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He makes me so lonely

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 僕が目覚めたとき、そこは薄暗い部屋の中で、明け方なのか夕暮れなのかも判断がつかないままにベッドに寝かされていた。ダークブラウンで統一された、どこかよそよそしい寝室。僕は重くぼんやりする頭を抱えたまま体を起こしてベッドを抜け出した。寝心地が悪かったのは、きっちりと服を着ていたせいだろう。

「ここ、どこ……?」

 ドアを叩く音がした。返事をすると、入ってきたのは執事服を着こなした初老の男の人だった。彼は僕に馬車の用意ができていると言い、ひとかかえほどの包みを渡してきた。名乗りもしない代弁者は、この荷物がアウグスト様の手に届けられればそれで仕事はすべて完了だと言った。そして僕の荷物を運び、静かに送り出してくれた。何があったのか、よく、思い出せない。思いださなくちゃいけない気がするのに、まるで長い夢を見た後のようにすべてが曖昧だった。

 馬車に揺られてボンヤリしていると、鞄の外側のバンドに封筒が挟まっているのを見つけた。透かしの入った便箋を開くと、「すまなかった」と、ただ一言だけあった。甘苦いソーマの残り香がふわっと立ち昇って僕の鼻をくすぐる。瞬間、確かにその香りに包まれた夜があったことを思い出して、思わず何もかも手放して自分で自分を抱きしめていた。

 あのひとは……あのひとは酔って寝てしまった僕を抱いたんだ! 意識がない僕を、無理やり。

 しかも、目が覚めてその行いをなじった僕を組伏せて、さらに辱しめた。初めてだったのに……あんな、あんな誰にも見せたことのない場所まで暴かれて、酷いことされたっていうのに。他人の肌が、体温が、重みが……あんなに心地好かっただなんて!

 あふれる涙を手の甲で乱暴に拭う。自分で自分が信じられない。今まで自分のことを普通だと思って生きてきたのに、急に「実は違ったんだ」なんて突きつけられてしまって。男に抱かれて悦ぶような、そんな人間だったなんて。きっと、これまで通りでなんていられない。どうしたらいいのか分からない。

 誰かに抱かれるということが、あんなに幸せになれることだったなんて、そんなこと知らなかった。すごく心が安らいで……それに、気持ち好かった。もちろん、それは今思い出すことであって、その最中にはずっと目を逸らし続けてしまっていた。一度でも受け入れてしまったら、後戻りできない気がして。

 それに、あのひとの卑怯な仕打ちに怒ってもいたしね。ところどころ話が噛み合っていなかった気もするけど、実はあんまり正確なことは覚えてない。

 ダントン様は行為の最中、何度も何度も僕に「愛してる」だの「可愛い」だのって囁いていた。思い出すだけで赤面しちゃうくらい甘い台詞で僕を蕩かして、時々怒ったみたいにすごく手酷くされたりもした。あのひとに抱かれながら、いきなりそういう・・・・関係になってしまって、どうしたら良いんだろうなんて考えもした。明日からどういう顔して向かい合えばいいんだろうって。

 だっていうのに、あのひとは僕を捨てたんだ。またしても。





 ゼイルード城に着いて困ったのは、僕が身につけていたのがお仕着せじゃなく平服だったことだ。しかも僕のじゃないっていうのに、あつらえたかのようにピッタリだった。どうしてピッタリなのかは、あんまり考えたくないなぁ。

 さっさと独りになりたかった僕は、奇異の視線を浴びるのも構わず、トマスセンパイの詰めている執務室に急いだ。いつもひとこと多いトマスセンパイが、今日は何も言わない。そのことがすでに「気を使われている」状態だ。ダントン様と僕の間に「何か」があったんだろうと思われている。今すぐ大声で否定したいけど、そんなことすれば「何か」があったと認めているようなものだよね。そもそも、実際には「あった」わけだし。

「……確認した。今日でちょうど七日目・・・だな。どうする、しばらく休暇でも取るか」
「結構です! 明日からまた、いつも通りの仕事に戻ります」
「わかった。ゆっくり休め」

 七日目だと聞いて、僕は一瞬びっくりして固まってしまった。だって、僕の記憶は四日目の夜で途切れている。今までほんとに何されてたんだ、僕! 無言で一礼して部屋を辞そうとした僕の背中を、追うように声がかかる。

「橋渡し、ご苦労だった。辛い役割を負わせてしまったか?」
「……いいえ? 表の仕事が裏の仕事でもあったってだけのことでしょう? 僕はいつもどおりですよ。センパイたちは僕たち“道具”の心配より、大局を見据えていてもらわないと。あ、もし悪かったと思ってるなら、お給料上げてください!」
「それは無理だな」
「即答!?」

 僕が「ちぇ~」と舌を出してみせると、ようやくセンパイの口許もゆるんだ。罪悪感に胸が痛む。だって、ダントン様はきっと、もうここには来ないだろうから。そういう意味では橋渡しは失敗してる。でも、どうしても言えなかったんだ。心のどこかで僕自身がそれを否定したかったから。

 心ごと重くなった体を引きずるようにして部屋に戻ってきた。粗末なベッドに倒れこむと、閉じたまぶたから熱い涙が滲み出てきた。

「僕って……惨めだ」

 言葉にしてしまうとなおさらその思いがこみあげてくる。

 予感はあった。だから、体を繋げてすぐ捨てられたことも予想の範囲内だ。主は選べないとは言うけれど、それでもやっぱり、僕にだけ主がいないのは寂しかった。僕だってトマスセンパイとアウグスト様みたいな関係でありたかった。あんなひとだと知っても、僕はちょっとだけ期待してたんだ。

 どんなに手荒に扱われたって良い、主のために生きて主のために死ぬのが、リズボンの家に生まれた僕の務め。そのために育てられてきたんだもの。

「……ダントン様」

 まぶたの裏に思い描くのは、僕の主人となるはずだったひとの姿。抱かれていた間は、快感に溺れてしまいそうで、それがとても怖かった。でも、今は違う。もっともっと溺れたい。名前を呼ばれたい。激しく求められたい。そして、僕を縛りつけて、支配してほしい……。

 下半身から沸き上がる欲望に背筋がゾクゾクッとする。僕は思わず自分の指を噛み締めていた。きっとしばらく歯形が取れないだろう。それでも構わなかった。こんな壁の薄い部屋で、はしたない声を上げるわけにはいかない。

 きっと、もう二度と会えないひとを想って、僕は自分で自分を慰めるわけにもいかずに身悶えしていた。僕にこんな、男としてあるまじき場所で感じる快楽だけを植えつけて去っていったあのひとを恨みに思う。

 捨てるくらいなら、触れないでほしかった。きっと僕は意識せぬ間にもこうなる未来を感じていたに違いない。だからこそ、あのひとを遠ざけてきたんだ……。
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