39 / 53
溶けていく日々
色が溶けた日
しおりを挟む
“精霊に捧げる麻”。それは各地の領主が家ごとに代々受け継ぐ麻を言う。
カーラー王国では爵位を賜ると同時に、必ず領地と一袋の麻の種子が与えられる。それは一代限りの爵位でも同様だ。当然、その広さに差はあれど、領地とそこで育てる麻を与えられることに例外はない。
後に陞爵しても、最初に賜った家名と麻の育つ地は決して変わることはない。それは単に身分を表す肩書きではなく、精霊との契約だからだ。
麻は精霊の糧と言われている。
天に向かって真っ直ぐに伸びる麻。その茎を通じて精霊は星の光を食べ、対価として領地を護る魔力を地に注ぐ。
だから、名乗る家名はその地に宿る精霊の名を表し、精霊の色が麻に宿る。
私の名はウィスタリア。ドレスは薄い紫色。知識と魔法の精霊が宿る色だ。
染めたのではない。“精霊に捧げる麻”からとれる繊維は、どれだけ洗い落としてもこの色になるのだ。
「彩耀の夜会は」
静かになった会場に、イーサン殿下の声が響く。
「この地に宿る精霊に感謝を伝えるためにある。この国を護る精霊たちの喜びが、私たちに恵みをもたらせてくれる」
そう言って、殿下はきらびやかな衣服を纏う人たちを見た。精霊の魔力が宿る麻ではない、形ばかり家名の色をした、染められた絹を。
それがただ侮蔑と怒りに満ちた視線だったなら、私の胸はこんなに痛まなかったかもしれない。でも殿下を知った今は、怒りの奥に、悲しみと寂しさが浮かんでいることに気が付いてしまった。すぐにでも駆け寄って抱きしめたかった。
一方で話を聞く人たちの表情は様々だった。
青ざめて震える者、羞恥に俯く者、そして不満を滲ませる者。
イーサン殿下は、物言いたげな顔をしている紳士に顔を向けた。珍しい光沢のある絹のタキシードを着た、チャイロ男爵に。
「大層な衣装だな。祈りも感謝も感じないが、この夜会にどう相応しいのか是非聞かせてくれ」
殿下に問われた男爵はぐっと声を詰まらせながらも、どうにか言葉を紡いだ。
「それは……っ、そう! 私はこの夜会に、精霊への感謝として財を捧げているのです。 形ばかりに麻を着ることよりも、心が大切でしょう? この絹を手に入れられるだけの財こそが私の得たもの。ならばそれこそ感謝を示すのに相応しく……!」
「形骸化したしきたりなど必要ないと? 誰がそれを決めた?」
「いや、ですから……心が……」
「よくわかった。男爵、あなたが“精霊に捧げる麻”の意味を何も知らないということが、よく」
「い、意味はもちろん知らないわけがっ……! で、ですが、それは御伽話ではないですか」
「そうだな。あなたにとってはきっとただの御伽噺だ」
殿下がそう言って、私を見た。背後に人の気配を感じて肩に手を置かれる。
「ディーン兄さま」
振り向かなくてもわかる。肩に乗る手、その裾は私と同じ、薄紫の麻の衣装だった。ウィスタリア伝統の丈の長い上着は、一度も染められることなく織り上げられている。
「ならば見るがいい、ウィスタリアの見事な藤色を。精霊の真心の色が確かに存在する証明を」
一斉に、人の目が私と兄に向けられる。背中を兄さまに支えられていてよかった。さっきは頑張れたけど、さらに増えた視線に一人で耐え切れる気がしない。
「そんな……! ウィスタリアはその長い歴史をかけて品種を改良しているのでしょう!? 我々新興には──」
「信じられぬならば色を手放せ、アンバーよ」
咄嗟に反論をするチャイロ男爵の言葉を遮ったのは、イーサン殿下の声ではなかった。殿下に似ているけれど、もっと低くて落ち着いた成人らしい声。
人垣が割れていく。それを見る男爵の目が見開かれていき、顔色を悪くする。現れた人物に、その場の全員が最上位の礼をして傅く。
国王陛下その人が、そこに居た。
カーラー王国では爵位を賜ると同時に、必ず領地と一袋の麻の種子が与えられる。それは一代限りの爵位でも同様だ。当然、その広さに差はあれど、領地とそこで育てる麻を与えられることに例外はない。
後に陞爵しても、最初に賜った家名と麻の育つ地は決して変わることはない。それは単に身分を表す肩書きではなく、精霊との契約だからだ。
麻は精霊の糧と言われている。
天に向かって真っ直ぐに伸びる麻。その茎を通じて精霊は星の光を食べ、対価として領地を護る魔力を地に注ぐ。
だから、名乗る家名はその地に宿る精霊の名を表し、精霊の色が麻に宿る。
私の名はウィスタリア。ドレスは薄い紫色。知識と魔法の精霊が宿る色だ。
染めたのではない。“精霊に捧げる麻”からとれる繊維は、どれだけ洗い落としてもこの色になるのだ。
「彩耀の夜会は」
静かになった会場に、イーサン殿下の声が響く。
「この地に宿る精霊に感謝を伝えるためにある。この国を護る精霊たちの喜びが、私たちに恵みをもたらせてくれる」
そう言って、殿下はきらびやかな衣服を纏う人たちを見た。精霊の魔力が宿る麻ではない、形ばかり家名の色をした、染められた絹を。
それがただ侮蔑と怒りに満ちた視線だったなら、私の胸はこんなに痛まなかったかもしれない。でも殿下を知った今は、怒りの奥に、悲しみと寂しさが浮かんでいることに気が付いてしまった。すぐにでも駆け寄って抱きしめたかった。
一方で話を聞く人たちの表情は様々だった。
青ざめて震える者、羞恥に俯く者、そして不満を滲ませる者。
イーサン殿下は、物言いたげな顔をしている紳士に顔を向けた。珍しい光沢のある絹のタキシードを着た、チャイロ男爵に。
「大層な衣装だな。祈りも感謝も感じないが、この夜会にどう相応しいのか是非聞かせてくれ」
殿下に問われた男爵はぐっと声を詰まらせながらも、どうにか言葉を紡いだ。
「それは……っ、そう! 私はこの夜会に、精霊への感謝として財を捧げているのです。 形ばかりに麻を着ることよりも、心が大切でしょう? この絹を手に入れられるだけの財こそが私の得たもの。ならばそれこそ感謝を示すのに相応しく……!」
「形骸化したしきたりなど必要ないと? 誰がそれを決めた?」
「いや、ですから……心が……」
「よくわかった。男爵、あなたが“精霊に捧げる麻”の意味を何も知らないということが、よく」
「い、意味はもちろん知らないわけがっ……! で、ですが、それは御伽話ではないですか」
「そうだな。あなたにとってはきっとただの御伽噺だ」
殿下がそう言って、私を見た。背後に人の気配を感じて肩に手を置かれる。
「ディーン兄さま」
振り向かなくてもわかる。肩に乗る手、その裾は私と同じ、薄紫の麻の衣装だった。ウィスタリア伝統の丈の長い上着は、一度も染められることなく織り上げられている。
「ならば見るがいい、ウィスタリアの見事な藤色を。精霊の真心の色が確かに存在する証明を」
一斉に、人の目が私と兄に向けられる。背中を兄さまに支えられていてよかった。さっきは頑張れたけど、さらに増えた視線に一人で耐え切れる気がしない。
「そんな……! ウィスタリアはその長い歴史をかけて品種を改良しているのでしょう!? 我々新興には──」
「信じられぬならば色を手放せ、アンバーよ」
咄嗟に反論をするチャイロ男爵の言葉を遮ったのは、イーサン殿下の声ではなかった。殿下に似ているけれど、もっと低くて落ち着いた成人らしい声。
人垣が割れていく。それを見る男爵の目が見開かれていき、顔色を悪くする。現れた人物に、その場の全員が最上位の礼をして傅く。
国王陛下その人が、そこに居た。
3,004
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エレナは、
誕生日の舞踏会で突然、婚約破棄を宣言される。
「地味で役に立たない」と嘲笑され、
平民の少女を新たな婚約者に選ぶ王太子。
家族にも見放され、エレナは王都を追われることに――。
しかし彼女は、ただの“癒しの令嬢”ではなかった。
静かに力を蓄え、事実と証拠だけで王太子の虚飾を暴き、
自らの手で破滅へと導いていく。
復讐の果てに選んだのは、
誰かに与えられる地位でも、名誉でもない。
自分で選び取る、穏やかな幸せ。
これは、
婚約破棄された公爵令嬢が
王太子を終わらせたあと、
本当の人生を歩き出す物語。
-
妹の方が大事だとおっしゃる旦那様。なら妹と婚約すればいいのでは??
睡蓮
恋愛
ロンベル伯爵とセレシアは婚約関係にあったものの、ロンベルには3人の妹がおり、彼はそちらの方にばかり気をかけていた。そんなある日の事、ロンベルは一方的な理由をつけてセレシアの事を婚約破棄してしまう。そこには妹に対するゆがんだ思いがあったのであろうが、彼は後にその感情によって自らを滅ぼすことになるのだった…。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
「婚約破棄だ」と笑った元婚約者、今さら跪いても遅いですわ
ゆっこ
恋愛
その日、私は王宮の大広間で、堂々たる声で婚約破棄を宣言された。
「リディア=フォルステイル。お前との婚約は――今日をもって破棄する!」
声の主は、よりにもよって私の婚約者であるはずの王太子・エルネスト。
いつもは威厳ある声音の彼が、今日に限って妙に勝ち誇った笑みを浮かべている。
けれど――。
(……ふふ。そう来ましたのね)
私は笑みすら浮かべず、王太子をただ静かに見つめ返した。
大広間の視線が一斉に私へと向けられる。
王族、貴族、外交客……さまざまな人々が、まるで処刑でも始まるかのように期待の眼差しを向けている。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる