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二
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思い出した私
本邸の片付けや執務を、義母に押し付けられた帰りだった。
書類を抱え、指先にまだ紙のざらつきを残したまま、私は本邸の階段を降りていた。
高い天井。磨き上げられた大理石の床。
靴音が、やけに大きく響く踊り場。
――そのとき。
背後に、ぬるりとした気配を感じた。
振り返るより先に、視界の端に映る影。
義妹だった。淡い色のドレス。聖女を名乗るようになってから、好んで身にまとう清楚な装い。
けれど、口元だけが違う。
薄く歪んだ笑み。人の不幸を確信したときだけ浮かべる、あの笑い方。
「……」
彼女は、何も言わない。
ただ、私の背中を見つめて――
次の瞬間。背中に、強い衝撃。
「……っ」
身体が前に投げ出される。足が空を切り、
重力に引きずられる感覚。
視界がぐるりと回り、天井と階段と壁が、
ぐちゃりと混ざり合った。
額が風を切り、肩が段にぶつかり、背中に鈍い痛みが走る。
ごつん。
ごつん。
骨に響く音。最後に、床へと叩きつけられた。息が、できない。肺が潰れたみたいに、空気が入らない。
痛み。視界が滲む。そのとき。
――違う。
この感覚は、知っている。頭の奥で、
何かがひび割れる音がした。ぱきり、と。
長い間張りついていた薄い膜が、一気に砕け落ちるみたいに。
◆
白い天井。規則的に並ぶ蛍光灯。耳元で、
パソコンの起動音が鳴る。
「それ、私の案件なんで」
はっきりとした声。
迷いのない声。
「売上の数字、全部まとめておきました。
こちらが私の分です」
書類を机に置く音。
キーボードを叩く指。
自分の声だ。
田中裕子。
三十歳。
独身。
日本という国で、会社員をしていた。黙って損をする性格じゃない。正面から噛みつくこともあったし、裏から回って相手を動かすこともできた。
腹黒?
上等。
ルールの中で勝つなら、手段なんて選ばない。多少強引でも、数字と理屈と空気で相手を納得させる。
泣かない。
耐えない。
我慢は、使うときだけ使う“戦略”だ。
「使えるものは、全部使うでしょ」
笑いながら、そう言っていた。
女の武器?使えるなら使う。陰口?
それ情報でしょ。友達は、女友達より男友達の方が多かった。
――だからこそ。
信じていた彼氏を、親友に奪われた。
あの夜、私は決めた。
二度と、男なんて信じない。
それが、私だった。
――ガン。
背中に、現実の痛みが戻ってくる。階段の冷たさ。床の硬さ。息が、少し戻る。
異世界。
公爵家。
聖女。
義妹。
……ああ。
理解した。異世界転生じゃん。
しかも、よくある“お花畑系ヒロイン”の器に、私が入ってる。そりゃ、好き放題やられるわけだ。思い返せば、全部そう。
奪われても、黙って。
殴られても、祈って治して。
私だったら?ありえない。
(はぁ……)
口の端が、ひくりと上がる。
魔法?
嫌いじゃない。むしろ、昔から憧れてた。楽しそうじゃない。
イメージが大事?王道でいいでしょ。
公爵家?最高じゃない。贅沢三昧じゃなくていい。稼いで、貯めて、ぐーたら生きるのも悪くない。前に出るのも好き。目立つのも嫌いじゃない。
なのに今までは――耐えて、譲って、黙ってた。
理由は一つ。性格が、違っただけ。今までの記憶は消えない。虐げられてきた日々も、奪われた立場も、全部、ちゃんと覚えてるでも、そこに。
田中裕子の思考が、重なった。
(……なるほどね)
義妹が少しずつ奪っていった理由。
周囲がそれを止めなかった構造。
神殿が、祈る“役”しか見ていないこと。
全部、整理できる。理解できる。
――勝てる。
階段の下で、私はゆっくりと目を開けた。
涙は、出ない。代わりに、頭が異様に冴えている。
(さて)
ここから、どう動く?答えは、もう決まってる。
私は、小さく笑った。
(やられっぱなしは、性に合わないのよ)
この世界でも。奪われたなら、取り返す。
倍?
……いえ。一万倍返し、かしら。
楽しくなってきた。
まずは――
奪い返すところから、ね。
本邸の片付けや執務を、義母に押し付けられた帰りだった。
書類を抱え、指先にまだ紙のざらつきを残したまま、私は本邸の階段を降りていた。
高い天井。磨き上げられた大理石の床。
靴音が、やけに大きく響く踊り場。
――そのとき。
背後に、ぬるりとした気配を感じた。
振り返るより先に、視界の端に映る影。
義妹だった。淡い色のドレス。聖女を名乗るようになってから、好んで身にまとう清楚な装い。
けれど、口元だけが違う。
薄く歪んだ笑み。人の不幸を確信したときだけ浮かべる、あの笑い方。
「……」
彼女は、何も言わない。
ただ、私の背中を見つめて――
次の瞬間。背中に、強い衝撃。
「……っ」
身体が前に投げ出される。足が空を切り、
重力に引きずられる感覚。
視界がぐるりと回り、天井と階段と壁が、
ぐちゃりと混ざり合った。
額が風を切り、肩が段にぶつかり、背中に鈍い痛みが走る。
ごつん。
ごつん。
骨に響く音。最後に、床へと叩きつけられた。息が、できない。肺が潰れたみたいに、空気が入らない。
痛み。視界が滲む。そのとき。
――違う。
この感覚は、知っている。頭の奥で、
何かがひび割れる音がした。ぱきり、と。
長い間張りついていた薄い膜が、一気に砕け落ちるみたいに。
◆
白い天井。規則的に並ぶ蛍光灯。耳元で、
パソコンの起動音が鳴る。
「それ、私の案件なんで」
はっきりとした声。
迷いのない声。
「売上の数字、全部まとめておきました。
こちらが私の分です」
書類を机に置く音。
キーボードを叩く指。
自分の声だ。
田中裕子。
三十歳。
独身。
日本という国で、会社員をしていた。黙って損をする性格じゃない。正面から噛みつくこともあったし、裏から回って相手を動かすこともできた。
腹黒?
上等。
ルールの中で勝つなら、手段なんて選ばない。多少強引でも、数字と理屈と空気で相手を納得させる。
泣かない。
耐えない。
我慢は、使うときだけ使う“戦略”だ。
「使えるものは、全部使うでしょ」
笑いながら、そう言っていた。
女の武器?使えるなら使う。陰口?
それ情報でしょ。友達は、女友達より男友達の方が多かった。
――だからこそ。
信じていた彼氏を、親友に奪われた。
あの夜、私は決めた。
二度と、男なんて信じない。
それが、私だった。
――ガン。
背中に、現実の痛みが戻ってくる。階段の冷たさ。床の硬さ。息が、少し戻る。
異世界。
公爵家。
聖女。
義妹。
……ああ。
理解した。異世界転生じゃん。
しかも、よくある“お花畑系ヒロイン”の器に、私が入ってる。そりゃ、好き放題やられるわけだ。思い返せば、全部そう。
奪われても、黙って。
殴られても、祈って治して。
私だったら?ありえない。
(はぁ……)
口の端が、ひくりと上がる。
魔法?
嫌いじゃない。むしろ、昔から憧れてた。楽しそうじゃない。
イメージが大事?王道でいいでしょ。
公爵家?最高じゃない。贅沢三昧じゃなくていい。稼いで、貯めて、ぐーたら生きるのも悪くない。前に出るのも好き。目立つのも嫌いじゃない。
なのに今までは――耐えて、譲って、黙ってた。
理由は一つ。性格が、違っただけ。今までの記憶は消えない。虐げられてきた日々も、奪われた立場も、全部、ちゃんと覚えてるでも、そこに。
田中裕子の思考が、重なった。
(……なるほどね)
義妹が少しずつ奪っていった理由。
周囲がそれを止めなかった構造。
神殿が、祈る“役”しか見ていないこと。
全部、整理できる。理解できる。
――勝てる。
階段の下で、私はゆっくりと目を開けた。
涙は、出ない。代わりに、頭が異様に冴えている。
(さて)
ここから、どう動く?答えは、もう決まってる。
私は、小さく笑った。
(やられっぱなしは、性に合わないのよ)
この世界でも。奪われたなら、取り返す。
倍?
……いえ。一万倍返し、かしら。
楽しくなってきた。
まずは――
奪い返すところから、ね。
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