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消えていく日々
疑問が消えた日
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「ニーナ様、落ち着いて聞いて頂戴」
移動した先で素早く食事を終えたマドリーン様は、私が食べ終えるのを待って即座に席を立った。そして「ちょっと来て」と私の手を引いて、人気のない中庭にやって来たのだ。
そして信じられないことを言い出した。
「スプルースについてだけど、普通に学園に通っているわ」
「まあ」
それなら顔を合わせても良さそうなものなのに。
「それに……さっきも食堂で、あなたに話しかけてたわよ」
えっ?
私は思わずぽかんと口を開けて固まった。先程のマドリーン嬢と立場が逆転した形だ。
「全然気が付かなかったわ! 無視してしまったみたいで、なんだか気が咎めるわね」
私が返すとマドリーン様は言いにくそうに口をもにゅもにゅと動かした。かわいい。
「その、今日だけじゃないのよ。復帰した日に廊下で遭遇した時も新しい恋人にベッタリくっついて来てたし」
「復帰した日……」
私はその日のことを思い出す。周囲からそれとなく遠巻きにされる中、絡んできた人物といえば。
「もしかして、先程の令嬢がバーニー……グリン伯爵子息の恋のお相手なの?」
マドリーン嬢がコクリと頷く。それで彼女に対して厳しい顔をしていたのか。私のことを思い遣ってくれていたことが嬉しい。
「そう、彼女が」
まさか向こうから話し掛けてくるとは想定していなかったせいで、バーニーの恋人だとは思いもしなかった。
「でも子息本人には会っていないけど……」
戸惑いながら言えば、マドリーン様がゆっくりと首を左右に振った。
「いいえ、会っているのよ」
「え?」
意味がわからない。
「どういうこと?」
「ニーナ様、おそらくだけどあなたは、スプルースのことが認識できなくなっている」
「なっ……」
「はじめは、ニーナ様があの愚か者を無視しているのかと思って、痛快に感じていたの。だけど今日あなたの話を聞いて、そうじゃなかったんだと気付いたわ。ニーナ様には、見えていないし聞こえていないのね。姿も、声も。まるで相手が透明人間になってしまったように」
そんな馬鹿な。
絶句していると、マドリーン様がため息をついて、そっと私の手を取る。
「あまりに辛いことがあると、心を守るためにその出来事の記憶を失くしたりすることがあると聞いたことがあるわ。ニーナ様の場合はその変則型かもしれない。見たくないから、相手を認識することを頭が拒んでいる状態じゃないかしら」
マドリーン様の声とチャイムの音が、やけに遠くに聞こえた。促されて教室に戻り講義を受けたけれど、授業の内容はまったく頭に入って来なかった。
◆
放課後、マドリーン様はわざわざウィスタリア家まで付き添ってくれて、そして母に会い、私の状態を説明までしてくれた。申し訳ないと思いつつも、正直なところとても助かった。なにせ、自分のことなのに私自身が自分に何が起きているのか、まったくわかっていないからだ。
「まあ……」
マドリーン様の話を聞いた母は口もとを押さえて息を飲んだ。信じろと言う方が難しいかもしれない。仮に真実だとして、娘がおかしくなってしまったとしたらそれはそれでショックだろう。
婚約解消以来、心配ばかり掛けている。申し訳ない気持ちで母を見れば、その表情は思いもよらないものだった。
口もとを覆っていた手を外した母は、にんまりと笑っていた。
「良かったじゃないの、ニーナ! あのロクデナシの顔を見ずに済んで!」
思ってたリアクションと、なんか違う。
移動した先で素早く食事を終えたマドリーン様は、私が食べ終えるのを待って即座に席を立った。そして「ちょっと来て」と私の手を引いて、人気のない中庭にやって来たのだ。
そして信じられないことを言い出した。
「スプルースについてだけど、普通に学園に通っているわ」
「まあ」
それなら顔を合わせても良さそうなものなのに。
「それに……さっきも食堂で、あなたに話しかけてたわよ」
えっ?
私は思わずぽかんと口を開けて固まった。先程のマドリーン嬢と立場が逆転した形だ。
「全然気が付かなかったわ! 無視してしまったみたいで、なんだか気が咎めるわね」
私が返すとマドリーン様は言いにくそうに口をもにゅもにゅと動かした。かわいい。
「その、今日だけじゃないのよ。復帰した日に廊下で遭遇した時も新しい恋人にベッタリくっついて来てたし」
「復帰した日……」
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「そう、彼女が」
まさか向こうから話し掛けてくるとは想定していなかったせいで、バーニーの恋人だとは思いもしなかった。
「でも子息本人には会っていないけど……」
戸惑いながら言えば、マドリーン様がゆっくりと首を左右に振った。
「いいえ、会っているのよ」
「え?」
意味がわからない。
「どういうこと?」
「ニーナ様、おそらくだけどあなたは、スプルースのことが認識できなくなっている」
「なっ……」
「はじめは、ニーナ様があの愚か者を無視しているのかと思って、痛快に感じていたの。だけど今日あなたの話を聞いて、そうじゃなかったんだと気付いたわ。ニーナ様には、見えていないし聞こえていないのね。姿も、声も。まるで相手が透明人間になってしまったように」
そんな馬鹿な。
絶句していると、マドリーン様がため息をついて、そっと私の手を取る。
「あまりに辛いことがあると、心を守るためにその出来事の記憶を失くしたりすることがあると聞いたことがあるわ。ニーナ様の場合はその変則型かもしれない。見たくないから、相手を認識することを頭が拒んでいる状態じゃないかしら」
マドリーン様の声とチャイムの音が、やけに遠くに聞こえた。促されて教室に戻り講義を受けたけれど、授業の内容はまったく頭に入って来なかった。
◆
放課後、マドリーン様はわざわざウィスタリア家まで付き添ってくれて、そして母に会い、私の状態を説明までしてくれた。申し訳ないと思いつつも、正直なところとても助かった。なにせ、自分のことなのに私自身が自分に何が起きているのか、まったくわかっていないからだ。
「まあ……」
マドリーン様の話を聞いた母は口もとを押さえて息を飲んだ。信じろと言う方が難しいかもしれない。仮に真実だとして、娘がおかしくなってしまったとしたらそれはそれでショックだろう。
婚約解消以来、心配ばかり掛けている。申し訳ない気持ちで母を見れば、その表情は思いもよらないものだった。
口もとを覆っていた手を外した母は、にんまりと笑っていた。
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思ってたリアクションと、なんか違う。
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