マザーグースは空を飛ぶ

ロジーヌ

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第二章

絵は文字よりも物を言う(2)

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やや物足りなく感じながらも、再び最初から読もうとして侑哉が本を一度閉じたとき、典弘が言った。
「良かったら持ってく? あ、でも、いらないか、子供の絵本だしな」
典弘が、返事を待たずに絵本をしまおうとしたので、侑哉は咄嗟に絵本を持つ手に力をこめた。
「あ、いえ、いただきます。その、買います」
数秒、綱引きのように引っ張り合う格好になり、典弘 は驚いたが、すぐ笑顔に戻り、ゆっくりと絵本を自分のほうに引き寄せる。
「いやいや、無理しなくていいよ。あんまり売れなかったやつだし」
「買います」
侑哉は、自分でも意外なほどはっきりと言った。弁当 代の残りでは足りないが、先月のバイト代がそのまま財布に入っている。
「なんていうか、良い絵だなって。一緒に歩いていきたくなるような」
正直な感想だ。典弘の人柄そのままが現れているのだろう、連れだって行く動物たちは皆優しい表情をしており、少年の表情は希望に満ち溢れている。
ただ、なにか物足りない。それを、ゆっくり自宅で読んで確認したいというのが侑哉の本心であるが、典弘は照れたような少し複雑な笑顔になり、それから、ありがとうと言った。
「それなら尚更、これは献本てことで」
力を緩めた侑哉の手から絵本を静かに受けとると、本当はね、と典弘は一呼吸おいて話しだした。
「売れなかったけど、絵は一生懸命描いた。だから絵を気にいってくれたならとても嬉しいし、良かったら手元に置いて欲しい」
そして、自著の上に一冊、本を乗せる。
「これもあげる。僕が好きな児童書。知ってる?」
侑哉は、いいえと首を振る。
「小中学生が対象だけど......気が向いたら開いてみて。読まないなら兄弟や近所の子にあげてもいいし」
「......ありがとうございます」
A5というのか、高校の教科書ほどのサイズで、厚みは辞書の半分くらいだ。表紙には風景が描いてあり、タイトルロゴはシンプルである。
「そうそう、新野さんに頼んでた本の代金、これを忘れちゃいけない」
典弘は封筒を取り出し中身をコイントレーに広げた。
侑哉は金額を確認する。
三冊分とはいえ、万を超える書物は学生には手が出せない。絵本の資料とはいえ出費はかなりだろうと思いながら、侑哉は友義から預かっていた領収書を典弘に渡した。典弘の絵本ともう一冊を持参した紙袋にそのまま入れて、侑哉は姿勢を正した。
「じゃあ......絵本、ありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ」
お辞儀をした侑哉に、典弘は笑顔で返す。こころなしか最初に話したときより距離が近くなったように感じながら、侑哉は弁当屋へ向かう。日替わりの焼き肉弁当を選び、友義の古書店へ戻る。

「戻りました」
店主の甥とはいえ、一応バイトの身なので、客がいるかわからないときはそれなりの言葉使いをするよう、侑哉は友義に言われている。近隣の会社も昼休みなのだろ う、店内には客が二人、わき目もふらず立ち読みをしていた。
「おかえり、侑哉。ありがとな。うん? なんか買ったの?」
友義は侑哉が提げている紙袋が空ではないとすぐわかったらしい。侑哉が中から本を取り出し、経緯を簡単に説明すると、友義は、そっかーと笑いながら頷いた。
「典弘くんの絵、良いでしょ。うん、嬉しかったんだろうな、うん、うん......」
「いや、俺、小学生みたいな感想しか言ってないけど......あ、あとこれも貰って」
侑哉が出した児童書を見て、うん、と友義はどこか満足げに続けた。
「それもいい本だよ。シリーズ物でね。そう言えば二、三年前、はなちゃんも読んでたなあ。挿し絵も沢山あって読みやすいんだよね」
侑哉は頭の中で計算する。二、三年前といえば、花子は海外から帰国してこの店に通い出した頃だろうか。
「挿し絵が、物語に寄り添うように描かれていてね。はなちゃんみたいに日本語が完璧じゃない子でも、絵で想像して補完すれば、物語を楽しめるから。......ああ、そうか」
「え?」
友義のつぶやきに、侑哉は児童書をめくる手を止めた。
「そうか、典弘くんに薦められたんだ。はなちゃんに、これはどうかって......うん、それで、はなちゃんを安田さんとこに連れて行ったりしたんだっけ......」
当時のことを思い出しているのか、友義は侑哉ではなくカウンター内に視線を泳がせ呟いていたが、その穏やかな表情のまま、侑哉のほうを見た。
「それ、典弘くんの私物でしょ。気に入ったら書店で買って、それは返したらいいかもね。で、感想を言ってあげたらいい。自分が薦めた本がお客の心に響くってのは本屋としても嬉しいからね」
響く、と侑哉は繰り返した。
「そう。なんていうかな、相手の心の深い場所を鳴らすっていうかね」
友義の言う意味がいまいちわからず、侑哉は首を傾げた。友義は笑う。
「まあすぐにわかるよ。侑哉の言葉も典弘くんに響いただろうから。それをどうやって周りに聞こえるようにするかは、本人次第だけどね」

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