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第三話 最初の裁定 ――小さな罪人
その男は、自分が裁かれる側になるとは、
夢にも思っていなかった。
名を、ギルベルト・ローデンという。
下級貴族――男爵。王都南区に屋敷を構え、表向きは穀物商会を営む実直な商人だった。
帳簿は常に整い、税の納付も遅れない。
教会への寄進も欠かさない。
だが、それはすべて――上塗りされた顔に過ぎなかった。
裏で彼が扱っていたのは、穀物ではない。
借金を抱えた平民の子ども。
孤児院から「引き取られた」行き先不明者。
夜の港で消える浮浪者。
それらを商品として横流しし、奴隷商へと繋ぐ。
逆らう者は、誘拐。
口を割りそうな者は、恐喝。
証言しそうな者は、事故死。
必要とあらば、証拠も、人も、金で消した。
その延長線上に――あの日の裁判があった。
公爵令嬢リリアーネ・アルフェルト。
彼女の断罪裁判において、ギルベルトは「決定的証言」を行った一人だ。
「確かに見ました。公爵令嬢が、毒を用意していたのを」
偽りだと、自分が一番よく知っていた。
だが王子から渡された袋は重く、教会も黙認している。
彼は、迷わなかった。
嘘をつくことも、人を殺すことも、彼にとっては同じ“取引”だった。
報酬を受け取り、罪悪感もなく、日常へ戻る。
今日も、いつも通りの朝だった。
「次の取引は……港か」
執務机に向かい、帳簿をめくった瞬間――
空気が、揺れた。
揺れではない。風でも、地震でもない。
空間そのものが、一瞬だけ、折れた。
紙が微かに浮き、燭台の火が逆向きに揺れる。
「……?」
気のせいだと、思おうとした。
だが次の瞬間、背後に“誰かが立っている”気配がした。
重い。
音が、ない。
振り返る。
そこにいたのは――黒衣の女。
顔は仮面で覆われ、感情の読めない眼差しだけが向けられている。
「だ、誰だ……!」
剣に手を伸ばそうとして、指が動かない。
恐怖ではない。
拒否されている。
空間そのものに。
「安心してください」
女の声は、低く、静かだった。
「あなたを殺しには来ていません」
それが、逆に恐ろしかった。
「な、何の用だ……!金なら払う……!」
女は答えない。
代わりに――空間が、再び歪んだ。
青い光を放つ箱が、何もない宙から“現れる”。
召喚ではない。
移動でもない。
最初から、そこに在ったかのように。
男の心臓が、跳ね上がる。
「な……それは……」
箱が、開く。
中から現れたのは、一枚の証言記録。
自分の署名。
裁判所の刻印。
だが――その下に、別の書類が重ねられていた。
奴隷売買の契約書。
誘拐の支払い記録。
贈賄の金の流れ。
改ざんされた帳簿。
すべて、彼が“消したはず”のもの。
「……なぜ……」
喉が、鳴る。
「質問は、不要です」
女は淡々と言った。
「これは、確認です」
青い光が、男の足元に広がる。
逃げようとしても、足が動かない。
――裁定魔法、起動。
罪状と証拠、照合開始。
ギルベルト・ローデン。
罪状:
偽証、贈賄、横領、
誘拐、奴隷売買、恐喝。
一致率、百パーセント。
逃げ道は、ない。
「ま、待て……!あれは王子の命令で……!」
「記録済みです」
女の声に、一切の揺らぎはなかった。
「あなたは」
一歩、近づく。
「選びました」
「え……?」
「嘘をつくことを」
光が、消える。
同時に、男の身体から力が抜けた。
崩れ落ちる。
床に打ち付けられた瞬間、半身の感覚が、失われた。
悲鳴を上げようとして、声にならない。
――裁定の副作用。罪を認めぬ者が、
その身体で“結果”を知るための、最低限の代償。
気づけば――屋敷の外に、衛兵の足音が響いている。
「ギルベルト・ローデン!王国法により、逮捕する!」
「な……なぜ……!」
縋るように、女を見る。
だが――そこに彼女はいなかった。
残っているのは、机の上に置かれた一枚の紙。
裁定、完了。
翌日。王都に、小さな噂が流れた。
「偽証をした貴族が捕まったらしい」
「裏が、かなり黒かったとか」
誰も、それ以上は気にしなかった。
だが――それでいい。
裁きは、喝采を浴びるためにあるものではない。
ただ、成立すればいい。
空間魔法の家で、私は静かに記録を閉じる。
最初の裁定。
感情は、なかった。
ただ一つ、確信だけが残る。
――このやり方なら、誰も逃げられない。
私は仮面を外さない。
次に裁かれるのは、もっと大きく、もっと多くを巻き込む歯車だ。
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