世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

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第13章

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 ジョニー・ウォーカーは自販機で水を買った。飲むか? と訊かれたので俺も水にした。ペットボトルのキャップを開けて一気に半分ほど飲んだ。
 開演まであと三十分を切っていた。どうするかと考えてみても、どうしようもできない。もう間に合わない。それにメンバーも巻き込んでしまった。畜生と俺は唾を吐いた。
 ポケットに手を入れると固い感触がした。なにか入っている。
「なあ、ジョニー・ウォーカー」
 ジョニー・ウォーカーはスキットルに口をつけていた。
「チェーホフの銃って知ってるか?」
「いや」
「『物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない』」
 と俺はポケットから拳銃を出した。
「通販で買ったのか?」
「余市のだよ」
 くっくとジョニー・ウォーカーが笑った。
「ここに、まだ発射されていない拳銃がある」
 ジョニー・ウォーカーは聞いているのかいないのか煙草に火をつけていた。
「なにが言いたい?」
「メンバーを助けに行く」
 馬鹿野郎とジョニー・ウォーカーは言った。
「助けたところでライブは間に合わねえぞ。――それならお前が弾き語りでもなんでもして、間に合わせるほうがいいんじゃないか」
「今日のライブは、バック・ドア・マンのライブだ。メンバーがいなきゃ意味がない」
 ふんとジョニー・ウォーカーは鼻を鳴らせた。
「お前に人が殺せるのか?」
 俺は拳銃をぎゅっと握り締めた。
「そんな、一丁前に拳銃なんか持ってよ、簡単じゃねえぞ殺すってのは」
「メンバーにまで手を出した奴らに同情なんかしない」
 俺がそう言うとひと呼吸おいてジョニー・ウォーカーが笑い出した。そして駅に向かって歩き出した。
「ひとつ言っておく」奴は振り返って俺を見た。「チェーホフの銃に対する俺の答えはこうだ。――知るか」
 俺とジョニー・ウォーカーは横に並んで歩いていた。俺たちはなにも話さなかった。日が暮れてきて街が賑わいだしていた。俺はポケットに手を入れて拳銃の感触を確かめた。そうしているとふつふつと怒りがこみ上げてきた。俺たちの一番大事な瞬間を台無しにしやがったあいつら――殺す動機としては充分だろう。俺たちは今日という日のためにこれまで積み重ねてきたんだ。それを横からなにも知らないくせにぶち壊しやがった……。
 下りの電車は混んでいた。満員の車内に無理やり身体をねじこんで入っていった。ジョニー・ウォーカーを見る。ぼうっと窓の外を眺めていた。なにを考えているのだろう。なにも考えていないのだろうか。
 腕時計に目をやる。ライブをやっていれば最初のMCに入っているところだった。なにを話すつもりだったのか……それは自分でもわからなかった。俺たちはあまりMCをしなかった。伝えたいことはバンドで、音楽で伝えたかった。だからギターにカポタストを挟んですぐに次の曲に入っていただろう。
 さっきハコから電話があって話をしたときにライブの中止は決定した。時間ギリギリまで待ってくれ、五分だけでもやらせてくれ、などとは言わなかった。俺が中止にしてくれと言ったときスタッフは少し驚いたようだったがわかったと淡々と答えた。
 中止だ。俺はそう呟いた。
 これでもう俺には失うものはなにもない。もうなにも怖くない。殺す。あいつらに、あいつらに、俺と同じ痛みを味わわせてやる。ぎゅっと目をつむった。
 行き先はわかっている。ファジーだ。そこにエンジェルとスマイルはいるので薄暗い店内をそのまま奥へ歩いていって品性の感じられない音楽が鳴り響いていて耳を塞ぎたくなるのをこらえながら酔っ払いとそれと戯れているオカマたちを過ぎると奴らは俺を怪訝そうに見るがすぐにまたくだらないお喋りに夢中になって目をそらすので構わずに俺は歩いていくとそう広くないからすぐに奴らは見つけられるが接客をしている二人は俺に気づかないので俺は黙って拳銃を向けると店内の人間が全員俺を見るがためらわずに俺はトリガーに指をかけて一発二発と撃ってエンジェルとスマイルの額に風穴を空けると俺はそのまま自分のこめかみに銃口を当てて――
「降りるぞ」
 ジョニー・ウォーカーが言った。俺はふっと笑ってしまった。それから行くぞと自分に念じて電車を降りた。
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