11 / 11
第9話 隣国という舞台 ー国の気配と風景ー
しおりを挟む
隣国の王都は、王国のそれとはまるで空気が違っていた。気温は穏やかに暖かく、農作物が育ちやすい。資源も豊富で、土地そのものに余裕がある。
だが、違いはそれだけではない。
街並みを形作る建築物の思想そのものが、王国とは決定的に異なっていた。
王国の建物は、まず「見せる」ことを前提に造られている。
正面からの威圧感。
左右対称の美しさ。
高く掲げられた紋章と、無駄に広い階段。
誰が上で、誰が下か。その序列を、建物そのものが語っていた。
一方、隣国の建物は違う。
正面だけが立派、という造りは少ない。
入口は複数あり、用途によって使い分けられている。通路は広く、行き止まりが少ない。
人が滞らないように。物が止まらないように。
それが、設計段階から徹底されていた。王城ですら、その思想は変わらない。
王国の王城が「象徴」であるなら、
隣国の王城は「機能」だった。
天井は高いが、音が反響しすぎない。
柱の位置は視界を遮らないよう計算され、
装飾は最小限で、埃が溜まりにくい。
廊下には無駄な段差がなく、書類や荷を運ぶ者が走れるだけの幅が確保されている。
「……建物が、働いていますね」
エリシアは、思わずそう口にした。
建物が人に命令するのではない。
人の動きを、妨げない。
その思想は、この国が「誰を主役にしているか」を雄弁に語っていた。
――この国では、黙って働く者ほど、無視されない。
建物が、そう教えている。
そして、音が違う。
石畳を踏む馬車の音。
港から運ばれる荷の軋む音。
市場で交わされる商人たちの声。
それらが、妙に落ち着いている。
王国の王都にあった、
焦燥と緊張が混じったざわめきが、ここにはない。
隣国は海と陸の交易路が交わる位置にあり、港町を起点に発展した国だった。王城は港から少し離れた高台にあり、碧い海と秩序だった人の流れを見下ろしている。
この国では、
「動いていること」そのものが価値だった。
誰が言ったか。
誰の名義か。
どの家の血か。
そうしたものは後回しにされる。
代わりに問われるのは、
「それで、何が整ったのか」
ただ、それだけだ。
辺境の屋敷から王都へ向かう馬車の中、エリシアは窓越しに街並みを眺めながら呟いた。
「……落ち着いていますね」
港へ続く道は広く、荷を積んだ馬車がすれ違っても滞らない。
露店の配置も一見無秩序に見えて、人の流れを妨げないよう計算されている。
「無駄が、少ないです」
それは感想であり、評価だった。
ロザリーは静かに頷く。
「王国と違って、ここは“止まる”ことを嫌いますから」
止まるということは、滞るということ。
滞るということは、損失を生むということ。
それが、この国の常識だった。
エリシアの商会が隣国で最初に関わったのは、港の管理局だった。
鉱石輸送の件で、港湾管理、貴族家、商会、軍需担当がそれぞれ異なる条件を出し、話が完全に止まっていた。
誰も嘘は言っていない。だが、誰も全体を見ていない。
だから話が噛み合わない。
時間だけが過ぎ、決断が下されない。
「まず、責任の所在を一つにしましょう」
エリシアの言葉に、嘲笑はなかった。
返ってきたのは、淡々とした問いだけだ。
「誰が、責任を持つ?」
「港湾管理局です。ただし――」
彼女は条件を一つずつ整理していく。
どこで引き渡すのか。誰が輸送費を負担するのか。遅延が起きた場合、どこまでが不可抗力か。
紙の上で線が引かれ、言葉が定義されていく。
その様子を、周囲は黙って見ていた。魔法のように問題が消えていく過程を、ただ静かに。
誰も、彼女の年齢を口にしなかった。
重要なのは、話が進んでいること。それだけだった。
数刻後、止まっていた契約は、ようやく形を成した。
「……問題は、解消されましたね」
エリシアは頷く。
「はい。あとは、期限を守るだけです」
それが、商会の仕事だった。
目立たず、誇らず、だが確実に。
王城の一角に設けられた簡易執務室で、エリシアはいつものように机に向かう。
書類の束。
整理された契約案。
湯気の立つ茶。
「お茶が冷めますよ、エリシア様」
「大丈夫です。あと少しだけ」
ペンを走らせながら、彼女は迷いなく判断を下していく。
どこを削るか。
どこを残すか。
譲れる部分と、譲れない部分。
それは感情ではなく、経験から導かれる選択だった。
十七歳という年齢は、ここでは意味を持たない。王国では、彼女が前に出れば反対意見が出た。だから影に回るしかなかった。
だが、ここでは違う。
若い、とは思われる。だがそれ以上に、
「この人は、分かっている」
そう思わせる積み重ねが、すでにあった。
王城の高い窓から差し込む光が、机の上の書類を照らす。同じ光のはずなのに、王国で浴びていたものとは違って感じられる。
ここでは、誰かの影に入らなくていい。
誰かの名を借りなくていい。
仕事が、仕事として見られる。
その事実が、静かに、だが確かに胸を満たしていた。
エリシアはまだ知らない。この国で、彼女の仕事ぶりが、すでに“王子の耳”に届いていることを。
だがそれは、偶然でも幸運でもない。
彼女が積み上げてきたものが、正しく見える場所に、辿り着いただけだった。
そしてエリシアは、一つ一つ仕事をこなしていくことに、小さな幸福を覚え始めていた。
だが、違いはそれだけではない。
街並みを形作る建築物の思想そのものが、王国とは決定的に異なっていた。
王国の建物は、まず「見せる」ことを前提に造られている。
正面からの威圧感。
左右対称の美しさ。
高く掲げられた紋章と、無駄に広い階段。
誰が上で、誰が下か。その序列を、建物そのものが語っていた。
一方、隣国の建物は違う。
正面だけが立派、という造りは少ない。
入口は複数あり、用途によって使い分けられている。通路は広く、行き止まりが少ない。
人が滞らないように。物が止まらないように。
それが、設計段階から徹底されていた。王城ですら、その思想は変わらない。
王国の王城が「象徴」であるなら、
隣国の王城は「機能」だった。
天井は高いが、音が反響しすぎない。
柱の位置は視界を遮らないよう計算され、
装飾は最小限で、埃が溜まりにくい。
廊下には無駄な段差がなく、書類や荷を運ぶ者が走れるだけの幅が確保されている。
「……建物が、働いていますね」
エリシアは、思わずそう口にした。
建物が人に命令するのではない。
人の動きを、妨げない。
その思想は、この国が「誰を主役にしているか」を雄弁に語っていた。
――この国では、黙って働く者ほど、無視されない。
建物が、そう教えている。
そして、音が違う。
石畳を踏む馬車の音。
港から運ばれる荷の軋む音。
市場で交わされる商人たちの声。
それらが、妙に落ち着いている。
王国の王都にあった、
焦燥と緊張が混じったざわめきが、ここにはない。
隣国は海と陸の交易路が交わる位置にあり、港町を起点に発展した国だった。王城は港から少し離れた高台にあり、碧い海と秩序だった人の流れを見下ろしている。
この国では、
「動いていること」そのものが価値だった。
誰が言ったか。
誰の名義か。
どの家の血か。
そうしたものは後回しにされる。
代わりに問われるのは、
「それで、何が整ったのか」
ただ、それだけだ。
辺境の屋敷から王都へ向かう馬車の中、エリシアは窓越しに街並みを眺めながら呟いた。
「……落ち着いていますね」
港へ続く道は広く、荷を積んだ馬車がすれ違っても滞らない。
露店の配置も一見無秩序に見えて、人の流れを妨げないよう計算されている。
「無駄が、少ないです」
それは感想であり、評価だった。
ロザリーは静かに頷く。
「王国と違って、ここは“止まる”ことを嫌いますから」
止まるということは、滞るということ。
滞るということは、損失を生むということ。
それが、この国の常識だった。
エリシアの商会が隣国で最初に関わったのは、港の管理局だった。
鉱石輸送の件で、港湾管理、貴族家、商会、軍需担当がそれぞれ異なる条件を出し、話が完全に止まっていた。
誰も嘘は言っていない。だが、誰も全体を見ていない。
だから話が噛み合わない。
時間だけが過ぎ、決断が下されない。
「まず、責任の所在を一つにしましょう」
エリシアの言葉に、嘲笑はなかった。
返ってきたのは、淡々とした問いだけだ。
「誰が、責任を持つ?」
「港湾管理局です。ただし――」
彼女は条件を一つずつ整理していく。
どこで引き渡すのか。誰が輸送費を負担するのか。遅延が起きた場合、どこまでが不可抗力か。
紙の上で線が引かれ、言葉が定義されていく。
その様子を、周囲は黙って見ていた。魔法のように問題が消えていく過程を、ただ静かに。
誰も、彼女の年齢を口にしなかった。
重要なのは、話が進んでいること。それだけだった。
数刻後、止まっていた契約は、ようやく形を成した。
「……問題は、解消されましたね」
エリシアは頷く。
「はい。あとは、期限を守るだけです」
それが、商会の仕事だった。
目立たず、誇らず、だが確実に。
王城の一角に設けられた簡易執務室で、エリシアはいつものように机に向かう。
書類の束。
整理された契約案。
湯気の立つ茶。
「お茶が冷めますよ、エリシア様」
「大丈夫です。あと少しだけ」
ペンを走らせながら、彼女は迷いなく判断を下していく。
どこを削るか。
どこを残すか。
譲れる部分と、譲れない部分。
それは感情ではなく、経験から導かれる選択だった。
十七歳という年齢は、ここでは意味を持たない。王国では、彼女が前に出れば反対意見が出た。だから影に回るしかなかった。
だが、ここでは違う。
若い、とは思われる。だがそれ以上に、
「この人は、分かっている」
そう思わせる積み重ねが、すでにあった。
王城の高い窓から差し込む光が、机の上の書類を照らす。同じ光のはずなのに、王国で浴びていたものとは違って感じられる。
ここでは、誰かの影に入らなくていい。
誰かの名を借りなくていい。
仕事が、仕事として見られる。
その事実が、静かに、だが確かに胸を満たしていた。
エリシアはまだ知らない。この国で、彼女の仕事ぶりが、すでに“王子の耳”に届いていることを。
だがそれは、偶然でも幸運でもない。
彼女が積み上げてきたものが、正しく見える場所に、辿り着いただけだった。
そしてエリシアは、一つ一つ仕事をこなしていくことに、小さな幸福を覚え始めていた。
232
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
あなたなんて大嫌い
みおな
恋愛
私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。
そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。
そうですか。
私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。
私はあなたのお財布ではありません。
あなたなんて大嫌い。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※短編です。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4800文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
今さら救いの手とかいらないのですが……
カレイ
恋愛
侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。
それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。
オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが……
「そろそろ許してあげても良いですっ」
「あ、結構です」
伸ばされた手をオデットは払い除ける。
許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。
※全19話の短編です。
「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。
パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、
クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。
「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。
完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、
“何も持たずに”去ったその先にあったものとは。
これは誰かのために生きることをやめ、
「私自身の幸せ」を選びなおした、
ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる