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サプライズ

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 どういうことなのでしょうか? 両家を代表してのお義父様の挨拶は、すでにおわりました。披露宴はお開きになるはずなのに、淳一郎君が司会の岡さんに呼ばれました。お行儀よく席から立ち上がって歩き出し、燕尾が可愛いらしい後ろ姿を見せながら高砂を降りていきます。高さが調節されたマイクスタンドの前に立つと、改めてご来賓の皆さんに紹介されました。
 美沙子さん。披露宴を締めるのは、気をつけの後に凛々しく礼をした淳一郎君のようです。手になにも持っていません。暗唱するのでしょうか。記憶力のいい淳一郎君のことですから、驚きはしませんけど……。

 ――去年の十月三日、あゆみ先生の誕生日の前の日のことでした。お父さんから、再婚したい、と言われたときに、ぼくは嫌だなあと思いました。でも、お父さんが再婚したい相手があゆみ先生だと知って、嬉しくなりました。だけど、やっぱり、ちょっとだけ、嫌だなあと思いました。どうしてかというと、ぼくが大きくなったら、あゆみ先生と結婚したいと思っていたからです。
 あゆみ先生。先生はまだ若いのに、アラフォーのオジさんのお父さんと結婚してくれて、ありがとう。ぼくの新しいお母さんになってくれて、本当にありがとう。あゆみ先生、これからもずっと、仲よくしてください。あゆみお母さん。今から、そう呼びます。これからもずっと、ずっと、よろしくお願いします。淳一郎――

 美沙子さん……。感激です。淳一郎君は、やっぱり将来大物になりますよね。言っていることは子どもらしいのに、いえ、あえて子どもらしい文章にしたのでしょうが、堂々とした態度や語り口が説得力を生んだようです。ご来賓の女性の方たちの多くは、ハンカチで目頭を押さえています。男性の方たちは二回ドッと沸いた後に、神童か将来の才子を見るような目を淳一郎君に向けています。
 とうとう大粒の嬉し涙が溢れ出てきました。この上ないサプライズです。本当に私みたいなごくごく平凡な女が、聡一郎さんの後妻になるだけでなく、継母とはいえ淳一郎君のお母さんになってもいいのでしょうか?
 拍手喝采の中、緊張感を保ったままの淳一郎君が高砂に上り、席に戻ってきました。聡一郎さんは「上手にできたな」と淳一郎君に声をかけた後に、私に優しい目を向けました。
「今朝早く、ジュンが熱心に自由帳になにかを書き込んでいると思ったら、今のスピーチの下書きだったんだ。披露宴の直前に、司会の岡に頼んで、最後の最後にジュンのスピーチを入れてもらうことにした。驚かせて、ごめんね」
 聡一郎さんは左手で淳一郎君の柔らかそうな髪を優しく撫でました。
「ジュン、偉いぞ。全部一人で考えたんだよな」
「ううん。少し、手伝ってもらったよ」
「だれに? お祖父ちゃんに? それとも、お祖母ちゃんに?」
「違うよ。ママ。美沙子ママ。昨日の夜、夢に出てきたんだ。ママが新しいお母さんのためにスピーチを考えようって、手伝ってくれた」
 聡一郎さんは珍しくキョトンとした顔を見せています。美沙子さん、ありがとう。淳一郎君の夢の中でとはいえ、私のためにそんな嬉しいことを言ってくださるなんて。
「あゆみ先生、じゃなかった、あゆみお母さん。ちょっと耳を貸して」
 言われるがまま、身体を右に傾けると、淳一郎くんは綺麗な左手と可愛い唇を私の耳元に近づけてきました。
「ここからはね、パパ、じゃなかった、お父さんには内緒なんだ。夢の中で美沙子ママが、これから話すことをそのまま、あゆみお母さんにだけ伝えてね、って言ったから。ちょっと長いけど、いい?」
 訳がわからないまま、私は「うん」と頷きました。吸った後に小さく吐いた淳一郎君の息が、私の右耳の穴をくすぐります。
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