16 / 22
マジックコントロール
しおりを挟む
一時間ほど草原を揺られて、馬車は小さな森の入り口で止まった。ここからは徒歩での移動になる。
清潔で神聖な高級感あふれる王宮とも、生活感の溢れる街ともまた違った静かで爽やかな空気だ。
濃い緑の香りが漂ってくる。木々の合間で鳥が囀り、どこからか小川のせせらぎも響いていた。喧騒が遠いから自然の音がよく聞こえるのだろう。
まさに理想的なピクニック・スポットだ。
「足元にお気をつけください、エリーゼ様」
エリーゼが馬車から降りる時にはフェリクスがすかさず手を差し出して支える。
「ありがとう、フェリクス様」
さながら王子様とお姫様だ。少なくとも見た目は。
「……あちら、お似合いですねー。殿下もそう思いません?」
小声で話しかけるとディートリヒはちらりと私を一瞥してため息を吐いた。
「殿下ではなく、ヘンリーと呼べ。……エリーゼはあの程度でときめいたりしない。淑女と騎士として当然の光景だ」
それはまあ、確かに。博愛主義で善意に満ちたちょろそうなお嬢様に見えて、その実なかなかの鉄壁を誇るのがエリーゼだった。
オルデンブルク家が名家ゆえにエリーゼはお姫様扱いされることに慣れている。無意識のうちに凄まじい異性耐性ができてしまっているわけだ。
かつてのディートリヒの必死の求愛も、フェリクスの非の打ち所がないイケメンぶりも、洗練された紳士に囲まれて育った彼女にとっては基礎中の基礎。「殿方ってそういうものでしょう?」ってなものだった。
そういう意味でもエリーゼに惚れてもらうことをまったく望まないフェリクスは、壁を壁として感じないから夫候補として本当に強い。
街道と違って森の中は歩きにくいかもしれないと思い、今日はミリアに頼んで足に負担のない靴を履いてきた。でも不思議なことに、地面は適度に固められ、邪魔な草も刈り取られてしっかりした『道』がある。
「ここって管理人とかいるの?」
フェリクスは平民だから当たり前だけれど、貴族出身の他の近衛騎士でも領地を持たない者が多いのは、おそらく聖女の不在による不安定化と魔物の存在があるせいだ。
人々は狭く濃い都市を築いてそこに暮らしている。やたらめったら領地となる荘園を持てない。ましてこんな郊外の森を、非常時も含めて定期的に手入れする人間がいるとは思えなかった。
あまりピンときてないエリーゼとフェリクスに代わって私の問いに答えてくれたのはヘンリーだった。
「狩りに訪れる者でもいるのでしょう。人が通れば道ができる」
このように、と彼が指差した先で、ややぬかるんでいた地面が瞬く間に乾いておまけに平らに均される。魔法によるリアルタイム整地だ。
王太子殿下におかれましては気質に合うとされる火だけでなく土の魔法の扱いも精密らしかった。
あとを引き取るようにフェリクスが続ける。
「訓練を兼ねて騎士団も定期的に各地を巡回しますが、こういった小さな森まではなかなか手が回りませんね」
「こちらは街の皆さんの『領分』ということなのですわね」
「そういうことです。さすがはエリーゼ様、的確なご理解です」
おお、ヘンリーの瞳の中で静かに嫉妬の炎が燃え盛っている。
人の手が入らない森はすぐに荒れるというけれど、省エネ魔法で誰もが道を敷けるのなら確かに時々狩人がくるだけでも管理は行き届くのだろう。
……土の魔法によって道路の整備がこんなにも簡単になるということは、近代的な戦車を持ち込んだら無双できる気がする。そう思ったけれど、エリーゼと話しているフェリクスの銀の鎧を見て考え直した。
頑丈な装甲車を作ったところで所詮は金属、敵の土魔法によって紙っぺら同然に変えられ得る。だったら巨大な盾でも構えてそれを強化し、炎の使い手が戦場を駆け回ったほうが手っ取り早くて燃費のいい戦車になるに違いない。
瞬発力のある破壊兵器よりも持続可能な魔法利用のほうが強い。
前の世界の中世ヨーロッパに似た文化でありながら、そこに存在する魔力や魔物といった概念が常にこの場所を私にとって未知の異世界たらしめている。
この年になっても新たな知識がどんどん増えていくというのはなかなかの快感だ。
フェリクスがエリーゼの手を引いて、ヘンリーはこっそりエリーゼの足元を整えながら、ハイキングというよりむしろレッドカーペットの上を歩くような快適さで森の奥へと進んでいった。
森の中は涼しくて、差し込む木漏れ日に癒される。たまに小動物が走っていくのか草むらが揺れる音がした。
「マリ、見てください、リスがいますわ」
「ん。どこ?」
「あちらの枝の上です」
「どれ……?」
エリーゼが指差す先を追いかけても、森の景色に溶け込んだ野生のリスは私ごとき自然界に不慣れな現代人の視界に大人しくおさまってはくれない。
見かねたヘンリーがマジックレンズを使ってくれた。円形の中に拡大された枝に立ち、茶色くてふさふさのリスが呑気に木の実を齧っている。こちらを警戒する様子もない。
「いたー。かわいい!」
「心が和みますわね」
「エリーゼお嬢様、あまり近づきすぎませぬよう。今は大人しくしていますが、魔力が乱れた際にあれらは強大な魔物となって被害をもたらします」
「えぇ……」
「ヘンリーの言う通り、リスの性格はなかなか狂暴です。見た目はかわいらしいのですがね」
「ま、まあ……」
そう言われると途端にあの硬い木の実を易々と砕く齧歯が凶器に見えてくる。
動物が魔物になったりもするのか。魔力が安定していてよかった。ありがとう聖女。私だけど。
しばらく景色を楽しみながら歩いていたら、開けた場所に出た。
透明な水が静かに湧き出して泉となり、周囲には柔らかな苔が生えている。木々に囲まれた隠れ家のような場所だった。
よく日が射して草の上があったかい。ランチには最適な空間だ。
「そろそろお昼ごはんにしよっか」
「はい!」
フェリクスとヘンリーが手際よく準備を進める傍ら、私はエリーゼと一緒に泉で手を洗うことにする。冷たい水が気持ちいい。
二人の男は主にエリーゼのために甲斐甲斐しく、火の魔法でお茶を温め直したうえにパンに軽く焼き目を入れてくれた。おかげでピクニックという次元を超えて豪勢な食卓ができあがる。
「いただきます!」
各々で自分好みのサンドイッチを作って食べる。男性陣には噛み応えのあるライ麦パンが人気だった。
私は雑穀パンにマスタードを塗ってレタスとトマトに燻製肉を挟んだ。エリーゼはクリームチーズを丁寧に並べてジャムを塗っている。
ヘンリーはキュウリのピクルスにハムとトマトとツナ、フェリクスはたっぷりバターにクララ製のハンバーグとチーズで一番ごつい。
「ん~、うまい」
「マリがいろいろなパンを焼いてくださったから、味が変わって楽しいですわ」
「具材もいい感じ。サンドイッチにして大正解だったね」
外で足を放り出してだらだら食べる食事というのは「休みの日のお出かけ」感があって特によい。パンが焼きたてと同等なのも最高だった。
二つ目を頬張りながら、ふと思いついて尋ねてみた。
「エリーゼって何の魔法が得意なの?」
水の気質を持っているという彼女ならその魔法はお菓子作りにでも活かされているのだろうか。
あるいはセルギウスが得意としているみたいにインクの精密操作ができれば、書類仕事に強そうだ。
水の魔法といったら治癒、癒しのイメージもある。どれもエリーゼにぴったりで、伯爵令嬢としても役立てやすい能力だろう。
しかし私の問いかけにエリーゼの表情は曇ってしまった。
「わたくし、魔法は……その……」
「エリーゼお嬢様は膨大な魔力をお持ちですが、伯爵様より魔法を禁じられております」
「まあ、よくご存じですのね、ヘンリー様」
「……オルデンブルク家の一員として心得ております」
相変わらずヘンリーの正体が変装したディートリヒだと気づかないエリーゼはさておき、それを聞いて私はなんだか嫌な予感がした。
エリーゼへの評価には相当な贔屓が入っている可能性もあるけれど、ディートリヒの人を見る目は確かなものだ。その彼が「膨大」とまで称する魔力を持っているのに魔法を禁止されている。しかも伯爵によって直々に。
一体なぜ?
「何やらかしちゃったの?」
私の言葉に、ヘンリーが鋭い視線を向けてくる。愛しのエリーゼに対して「やらかした」という言い方が気に障ったらしい。
「ごめんごめん。なんか失敗しちゃったとか?」
エリーゼは不思議そうに首を傾げつつ答えた。
「オルデンブルクの城の近くに川があるのです。わたくし、幼い頃にその川をきれいにしたのです」
「きれいに……って、川ごと飲み水に変えたってこと?」
「はい。雨上がりで濁っていましたから、元に戻して差し上げようと思ったのです」
なにそれ怖い。歩く浄水プラント娘だ。でも、恐ろしいほどの魔力かつ、すごい才能なのではないだろうか?
不純物を取り除いて川をまるごと清流に変えてしまう。災害時はもちろんのこと、平時にも最強に思える。
最強だから、ということなのかな。聖女が不在で世界の魔力が不安定になっていた場合、強すぎる魔力はエリーゼ自身にも周囲にも危険になるとか、そういう理由で禁止されたとか?
「ほんとに相当な魔力量なんだね」
「ええ。ですが、以来わたくしは、なぜかお父様に魔法を禁じられてしまったのです」
「へぇ……」
その時、ヘンリーがぼそっと、決してエリーゼに聞こえない小さな声で呟いた。
「川の生態系が死んだのだ」
「……」
「エリーゼには言うな」
さっきの嫌な予感が形になった気がした。
川をまるごと純水に変えた。つまりエリーゼは文字通りに『不純物』をすべて取り除いたのだ。有毒物質や病原菌だけに飽き足らず、微量な塩分や微生物も消し去り、蒸留水レベルまで浄化してしまった。
本来、川にはその成分に適応した魚や水生昆虫、藻類や微生物が暮らしている。それぞれが複雑なバランスの上で生態系を作っているはずだ。
人間にとっては微細な塩分濃度や溶存酸素量の変化でもミクロの世界では崩壊に等しい。生まれ育った世界が変り果て、川の生き物たちは何が起きたのか悟る間もなく死滅したと思われる。
もし自分の魔法が川の生き物を皆殺しにしたと知ったらエリーゼはショックで寝込んでしまうだろう。いや、それが幼い頃の出来事なら寝込むだけでは済まなかったに違いない。あの慈善事業の時と同じ、優しさで為したことだからこそ。
エリーゼの「助けたい」という願いは、純粋さゆえに妥協を知らない。
適度な濁り、適度な雑味、そういった必要な汚れを飲み込めないから加減知らずに無秩序な浄化を施してしまう。
対象を殺すほどに深すぎる慈愛。それは破壊と同義だった。
ディートリヒが自ら泥を被ってでも婚約を破棄したように、オルデンブルク伯爵が娘に魔法の利用を禁じたのは英断だ。
「マリ、どうかなさいました?」
「ううん、なんでもない。そっか、伯爵が言うんだったらきっと複雑な理由があるんだろうね」
「はい。よく分かりませんけれど、わたくし、お父様との約束はきちんと守りますわ」
もしエリーゼが王太子妃に、ゆくゆくは王妃になっていたとしたら。想像しただけで背筋が寒くなる。
判断力がないくせに恐ろしいまでの力だけを有するこの子はほとんど生物兵器だ。まったく無自覚なまま大軍勢だって容易に踏み潰せてしまうだろう。
たとえばの話。彼女の浄化魔法が、人間に向けられたら? 人体の水分をまるごと「純水」に変えてしまったら?
そこにあるべき電解質もタンパク質も消え失せる。ミネラルの除去で神経も死ぬ。なんなら血液さえもただの水に変えてしまうかもしれない。
国を守るためなら自分が身代わりに、とまで言った彼女の言葉を思い出す。そこで善意を突かれて敵の制御下に落ち、その無差別浄化魔法がエルハーフェン王国のほうへ向けられる可能性だってあるのだ。
十年以上の苦労を経てディートリヒが自身の恋を諦めてでもエリーゼを手放したのは、やむを得ないことだった。
力はあるのにそれを適切に制御できない。優しいから突き放す判断ができない。有り余る愛を注いで根から枯らしてしまう。彼女の問題は一貫していた。
蛇口を全開にするのは簡単なこと。コップ一杯分だけ水を注ぐには理性で蛇口をひねらなければならない。そしてエリーゼには、その蛇口のハンドルがついていない。
過不足なく、適切に。要するにエリーゼは、何事にもコントロールが苦手なのだ。
帰りの馬車の中、エリーゼは疲れて眠ってしまった。天使のように無垢な寝顔。しかし天使というのは生者を霊魂の世界へと導く死の使いの側面も持っている。
つくづく多方面でもったいないお嬢さんだ。性格か能力か、どちらかが違えば有能な領主にも魔法使いにもなれただろうに。でもそこが変わってしまったら、それはエリーゼではない誰かだった。
眠っているエリーゼにまで媚びを売る気はないようでフェリクスはのんびり窓の外を眺めている。これだけ現実的で打算的なほうが、エリーゼ本人に代わってしっかり手綱を握ってくれるだろう。
今は正体を隠すことに思考を割かなくて済むディートリヒが、火の魔法を通した温かいマントをエリーゼにかけてやって微笑んでいる。この男はエリーゼさえ幸せならそれで満足なのだ。
愛しているのに恋はできず、愛がないからうまくいく。心地よくもおかしな関係になっていた。……それはもちろん、私も含めての話。
清潔で神聖な高級感あふれる王宮とも、生活感の溢れる街ともまた違った静かで爽やかな空気だ。
濃い緑の香りが漂ってくる。木々の合間で鳥が囀り、どこからか小川のせせらぎも響いていた。喧騒が遠いから自然の音がよく聞こえるのだろう。
まさに理想的なピクニック・スポットだ。
「足元にお気をつけください、エリーゼ様」
エリーゼが馬車から降りる時にはフェリクスがすかさず手を差し出して支える。
「ありがとう、フェリクス様」
さながら王子様とお姫様だ。少なくとも見た目は。
「……あちら、お似合いですねー。殿下もそう思いません?」
小声で話しかけるとディートリヒはちらりと私を一瞥してため息を吐いた。
「殿下ではなく、ヘンリーと呼べ。……エリーゼはあの程度でときめいたりしない。淑女と騎士として当然の光景だ」
それはまあ、確かに。博愛主義で善意に満ちたちょろそうなお嬢様に見えて、その実なかなかの鉄壁を誇るのがエリーゼだった。
オルデンブルク家が名家ゆえにエリーゼはお姫様扱いされることに慣れている。無意識のうちに凄まじい異性耐性ができてしまっているわけだ。
かつてのディートリヒの必死の求愛も、フェリクスの非の打ち所がないイケメンぶりも、洗練された紳士に囲まれて育った彼女にとっては基礎中の基礎。「殿方ってそういうものでしょう?」ってなものだった。
そういう意味でもエリーゼに惚れてもらうことをまったく望まないフェリクスは、壁を壁として感じないから夫候補として本当に強い。
街道と違って森の中は歩きにくいかもしれないと思い、今日はミリアに頼んで足に負担のない靴を履いてきた。でも不思議なことに、地面は適度に固められ、邪魔な草も刈り取られてしっかりした『道』がある。
「ここって管理人とかいるの?」
フェリクスは平民だから当たり前だけれど、貴族出身の他の近衛騎士でも領地を持たない者が多いのは、おそらく聖女の不在による不安定化と魔物の存在があるせいだ。
人々は狭く濃い都市を築いてそこに暮らしている。やたらめったら領地となる荘園を持てない。ましてこんな郊外の森を、非常時も含めて定期的に手入れする人間がいるとは思えなかった。
あまりピンときてないエリーゼとフェリクスに代わって私の問いに答えてくれたのはヘンリーだった。
「狩りに訪れる者でもいるのでしょう。人が通れば道ができる」
このように、と彼が指差した先で、ややぬかるんでいた地面が瞬く間に乾いておまけに平らに均される。魔法によるリアルタイム整地だ。
王太子殿下におかれましては気質に合うとされる火だけでなく土の魔法の扱いも精密らしかった。
あとを引き取るようにフェリクスが続ける。
「訓練を兼ねて騎士団も定期的に各地を巡回しますが、こういった小さな森まではなかなか手が回りませんね」
「こちらは街の皆さんの『領分』ということなのですわね」
「そういうことです。さすがはエリーゼ様、的確なご理解です」
おお、ヘンリーの瞳の中で静かに嫉妬の炎が燃え盛っている。
人の手が入らない森はすぐに荒れるというけれど、省エネ魔法で誰もが道を敷けるのなら確かに時々狩人がくるだけでも管理は行き届くのだろう。
……土の魔法によって道路の整備がこんなにも簡単になるということは、近代的な戦車を持ち込んだら無双できる気がする。そう思ったけれど、エリーゼと話しているフェリクスの銀の鎧を見て考え直した。
頑丈な装甲車を作ったところで所詮は金属、敵の土魔法によって紙っぺら同然に変えられ得る。だったら巨大な盾でも構えてそれを強化し、炎の使い手が戦場を駆け回ったほうが手っ取り早くて燃費のいい戦車になるに違いない。
瞬発力のある破壊兵器よりも持続可能な魔法利用のほうが強い。
前の世界の中世ヨーロッパに似た文化でありながら、そこに存在する魔力や魔物といった概念が常にこの場所を私にとって未知の異世界たらしめている。
この年になっても新たな知識がどんどん増えていくというのはなかなかの快感だ。
フェリクスがエリーゼの手を引いて、ヘンリーはこっそりエリーゼの足元を整えながら、ハイキングというよりむしろレッドカーペットの上を歩くような快適さで森の奥へと進んでいった。
森の中は涼しくて、差し込む木漏れ日に癒される。たまに小動物が走っていくのか草むらが揺れる音がした。
「マリ、見てください、リスがいますわ」
「ん。どこ?」
「あちらの枝の上です」
「どれ……?」
エリーゼが指差す先を追いかけても、森の景色に溶け込んだ野生のリスは私ごとき自然界に不慣れな現代人の視界に大人しくおさまってはくれない。
見かねたヘンリーがマジックレンズを使ってくれた。円形の中に拡大された枝に立ち、茶色くてふさふさのリスが呑気に木の実を齧っている。こちらを警戒する様子もない。
「いたー。かわいい!」
「心が和みますわね」
「エリーゼお嬢様、あまり近づきすぎませぬよう。今は大人しくしていますが、魔力が乱れた際にあれらは強大な魔物となって被害をもたらします」
「えぇ……」
「ヘンリーの言う通り、リスの性格はなかなか狂暴です。見た目はかわいらしいのですがね」
「ま、まあ……」
そう言われると途端にあの硬い木の実を易々と砕く齧歯が凶器に見えてくる。
動物が魔物になったりもするのか。魔力が安定していてよかった。ありがとう聖女。私だけど。
しばらく景色を楽しみながら歩いていたら、開けた場所に出た。
透明な水が静かに湧き出して泉となり、周囲には柔らかな苔が生えている。木々に囲まれた隠れ家のような場所だった。
よく日が射して草の上があったかい。ランチには最適な空間だ。
「そろそろお昼ごはんにしよっか」
「はい!」
フェリクスとヘンリーが手際よく準備を進める傍ら、私はエリーゼと一緒に泉で手を洗うことにする。冷たい水が気持ちいい。
二人の男は主にエリーゼのために甲斐甲斐しく、火の魔法でお茶を温め直したうえにパンに軽く焼き目を入れてくれた。おかげでピクニックという次元を超えて豪勢な食卓ができあがる。
「いただきます!」
各々で自分好みのサンドイッチを作って食べる。男性陣には噛み応えのあるライ麦パンが人気だった。
私は雑穀パンにマスタードを塗ってレタスとトマトに燻製肉を挟んだ。エリーゼはクリームチーズを丁寧に並べてジャムを塗っている。
ヘンリーはキュウリのピクルスにハムとトマトとツナ、フェリクスはたっぷりバターにクララ製のハンバーグとチーズで一番ごつい。
「ん~、うまい」
「マリがいろいろなパンを焼いてくださったから、味が変わって楽しいですわ」
「具材もいい感じ。サンドイッチにして大正解だったね」
外で足を放り出してだらだら食べる食事というのは「休みの日のお出かけ」感があって特によい。パンが焼きたてと同等なのも最高だった。
二つ目を頬張りながら、ふと思いついて尋ねてみた。
「エリーゼって何の魔法が得意なの?」
水の気質を持っているという彼女ならその魔法はお菓子作りにでも活かされているのだろうか。
あるいはセルギウスが得意としているみたいにインクの精密操作ができれば、書類仕事に強そうだ。
水の魔法といったら治癒、癒しのイメージもある。どれもエリーゼにぴったりで、伯爵令嬢としても役立てやすい能力だろう。
しかし私の問いかけにエリーゼの表情は曇ってしまった。
「わたくし、魔法は……その……」
「エリーゼお嬢様は膨大な魔力をお持ちですが、伯爵様より魔法を禁じられております」
「まあ、よくご存じですのね、ヘンリー様」
「……オルデンブルク家の一員として心得ております」
相変わらずヘンリーの正体が変装したディートリヒだと気づかないエリーゼはさておき、それを聞いて私はなんだか嫌な予感がした。
エリーゼへの評価には相当な贔屓が入っている可能性もあるけれど、ディートリヒの人を見る目は確かなものだ。その彼が「膨大」とまで称する魔力を持っているのに魔法を禁止されている。しかも伯爵によって直々に。
一体なぜ?
「何やらかしちゃったの?」
私の言葉に、ヘンリーが鋭い視線を向けてくる。愛しのエリーゼに対して「やらかした」という言い方が気に障ったらしい。
「ごめんごめん。なんか失敗しちゃったとか?」
エリーゼは不思議そうに首を傾げつつ答えた。
「オルデンブルクの城の近くに川があるのです。わたくし、幼い頃にその川をきれいにしたのです」
「きれいに……って、川ごと飲み水に変えたってこと?」
「はい。雨上がりで濁っていましたから、元に戻して差し上げようと思ったのです」
なにそれ怖い。歩く浄水プラント娘だ。でも、恐ろしいほどの魔力かつ、すごい才能なのではないだろうか?
不純物を取り除いて川をまるごと清流に変えてしまう。災害時はもちろんのこと、平時にも最強に思える。
最強だから、ということなのかな。聖女が不在で世界の魔力が不安定になっていた場合、強すぎる魔力はエリーゼ自身にも周囲にも危険になるとか、そういう理由で禁止されたとか?
「ほんとに相当な魔力量なんだね」
「ええ。ですが、以来わたくしは、なぜかお父様に魔法を禁じられてしまったのです」
「へぇ……」
その時、ヘンリーがぼそっと、決してエリーゼに聞こえない小さな声で呟いた。
「川の生態系が死んだのだ」
「……」
「エリーゼには言うな」
さっきの嫌な予感が形になった気がした。
川をまるごと純水に変えた。つまりエリーゼは文字通りに『不純物』をすべて取り除いたのだ。有毒物質や病原菌だけに飽き足らず、微量な塩分や微生物も消し去り、蒸留水レベルまで浄化してしまった。
本来、川にはその成分に適応した魚や水生昆虫、藻類や微生物が暮らしている。それぞれが複雑なバランスの上で生態系を作っているはずだ。
人間にとっては微細な塩分濃度や溶存酸素量の変化でもミクロの世界では崩壊に等しい。生まれ育った世界が変り果て、川の生き物たちは何が起きたのか悟る間もなく死滅したと思われる。
もし自分の魔法が川の生き物を皆殺しにしたと知ったらエリーゼはショックで寝込んでしまうだろう。いや、それが幼い頃の出来事なら寝込むだけでは済まなかったに違いない。あの慈善事業の時と同じ、優しさで為したことだからこそ。
エリーゼの「助けたい」という願いは、純粋さゆえに妥協を知らない。
適度な濁り、適度な雑味、そういった必要な汚れを飲み込めないから加減知らずに無秩序な浄化を施してしまう。
対象を殺すほどに深すぎる慈愛。それは破壊と同義だった。
ディートリヒが自ら泥を被ってでも婚約を破棄したように、オルデンブルク伯爵が娘に魔法の利用を禁じたのは英断だ。
「マリ、どうかなさいました?」
「ううん、なんでもない。そっか、伯爵が言うんだったらきっと複雑な理由があるんだろうね」
「はい。よく分かりませんけれど、わたくし、お父様との約束はきちんと守りますわ」
もしエリーゼが王太子妃に、ゆくゆくは王妃になっていたとしたら。想像しただけで背筋が寒くなる。
判断力がないくせに恐ろしいまでの力だけを有するこの子はほとんど生物兵器だ。まったく無自覚なまま大軍勢だって容易に踏み潰せてしまうだろう。
たとえばの話。彼女の浄化魔法が、人間に向けられたら? 人体の水分をまるごと「純水」に変えてしまったら?
そこにあるべき電解質もタンパク質も消え失せる。ミネラルの除去で神経も死ぬ。なんなら血液さえもただの水に変えてしまうかもしれない。
国を守るためなら自分が身代わりに、とまで言った彼女の言葉を思い出す。そこで善意を突かれて敵の制御下に落ち、その無差別浄化魔法がエルハーフェン王国のほうへ向けられる可能性だってあるのだ。
十年以上の苦労を経てディートリヒが自身の恋を諦めてでもエリーゼを手放したのは、やむを得ないことだった。
力はあるのにそれを適切に制御できない。優しいから突き放す判断ができない。有り余る愛を注いで根から枯らしてしまう。彼女の問題は一貫していた。
蛇口を全開にするのは簡単なこと。コップ一杯分だけ水を注ぐには理性で蛇口をひねらなければならない。そしてエリーゼには、その蛇口のハンドルがついていない。
過不足なく、適切に。要するにエリーゼは、何事にもコントロールが苦手なのだ。
帰りの馬車の中、エリーゼは疲れて眠ってしまった。天使のように無垢な寝顔。しかし天使というのは生者を霊魂の世界へと導く死の使いの側面も持っている。
つくづく多方面でもったいないお嬢さんだ。性格か能力か、どちらかが違えば有能な領主にも魔法使いにもなれただろうに。でもそこが変わってしまったら、それはエリーゼではない誰かだった。
眠っているエリーゼにまで媚びを売る気はないようでフェリクスはのんびり窓の外を眺めている。これだけ現実的で打算的なほうが、エリーゼ本人に代わってしっかり手綱を握ってくれるだろう。
今は正体を隠すことに思考を割かなくて済むディートリヒが、火の魔法を通した温かいマントをエリーゼにかけてやって微笑んでいる。この男はエリーゼさえ幸せならそれで満足なのだ。
愛しているのに恋はできず、愛がないからうまくいく。心地よくもおかしな関係になっていた。……それはもちろん、私も含めての話。
10
あなたにおすすめの小説
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私は実は“本物の聖女”でした。
さら
恋愛
私――ミリアは、クラスで地味で取り柄もない“都合のいい子”だった。
そんな私が、いじめの張本人だった美少女・沙羅と一緒に異世界へ召喚された。
王城で“聖女”として迎えられたのは彼女だけ。
私は「魔力が測定不能の無能」と言われ、冷たく追い出された。
――でも、それは間違いだった。
辺境の村で出会った青年リオネルに助けられ、私は初めて自分の力を信じようと決意する。
やがて傷ついた人々を癒やすうちに、私の“無”と呼ばれた力が、誰にも真似できない“神の光”だと判明して――。
王都での再召喚、偽りの聖女との再会、かつての嘲笑が驚嘆に変わる瞬間。
無能と呼ばれた少女が、“本物の聖女”として世界を救う――優しさと再生のざまぁストーリー。
裏切りから始まる癒しの恋。
厳しくも温かい騎士リオネルとの出会いが、ミリアの運命を優しく変えていく。
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
元恋人が届けた、断りたい縁談
待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。
手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。
「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」
そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?
安らかにお眠りください
くびのほきょう
恋愛
父母兄を馬車の事故で亡くし6歳で天涯孤独になった侯爵令嬢と、その婚約者で、母を愛しているために側室を娶らない自分の父に憧れて自分も父王のように誠実に生きたいと思っていた王子の話。
※突然残酷な描写が入ります。
※視点がコロコロ変わり分かりづらい構成です。
※小説家になろう様へも投稿しています。
【完結】転生令嬢が、オレの殿下を"ざまあ"しようなんて百年早い!〜"ざまあ王子"の従者ですが、やり返します〜
海崎凪斗
恋愛
公爵令嬢ロベリアは、聖女への嫌がらせを理由に婚約破棄された――はずだった。だが夜会の席、第二王子が「冤罪だった」と声を上げたことで、空気は一変する。
けれど第一王子の従者・レンは言う。
「いや?冤罪なんかじゃない。本当に嫌がらせはあったんだよ」「オレの殿下を"ざまあ王子"にしようなんて、百年早い!」
※ざまぁ系ではありますが、"ざまぁされそうな王子の従者が、それを阻止して悪役令嬢気取りの転生者をざまぁし返す話"です。主従モノに近いので、ご注意ください。
プロローグ+前後編で完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる