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増えていく日々
失望が増えた日
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眉をしかめたくなるような知らせは、憤慨した様子のマドリーン様からもたらされた。
「あの羽虫ども、随分と勝手な噂を振りまいているんですのよ!」
「はむし」
午後の授業が始まる前の大教室。階段状に設けられた聴講席では、学生たちが思い思いの席で時間を過ごしている。講義が始まるまではまだ少し早いため、人影はまばらだ。
マドリーン様が隣の席で怒りをあらわにする。私たちが席を取っているのは一番後方。先に教室に来ていた私が中程の位置にいたのを、話したいことがあるからと後ろの席まで引っ張って来られたのだ。
マドリーン様は先程まで、クラス外で付き合いのある令嬢たちと昼食の時間を過ごしていたという。そこでどうやら私とバーニー・スプルース、そしてカレン・アンバーに関する噂を聞いたとのこと。
「ニーナ様がスプルースとアンバーを恨んで、家の力を使って二人を追い詰めている──ですって! 冗談じゃないわ」
「まあ」
あまりの言われように、思わず脱力の声が出てしまった。私がウィスタリアの名を笠に着て味方を得ようと動いたことは一度もない。家にしてもそうだ。
不義理を働いたグリン伯爵と息子のバーニーに憤っていたし、両家に距離ができることは避けられない。だが、無関係の他家まで先導してスプルース家を追い詰めようと動くことは、父もディーンお兄様もしていない。もちろん、相応の慰謝料はお支払いいただいたと聞いたが、グリン伯爵も納得してのことだ。
婚約解消以来、もと婚約者に失望するような話はいくつかあったけれど、はっきりとした敵意を向けられているわけではないと思っていた。だからこちらからは関わらない姿勢を貫こうと決めていたのだ。そもそも結婚を間近に控えて捨てられたのはこちらだし、それによってバーニーとアンバー嬢が周囲からどう見られようと、私の干渉するところではないと思っていたから。
何だかつくづく、失望してしまった。思い出とともに胸の奥に燻っていた恋心の残火が、プスプスと音を立てて炭となっていくような気がした。
「仮に、仮にですわよ? ニーナ様とウィスタリア家がそのように動いたからと言って、先にフジーロ侯爵を虚仮にしたのは向こうですもの。何も責められる謂れはありませんわ!」
「ありがとう、マドリーン様。でもそう思ってくれるのは、家名を背負っている認識がある者に限られますわよね……ウィスタリアは誓って、自ら動いてなどいませんわ」
ため息をつくと、マドリーン様も思うところがあったのか、珍しく眉をハの字にして口をつぐんだ。その態度に、あんなに憤っていたのは噂の内容にだけではないのだと気が付く。
「ねえ、マドリーン様。あの二人はきっと、同情を得ることに成功しているのよね」
「っ! 私と同意見の者だって多いですわ!」
「それでも。家名を汚されるという意識がなければ『単なる失恋』ですわよ。私もつい今まではそう思って忘れようとしていましたもの。そうね、きっと『失恋ごときで権力を持ち出すなんて』……と、私は今、そう言われているのでしょうね」
マドリーン様は悔しそうに、きゅっと唇を噛んだ。
これまでの私は、侯爵令嬢として少し呑気だったのだと思う。つい最近までウィスタリアの名を背負っているという意識も薄かった。でも、愛すべき家族が、そしてイーサン殿下のような高き方までが大切にしてくれる“名前”に泥を塗られたら、それは見過ごしてはいけないのだ。
「いけませんわね、マドリーン様にこんな顔をさせてしまっては」
私の言葉に、マドリーン嬢が驚いたようにこちらを見た。深く息を吸って、顔を上げる。真っ直ぐに、前を向く。
「受けて立ちましょう」
宣言した私に、なぜかマドリーン様が顔を赤く染めた。地味で主張の少ない私が強い言葉を使ったから、少しびっくりさせてしまったのかもしれない。
ふと、数日前にデューク兄様に告げられたメッセージが蘇る。
『性悪女に気をつけな』
お兄様は、追い詰められた二人が私を貶めようと動くことを、見越していたのだろうか。権力闘争に無関心を貫く自由人に見えて、何だかんだ権謀術数渦巻く王宮で出世しているのだ、あの兄は。
メッセージバードは未だ私のもとから消えない。それが力強く思えてそっと頭上に意識を向ける。
『グーグー』
小鳥はふてぶてしく、小さないびきをたてて寝こけていた。兄には失望した。
✴︎読んでくださりありがとうございます!
次回から、バーニー・スプルース【2】です。
「あの羽虫ども、随分と勝手な噂を振りまいているんですのよ!」
「はむし」
午後の授業が始まる前の大教室。階段状に設けられた聴講席では、学生たちが思い思いの席で時間を過ごしている。講義が始まるまではまだ少し早いため、人影はまばらだ。
マドリーン様が隣の席で怒りをあらわにする。私たちが席を取っているのは一番後方。先に教室に来ていた私が中程の位置にいたのを、話したいことがあるからと後ろの席まで引っ張って来られたのだ。
マドリーン様は先程まで、クラス外で付き合いのある令嬢たちと昼食の時間を過ごしていたという。そこでどうやら私とバーニー・スプルース、そしてカレン・アンバーに関する噂を聞いたとのこと。
「ニーナ様がスプルースとアンバーを恨んで、家の力を使って二人を追い詰めている──ですって! 冗談じゃないわ」
「まあ」
あまりの言われように、思わず脱力の声が出てしまった。私がウィスタリアの名を笠に着て味方を得ようと動いたことは一度もない。家にしてもそうだ。
不義理を働いたグリン伯爵と息子のバーニーに憤っていたし、両家に距離ができることは避けられない。だが、無関係の他家まで先導してスプルース家を追い詰めようと動くことは、父もディーンお兄様もしていない。もちろん、相応の慰謝料はお支払いいただいたと聞いたが、グリン伯爵も納得してのことだ。
婚約解消以来、もと婚約者に失望するような話はいくつかあったけれど、はっきりとした敵意を向けられているわけではないと思っていた。だからこちらからは関わらない姿勢を貫こうと決めていたのだ。そもそも結婚を間近に控えて捨てられたのはこちらだし、それによってバーニーとアンバー嬢が周囲からどう見られようと、私の干渉するところではないと思っていたから。
何だかつくづく、失望してしまった。思い出とともに胸の奥に燻っていた恋心の残火が、プスプスと音を立てて炭となっていくような気がした。
「仮に、仮にですわよ? ニーナ様とウィスタリア家がそのように動いたからと言って、先にフジーロ侯爵を虚仮にしたのは向こうですもの。何も責められる謂れはありませんわ!」
「ありがとう、マドリーン様。でもそう思ってくれるのは、家名を背負っている認識がある者に限られますわよね……ウィスタリアは誓って、自ら動いてなどいませんわ」
ため息をつくと、マドリーン様も思うところがあったのか、珍しく眉をハの字にして口をつぐんだ。その態度に、あんなに憤っていたのは噂の内容にだけではないのだと気が付く。
「ねえ、マドリーン様。あの二人はきっと、同情を得ることに成功しているのよね」
「っ! 私と同意見の者だって多いですわ!」
「それでも。家名を汚されるという意識がなければ『単なる失恋』ですわよ。私もつい今まではそう思って忘れようとしていましたもの。そうね、きっと『失恋ごときで権力を持ち出すなんて』……と、私は今、そう言われているのでしょうね」
マドリーン様は悔しそうに、きゅっと唇を噛んだ。
これまでの私は、侯爵令嬢として少し呑気だったのだと思う。つい最近までウィスタリアの名を背負っているという意識も薄かった。でも、愛すべき家族が、そしてイーサン殿下のような高き方までが大切にしてくれる“名前”に泥を塗られたら、それは見過ごしてはいけないのだ。
「いけませんわね、マドリーン様にこんな顔をさせてしまっては」
私の言葉に、マドリーン嬢が驚いたようにこちらを見た。深く息を吸って、顔を上げる。真っ直ぐに、前を向く。
「受けて立ちましょう」
宣言した私に、なぜかマドリーン様が顔を赤く染めた。地味で主張の少ない私が強い言葉を使ったから、少しびっくりさせてしまったのかもしれない。
ふと、数日前にデューク兄様に告げられたメッセージが蘇る。
『性悪女に気をつけな』
お兄様は、追い詰められた二人が私を貶めようと動くことを、見越していたのだろうか。権力闘争に無関心を貫く自由人に見えて、何だかんだ権謀術数渦巻く王宮で出世しているのだ、あの兄は。
メッセージバードは未だ私のもとから消えない。それが力強く思えてそっと頭上に意識を向ける。
『グーグー』
小鳥はふてぶてしく、小さないびきをたてて寝こけていた。兄には失望した。
✴︎読んでくださりありがとうございます!
次回から、バーニー・スプルース【2】です。
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