られる。
契約が曖昧にならない。
「頼めば、必ず整う」
その評判が、静かに広がっていった。
誰も、その商会の主が王太子の婚約者だとは知らなかった。
それでよかった。
だからこそ――
追放されたとき、エリシアは慌てなかった。
すでに彼女は、「何者でもない自分」で
生きていける基盤を持っていたからだ。
商会は、彼女の野心ではない。
保険だった。
そして同時に、自分を安売りしないための、最後の一線だった。
もっと前――
学園に在学しながら、王太子の婚約が内定した直後のことだった。
正式な婚約発表はまだ。だが「婚約者候補」として、彼女は少しずつ王宮の実務に関わり始めていた。
その頃、エリシアは奇妙な違和感を覚えていた。
王宮は、確かに回っている。だがそれは、“誰か”が裏で整えているからだ。
書類。
契約。
人と人の間に生まれる、細かな歪み。
それらを放置すれば、
少しずつ、だが確実に綻びが広がっていくことを、彼女は理解していた。
そして同時に、それを本気で見ている人間が、ほとんどいないことにも。
違和感が確信に変わったのは、公爵家の帳簿を確認したときだった。
数字が合わない。
支出は増えているのに、
収入が追いついていない。
母の社交費。
父の場当たり的な取引。
「公爵家だから」という理由だけで結ばれた、不利な契約の数々。
ある日、
エリシアは父に進言した。
「この契約、条件が悪すぎます。見直した方が――」
返ってきたのは、ため息混じりの言葉だった。
「細かいことを気にするな。家のことは、いずれ誰かが何とかする」
その瞬間、エリシアは理解してしまった。
――誰も、何とかしない。
危機に気づいていながら、目を逸らす人間しかいない。遡って帳簿や資料を確認すると、祖父が亡くなってから、家の蓄えは徐々に減り、歪みが静かに広がっていた。
それが、彼女が商会を立ち上げる決定打だった。
エリシアは、ヴァンローズ家の名を使わなかった。使えば簡単だ。信用も、取引も、すぐに得られる。
だが、それでは意味がなかった。
欲しかったのは、逃げ場ではない。
選択肢だった。
もし、王宮で何かが起きたとき。
もし、家が彼女を守らなかったとき。
そのとき、自分一人で立てる場所。
家の名で始めれば、気づかれた瞬間に、
すべてを奪われる可能性がある。
だから彼女は、名もない小さな商会として始めた。最初に扱ったのは、王宮と貴族家をつなぐ“調整業”だった。
余剰品の再流通。
契約条件の見直し。
仲介手数料の最適化。
輸送ルートの整理。
誰もやりたがらないが、やらなければ必ず歪みが出る仕事。
だがエリシアにとっては、日常の延長だった。
だから分かっていた。これは、商いとして成立する、と。商会の成功は、派手ではなかった。だが、確実だった。
数字が合う。
納期が守られる。
契約が曖昧にならない。
「頼めば、必ず整う」
その評判が、静かに広がっていった。
誰も、その商会の主が王太子の婚約者だとは知らなかった。
それでよかった。
だからこそ――
追放されたとき、エリシアは慌てなかった。
すでに彼女は、「何者でもない自分」で
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