【完結】浮気した婚約者を認識できなくなったら、快適な毎日になりました

丸インコ

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消えていく日々

喧騒が消えた日

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『アンナクソヤロー、ミエナクナッテモイイデショ』

 愛らしく小首を傾げたメッセージバードが、愛らしさの欠片もない暴言を吐く。

「そりゃ、そうだけど……」

 私はため息をついて呟く。マドリーン様を見送ってしばらくして、出掛けていた父と兄が帰宅した。そして。
 母に事情を聞いた父もディーン兄さまも、あまりにも家族皆が同じことを言うので、何だか私まで「そうかもしれない」と思い始めていた。そこへデューク兄さまのメッセージバードだ。

『アエナイホウガ、ミレンモナクナッテ、イーンジャナイノー』
「またそうやって簡単に言う」

 まるで会話しているようだが、メッセージバードはメッセージを届けるだけなので、ただ私が言葉を挟んでいるに過ぎない。まあ、デューク兄さまの予測がとても正確というのもあるが、会話でなく一方通行だ。

『カンガエスギナンダヨ、イチイチ!』
「これほんとに一方通行よね?」

『マー、サッサトアタラシイアイテ、サガシナ』
「新しい相手……」

『エー? デュークオニーサマクライ、ステキナヒト? ソレハチョット、ムズカシインジャナーイ?』
「いや言ってないから。やっぱり一方通行だわ」


 まあ、冷静になれば確かにクソヤローかもしれないな、と思う。

 一度は婚約を受け入れておいて愛する努力をしないというのもそうだし、それでズルズル婚約を続けた挙句、好きな人ができたから解消しろだなんて。
 貴族の結婚に恋愛は必要ないと言えばそうだが、それなら最後まで貴族らしく政略を貫けばよかった。恋をしてしまったのでごめんなさいと言えるくらいなら、私を愛せないと気付いた時点で婚約解消して愛せる人を探せば良かったのだ。

「もとの関係に戻れないなら……確かに見えない聞こえない方が都合が良いかも」

 それに。私には、私を大切にしてくれる家族やマドリーン様が居る。

 バーニーが見えなくなってしまったことにも、その内に慣れる。そしてこの恋を忘れた頃には、彼の姿もまた見えるようになるのかもしれない。



「ニーナ・ウィスタリア嬢」

 学園で呼び止められたのは、姿の見えない恋に少しずつ慣れ始めた頃だった。

「──っ、殿下……! ご機嫌よう」

 春の陽にあたためられた木々が瑞々しい緑の香りを立ち上らせる、青空の下。図書館に行くために中庭を突っ切っていた私は、背後から名前を呼ばれて立ち止まった。

 声を掛けてきた人物はルビーのような深紅の瞳をして、陽に透ける蜂蜜色の髪を風に泳がせていた。絵画から抜け出て来たような姿は非常に眼福だが、問題はその人物の持つ身分だ。

 声の主はイーサン・バーミリオン王弟殿下。

 この国、カーラー王国の若き王の、十歳下の弟君だ。学園では私やバーニーのひとつ上、最高学年に在籍する。

「堅苦しいのは無しで。 イーサンでいいよ、……ここでは」

 口元をほんのりと緩めて、殿下はそう言った。眉を下げて苦笑する、微かに憂いを孕んだ表情はとても魅力的──なのだけれど。

「さすがにそれは……恐れ多いですわ」

 距離を縮めるには警戒心が先立つ。

「それはそうか。妥協しよう、“殿下”はそのままでいいから、少しだけ話がしたい」
「ええと……」

 どうしよう。

 身分的に大変断りにくいのだが、今日は蔵書整理のため図書館の閉館時間が早い。閉まってしまう前に借りていた本を返し、別の本を借りたいのだが。

 答えにきゅうした僅かの間に、殿下が私の手元をチラリと見た。

「歩きながらで構わない」

「はい」

 殿下は何も言わず図書館の方へ歩き出す。王族なのだから希望を押し通すこともできるのに、あくまでこちらの都合を優先させてくれる姿勢に、ふわりと心が緩んだ。挨拶する程度の接点だったがこんなに紳士な方だったとは。

 麗らかな陽射しの中、二人並んで芝を踏む。視界が届く範囲には思い思いに放課後を過ごす生徒たちがちらほらと見え、お喋りや笑い声がささやかな喧騒を運んでくる。風が木々を揺らすザワザワとした音や鳥の鳴き声。

 なかなか声を発しないイーサン殿下の言葉の代わりに、それらに耳を傾けた。しばらくの後、ようやく殿下がため息をもらす。

「こんな話を聞かされても君は戸惑うだろうけど……最近、どこを向いても婚約の話が湧いて来ていてね。陛下からも母からも、宰相からも」

 先代の国王が亡くなって、殿下の兄王子が国王として立ったけれど、王太后様はご健在だ。

「殿下のお立場であれば、まあ……」

「ああ、分かっている。分かってるんだ。仕方がないことなんだけれど」

 微かに言い淀む殿下に首を傾げる。その様子を上目に見た殿下が小さく息を吸って、空を見上げた。言葉は続けられる。

「私にも、候補を挙げる余地が欲しい」

「それは今の候補の方々は殿下のお目にかなわないということでしょうか?」

 イーサン殿下が微かに笑う。

「今の候補はね、いろいろと・・・・・奔放だと噂の隣国の王女と、10歳上で離婚歴のある海洋国の公爵令嬢、わがままで癇癪持ちの7歳児、それから──」

「そ、それ以上はもう……何となく察するものが」

 不穏な言葉が多々聞こえた。なぜそんな女性を王族の婚姻相手にという案件だが、おそらく王族だからなのだろう。金か、交易か、契約か。何かしら国にメリットがあるのだ。

「どう思う?」

「それはその……お気の毒、としか……」

「ははっ! 君、案外冷たいね?」

「しっ、失礼しました!」

 殿下は笑った。まるで他人のことのように。それからふと、足を止めた。それに合わせて私も立ち止まる。正面から目が合った。殿下が真っ直ぐに、私を見ている。

「末っ子である私の相手に、後ろ盾となる程の家格は必要ない。王族として繋ぐべき縁もおまけみたいなものなんだ。高位貴族であれば……できれば、派閥に属していない、堅実な家柄の令嬢であればそれだけで」

 ザワリ、と心が波立つ。

「私が候補に上げたいのは、誠実な──」

 そこで殿下は言葉を区切って、私が抱える本に目を落とした。

「そうだな、例えばレポートひとつ書くにもきちんと専門の文献を調べて制作するような、そんなタイプの人がいい」

 息を飲む。周囲の喧騒が聞こえなくなった気がした。

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