38 / 53
溶けていく日々
女神が溶けた日
しおりを挟む
「豊穣の女神をイメージしましたの!」
声につられてそちらを見れば、輪のように人が連なるその中心にカレン・アンバーが居た。
彼女のドレスを見れば、周囲に集まった人々が称賛するその理由が一目でわかる。それくらい、見事な絹だった。
ランタンの光を反射するほどに滑らかで、くすみひとつない純白。それに、シンプルなようでいて、細かなカットや立体的なシルエットを作る技巧が施されたデザイン。
ひと巻きの値段が目が飛び出るほどするであろう希少な絹を、惜しげもなく使って作られたものだとわかる。夜の庭園でまるで発光しているかのような美しさだった。
彼女の肉感的な身体の魅力を引き出し、かつ神秘的に見せるデザインは、どことなく外国の古代神殿にある神々の像を連想させる。
さらに、彼女の髪を彩る飾り。果実と草花で編んだ冠を模したそれは、すべて高価な宝石と黄金で作られている。
豊穣の女神をイメージしたと言うのもなるほどと思わせた。
アンバー嬢は次々に寄せられる質問や称賛に淀みなく答えていた。隣に立つバーニーは物憂げな表情だが、二人の背後に寄り添うようなチャイロ男爵は満足げな笑みを浮かべて娘を見守っている。この夜会が終わる頃には、アンバー商会にはあの絹の注文が殺到しているだろう。
不意に、アンバー嬢の視線がこちらに流れた。パチンと目が合う。
ほとんどの人は眩い程の輝きを放つ彼女に夢中で気がついて居ない。しかし、幾人かは視線の動きを辿って私の存在に気がついた。
バーニー・スプルースの婚約者だった期間は三年にも及んだから、誰もが私とバーニーの関係を知っている。そのバーニーが今、カレン・アンバーの隣に立っている意味も。
「スプルースはうまく乗り換えたな」
誰が言ったとも知れない言葉が耳に届いた。喧騒の中で、虫の羽音のようにささやかで、しかし不快な存在感だけはしっかり主張するようなそれ。
名ばかりのウィスタリアと、大貴族をしのぐ財力と勢いのあるアンバー。確かに、今この場で向き合う私ニーナ・ウィスタリアとカレン・アンバーは、まるで両家の立ち位置をそのまま示すかのような明暗にくっきりと象られていた。
「まあ……ウィスタリア嬢のドレスは……絹ですら無いのではない?」
また、ヒソヒソと声がする。カレン・アンバーを取り巻く令嬢の一人だろう。誰に擦り寄りたいのかよくわかる言葉だった。
「あなたね……!」
「マドリーン様」
マドリーン様が目を吊り上げて言い返そうとするのを、そっと腕に触れて止める。
私は背筋をしゃんと伸ばして、ドレスがよく見えるように一歩灯へ近付いた。そしてはっきり、言葉にする。
「麻ですわ」
やり取りを見守る人たちからざわめきが生まれた。この国で麻と言えば庶民でも買わない。売り物にすらならないのだ。どの村でも織られていて、誰もが身につけることができるものだから。
「まあ……! 麻ですって……」
その場にささやかな嘲笑が生まれた瞬間、隣で空気が動いた。
あ、と思ったときには、隣に居たイーサン殿下はゆったりとカレン・アンバーの方へ歩み始めていた。
それはまるで、王家までもがウィスタリアを捨ててアンバーの権勢に歩み寄るようにも見えたかもしれない。
実際、殿下に気がついたチャイロ男爵が驚きと喜色をその顔に乗せるのを隠さなかった。そしてアンバー嬢は見惚れるほど美しい礼をして、殿下を迎えるように妖艶に微笑んだ。
「我が国には、豊穣の女神への信仰などない。まさかこの夜会が、この地を護る精霊に捧げるものだと知らない者がいるのか?」
殿下の言葉に、アンバー家を中心にわいていた熱気が一瞬で凍りついた。
「い、いえ、豊穣の女神というのは信仰でなく、あくまでその、姿のイメージで……そう! 隣国の流行ですのよ! うふ、ふふ……」
静寂の中、カレン・アンバーは口もとを強張らせながらも、どうにか微笑みを保って答える。
「隣国の流行だから? この夜会への認識がその程度のものなのかと、よくわかる馬鹿な言葉だ」
殿下の言葉がますます鋭さを増して、夏だというのに周囲の気温が一段、一段と下がっていく気がする。
殿下は興味を失ったように、目線をアンバー嬢から背後のチャイロ男爵へと移した。
「馬車の中で見なかったのか? 精霊の怒りを」
「あ、あれは、魔道ランタンの不具合による魔力暴走では……」
チャイロ男爵の言葉に、殿下の眉間にはっきりと不快感が浮かぶ。
「違うな。ただの魔力暴走であれほど天地が荒れるなどあるはずがないだろう。序列を乱した誰かのせいで精霊が荒れた」
何か言い返したそうに唇を噛むチャイロ男爵のことは構わず、殿下はぐるりと、アンバー家を囲んでいた貴族たちを見渡した。
「こんなに居るとはな。“精霊に捧げる麻”以外を身につけて来る者たちが」
抑えようとも溢れるようなイーサン殿下の怒りに、さらにもう一段、周囲の気温が下がった。
かつての婚約者であるバーニーは、自分の存在を消したいかのように、ずっと顔を青くして俯いていた。
声につられてそちらを見れば、輪のように人が連なるその中心にカレン・アンバーが居た。
彼女のドレスを見れば、周囲に集まった人々が称賛するその理由が一目でわかる。それくらい、見事な絹だった。
ランタンの光を反射するほどに滑らかで、くすみひとつない純白。それに、シンプルなようでいて、細かなカットや立体的なシルエットを作る技巧が施されたデザイン。
ひと巻きの値段が目が飛び出るほどするであろう希少な絹を、惜しげもなく使って作られたものだとわかる。夜の庭園でまるで発光しているかのような美しさだった。
彼女の肉感的な身体の魅力を引き出し、かつ神秘的に見せるデザインは、どことなく外国の古代神殿にある神々の像を連想させる。
さらに、彼女の髪を彩る飾り。果実と草花で編んだ冠を模したそれは、すべて高価な宝石と黄金で作られている。
豊穣の女神をイメージしたと言うのもなるほどと思わせた。
アンバー嬢は次々に寄せられる質問や称賛に淀みなく答えていた。隣に立つバーニーは物憂げな表情だが、二人の背後に寄り添うようなチャイロ男爵は満足げな笑みを浮かべて娘を見守っている。この夜会が終わる頃には、アンバー商会にはあの絹の注文が殺到しているだろう。
不意に、アンバー嬢の視線がこちらに流れた。パチンと目が合う。
ほとんどの人は眩い程の輝きを放つ彼女に夢中で気がついて居ない。しかし、幾人かは視線の動きを辿って私の存在に気がついた。
バーニー・スプルースの婚約者だった期間は三年にも及んだから、誰もが私とバーニーの関係を知っている。そのバーニーが今、カレン・アンバーの隣に立っている意味も。
「スプルースはうまく乗り換えたな」
誰が言ったとも知れない言葉が耳に届いた。喧騒の中で、虫の羽音のようにささやかで、しかし不快な存在感だけはしっかり主張するようなそれ。
名ばかりのウィスタリアと、大貴族をしのぐ財力と勢いのあるアンバー。確かに、今この場で向き合う私ニーナ・ウィスタリアとカレン・アンバーは、まるで両家の立ち位置をそのまま示すかのような明暗にくっきりと象られていた。
「まあ……ウィスタリア嬢のドレスは……絹ですら無いのではない?」
また、ヒソヒソと声がする。カレン・アンバーを取り巻く令嬢の一人だろう。誰に擦り寄りたいのかよくわかる言葉だった。
「あなたね……!」
「マドリーン様」
マドリーン様が目を吊り上げて言い返そうとするのを、そっと腕に触れて止める。
私は背筋をしゃんと伸ばして、ドレスがよく見えるように一歩灯へ近付いた。そしてはっきり、言葉にする。
「麻ですわ」
やり取りを見守る人たちからざわめきが生まれた。この国で麻と言えば庶民でも買わない。売り物にすらならないのだ。どの村でも織られていて、誰もが身につけることができるものだから。
「まあ……! 麻ですって……」
その場にささやかな嘲笑が生まれた瞬間、隣で空気が動いた。
あ、と思ったときには、隣に居たイーサン殿下はゆったりとカレン・アンバーの方へ歩み始めていた。
それはまるで、王家までもがウィスタリアを捨ててアンバーの権勢に歩み寄るようにも見えたかもしれない。
実際、殿下に気がついたチャイロ男爵が驚きと喜色をその顔に乗せるのを隠さなかった。そしてアンバー嬢は見惚れるほど美しい礼をして、殿下を迎えるように妖艶に微笑んだ。
「我が国には、豊穣の女神への信仰などない。まさかこの夜会が、この地を護る精霊に捧げるものだと知らない者がいるのか?」
殿下の言葉に、アンバー家を中心にわいていた熱気が一瞬で凍りついた。
「い、いえ、豊穣の女神というのは信仰でなく、あくまでその、姿のイメージで……そう! 隣国の流行ですのよ! うふ、ふふ……」
静寂の中、カレン・アンバーは口もとを強張らせながらも、どうにか微笑みを保って答える。
「隣国の流行だから? この夜会への認識がその程度のものなのかと、よくわかる馬鹿な言葉だ」
殿下の言葉がますます鋭さを増して、夏だというのに周囲の気温が一段、一段と下がっていく気がする。
殿下は興味を失ったように、目線をアンバー嬢から背後のチャイロ男爵へと移した。
「馬車の中で見なかったのか? 精霊の怒りを」
「あ、あれは、魔道ランタンの不具合による魔力暴走では……」
チャイロ男爵の言葉に、殿下の眉間にはっきりと不快感が浮かぶ。
「違うな。ただの魔力暴走であれほど天地が荒れるなどあるはずがないだろう。序列を乱した誰かのせいで精霊が荒れた」
何か言い返したそうに唇を噛むチャイロ男爵のことは構わず、殿下はぐるりと、アンバー家を囲んでいた貴族たちを見渡した。
「こんなに居るとはな。“精霊に捧げる麻”以外を身につけて来る者たちが」
抑えようとも溢れるようなイーサン殿下の怒りに、さらにもう一段、周囲の気温が下がった。
かつての婚約者であるバーニーは、自分の存在を消したいかのように、ずっと顔を青くして俯いていた。
3,142
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エレナは、
誕生日の舞踏会で突然、婚約破棄を宣言される。
「地味で役に立たない」と嘲笑され、
平民の少女を新たな婚約者に選ぶ王太子。
家族にも見放され、エレナは王都を追われることに――。
しかし彼女は、ただの“癒しの令嬢”ではなかった。
静かに力を蓄え、事実と証拠だけで王太子の虚飾を暴き、
自らの手で破滅へと導いていく。
復讐の果てに選んだのは、
誰かに与えられる地位でも、名誉でもない。
自分で選び取る、穏やかな幸せ。
これは、
婚約破棄された公爵令嬢が
王太子を終わらせたあと、
本当の人生を歩き出す物語。
-
妹の方が大事だとおっしゃる旦那様。なら妹と婚約すればいいのでは??
睡蓮
恋愛
ロンベル伯爵とセレシアは婚約関係にあったものの、ロンベルには3人の妹がおり、彼はそちらの方にばかり気をかけていた。そんなある日の事、ロンベルは一方的な理由をつけてセレシアの事を婚約破棄してしまう。そこには妹に対するゆがんだ思いがあったのであろうが、彼は後にその感情によって自らを滅ぼすことになるのだった…。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
「婚約破棄だ」と笑った元婚約者、今さら跪いても遅いですわ
ゆっこ
恋愛
その日、私は王宮の大広間で、堂々たる声で婚約破棄を宣言された。
「リディア=フォルステイル。お前との婚約は――今日をもって破棄する!」
声の主は、よりにもよって私の婚約者であるはずの王太子・エルネスト。
いつもは威厳ある声音の彼が、今日に限って妙に勝ち誇った笑みを浮かべている。
けれど――。
(……ふふ。そう来ましたのね)
私は笑みすら浮かべず、王太子をただ静かに見つめ返した。
大広間の視線が一斉に私へと向けられる。
王族、貴族、外交客……さまざまな人々が、まるで処刑でも始まるかのように期待の眼差しを向けている。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる