懴悔(さんげ)

蒼あかり

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※ 残酷な描写があります。お気をつけください。



 足が付きにくいように嵐や雨風の日を狙うことが多い『おかめ盗賊』は、かねてから狙いを付けていた大店の峰屋へと押し入った。
『金は盗っても命は取るな』を肝に銘じている彼らは、押し込んだ家人を一ヶ所に集めると、それぞれの腕を後ろ手に縛りあげ見張りを置くと事に向かう。
 大抵見張りは身体の大きい権八が立つことが多く、寡黙な彼はおかめの面の下からもその圧をぶつけることで、家人の動きを封じていた。
 その少し前から与市は自分の傍らに銀次を置くようになった。何かにつけ銀次を呼びつけるその姿は、周りからしたら寵愛しているように見えていただろう。
 そのために妬みを買うこともあったが、銀次は特段気にする風もなくやり過ごしていたのだった。
 あの晩も与市のそばには銀次が付き従っていた。
 打ち合わせの手はず通りに皆が散り散りになり、金目の物を漁り始めていた。

「どうか、命ばかりはお助け下さい」
 
 峰屋の主人であろう男が家人の前に身を乗り出し、必死に懇願する。
 それを聞き、権八は無言で頷くのだった。
 押し込み強盗は大きな町に時折現れる。だが、おかめの面を見た時に、そこにいた者は皆何故か安堵するのだ。命ばかりは盗られない、と。
 命あっての物種だ。金はまた稼げばいい。
 それにおかめ盗賊に入られた店は、不思議とその後の復興が早い。噂を聞きつけた者たちが、話聞きたさに暖簾をくぐるのだ。店とて、空手で帰る者に話す義理は無い。そうやって少しずつ店を立て直す力になっているのだ。
 そこに居た者は皆、騒ぎさえ起こさなければ大丈夫。早く取る物を取って去って欲しいと腹のうちで願っていた。

 峰屋の主人を始め、女房や使用人たちはとうに気が付いていた。
 大事な、大事な、一人娘である椿の姿が無いことに。
 だが、椿と共に専用の女中も見えない。きっと子供部屋で気が付かずに寝ているのかもしれない。そこを見つけられても騒がなければ大丈夫だろう。
 女中によく懐いていた娘はきっと、大人しく縛られているに違いない。
 大丈夫、大丈夫。皆の心はそう呟き続けていた。


 与市たちはバラバラに動き、金目の物を一つの部屋に集め続けた。
 そんな中、太一が中庭を横目に縁側沿いの奥部屋へと歩いていると、庭でガタッと音がした。風で何かが飛ばされた音かと思ったが、何やら人の気配を感じ、感じるままにそっと雨戸を引き開けた。 
 するとそこには、ずぶ濡れになりながら庭木の陰に隠れるようにうずくまる娘の姿があった。それは、裏口から椿を逃がした鈴だった。
 鈴は誰かが押し入ったことを感じ、眠る椿を叩き起こし何とか逃がした後だった。このまま、ほとぼりが冷めるまで隠れてもいいが、なんとか身を隠しながら移動しつつ皆を助けられないかと考えていたところだ。
 だが、勘のいい太一に見つかってしまい、嵐の中でおかめの面を被った太一と対峙することになる。

「おめえ、ここの店のもんか?」

 太一の問いに鈴は息を吸うたびに口に入り込む雨を物ともせずに、大きな声で答えた。

「だったら何? 旦那様や奥様は無事なの?」
「はは。これまた威勢のいい嬢ちゃんだ。このおかめの面を知らないのか?
 俺たちはおかめ盗賊だ。金は盗っても命は取らぬってな。
 それより、おめえどっから来た? そっちはなんだ、裏口か?
 おめえ、まさか誰かと手引きしてんじゃねえだろうな?」

 鈴がいたであろう裏口を確認するために、濡れることもいとわず太一は庭に飛び下りると、鈴の肩を押し裏口に向かおうとした。
 今行かれては椿が見つかってしまう。子供の足ではまだその辺にいるかもしれない。時間を稼がねばと、鈴は太一の足を止めようとその背にしがみついた。

「何すんだ、離せ!!」

 椿を守るため、そして兄に恥じない行動を取るために、鈴も必死で食らいついた。雨の中、太一に殴られながら、しがみつきながらもみ合いになる。
 咄嗟のことだった。もみ合いになり、伸ばした手が太一のおかめの面に触れ、その顔を晒してしまったのだ。
 もちろん面識はない。だが、顔を見られてしまってはこれからの仕事に差しさわりがある。 
 こんな失敗は今までなかったのに、どうすれば……。
 太一は一瞬で頭に血が上り見られてしまっては、このままではと、瞬時の判断で腰に刺した短剣を引き抜くと、目の前の娘の首元にその刃先を向かわすのだった。

 あっという間のことだった。
 鈴は声を出す間もなく驚きで目を見開き、すがる様に太一の着物を掴みながら、ずるずるとそのまま地べたに身体を横たえた。
 首元を押さえる手の隙間からとめどなく流れる赤い筋は、雨に流され薄く広がっていく。
 鈴は声を出し知らせようともがくが、ヒューヒューと笛の様な音を立て、声にならない。痛いのか苦しいのかもわからなかった。
 絶え間なく流れ続けるものが暖かく、指先が冷えていくのを感じながら、雨に晒されたせいだと思っていた。
 知識の無い鈴にとって、血の気が失せているせいだとは知る由もない。
 薄れゆく意識の中で、無意識に手を伸ばした。
 目の前に立つ男が自分を切りつけたことも忘れ、濡れて冷たい地に横たわりながら視線の先に映る足を見つめ、すがる思いで手を伸ばす。

 伸ばした手を誰かが握り返すことなどないと、知らぬままに。
 そしてゆっくりと閉じる瞼にあわせ、伸ばした手がパタリと地に落ちた。
 
 太一はそれを呆然と見下ろすだけだった。
 土砂降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら立ち尽くすその姿は、間違いを起こしてしまった子供のように頼りなく見えた。




 どれくらい刻が経っただろうか?

 強盗が家中を探し回り粗方見つけたのではないかと思っていた頃に、戻りの遅い太一を、与市と銀次が捜していた時だった。
 そこには血の付いた小刀を握りしめ、返り血を浴び立っている太一の姿があった。

「太一! おめえ、なにしてやがる?」

 与市の声に「はっ!」と正気に戻った太一が叫ぶ。

「親父、仕方なかったんだ! 顔を見られた。見られたからにはこのまま逃がすわけには行かなかった。咄嗟の事で、仕方なかったんだ」

 太一の叫び声は、雨風に消され流されていった。
 だが、目の前に映る光景は銀次の目に、心に焼き付いてしまっていた。
 生きる為に悪事にも手を染めて来た。だが、人様に手をかけることだけは、それだけは幼心に手をつけることはなかった。
 だから今、目の前にある惨状が信じられず、息を呑み立ち尽くすだけだった。

「てめえの言い訳なんざ聞きたくもねえや。仕方ねえ、ずらかるしかねえ。
 早く来い!」

 与市は太一を睨みつけながら声を上げると、後ろで立ち尽くす銀次の肩を叩いた。

「今見たことは忘れるな。二度と見ることのねえように、しかと肝に命じろ」

 与市の手の重みで我に返ると、皆の元へと急ぐ二人を尻目に辺りを見回した。
 すると、誰のものかわからない外套が衝立にかけてあるのが目に入った。
 咄嗟の事だった。考えるよりも体が先に動き出すと、濡れることも厭わずに、その外套を雨のしずくに濡れている少女の上からかけてやった。
 ただ、寒かろうと思ってのことだった。自分と同じ歳くらいの娘さんが可哀そうとか、哀れだとか、そんなことはその時の銀次の脳裏にはなく、ただただ、体が勝手に動いてしまっていた。
 手を合わせるなんて、そんな知恵も身についていない。世間知らず、もの知らずの若造だったのだから。
 


「俺らはただの盗人じゃなくなっちまった。世間様も今までみたいな目で見てくれるこたあねえさ。奉行所は、血眼になって俺たちを捜すはずだ」

 全員をお宝の前に集め、与市は言い聞かせるように話し始めた。

「これだけの雨だ。朝方、通いの使用人が来るまではこのままだろう。
 今、持てるだけのもんを懐にしまったら、塵尻に分かれろ。
 しばらく、ほとぼりが冷めるまで店には来るな。
何かあればすぐに連絡しろ。いいな!」

 与市の言葉に皆はこくりと頷いた。
 それを確認すると、再び口を開く。

「奴さんたちの同行いかんによっては、早々にこの町をずらかることもある。
 そうなったらしばらく、てめえの食い扶持はてめえで賄えるように段どっとけよ。連絡が行くまでは大人しく待ってるんだ。わかったら、行け」

 男達は与市の言葉を聞くと皆、懐に詰めるだけの金品を入れ、雨の中塵尻に去っていった。銀次は与市のそばを離れずに待っていると。

「銀次。おめえもしばらく店へは来るな。」
「え? 親父、そんな。それじゃあ、親父が」
「大丈夫だ、権八がいる。あの店に頭数が揃うと、怪しまれる元だ。おめえは今のまま、髪結いの見習いとして腕を磨いておけ」
「で、でも……」
「何があっても逃げ切るんだ。後で使いを出す。それまで何とか大人しくしてろ。いいな」
「……、わかりやした。でも、親父。何かあったらすぐに連絡くだせえ」

 銀次は与市に捨てられた子犬のような目つきですがりついた。
 親を知らない銀次にとって、与市はまさに親そのものだったから。

「なに湿気たツラしてんだ。でえじょうぶだ。心配すんな。
 さ、早く行け!」

 与市に背を押され、銀次はよろめきそうになりながらその場を後にした。
 廊下を渡り縁側を抜けると、土砂降りの中を裏口から飛び出すのだった。



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