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バーニー・スプルース【2】
バーニー・スプルース④
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つい最近まで、僕の周囲にはそれなりに人が居た。
カレンの周囲にも、僕以上に人が居た。家に金があって、美人で、話も面白い。そんなカレンと、伯爵令息である僕のいるグループはクラスの中心だった。ささやかな不満があるとすれば、一番に目立つのはカレンで、僕はグループの一人という立ち位置だったこと。だが仕方がない。それだけ、カレンは魅力的だから。もと婚約者で侯爵令嬢のニーナよりも、ずっと。
だけどそれは、ごく狭い世界のことだったのかもしれない。自分が社交の中心に居るかのような錯覚は、あの日、カレンとともに登園した日から少しずつ薄くなっていった。
決別を宣言した友人のジャン。あいつに追随するかのように、幾人かの友人が周囲から居なくなった。古い考えの貴族にとって「スプルースの不誠実」は、許しがたいものであったらしい。正直、ウィスタリア家にそこまで求心力があることに驚いた。
「反感を持たれちゃうのは仕方がないわよね! うちみたいな新興貴族は、もともと煙たがられてるとこあるし」
気落ちしそうになる僕にカレンが言う。そんなカレンも、相変わらず華やかに装っているが、これまでのように話題の中心となることは少なくなっていた。
クラスメイトは表立って敵意を向けてくるわけではない。ただ、僕とカレンを遠巻きに見るようになっただけ。
「ねえ、バーニー、私ニーナ様が学園に来たら謝ろうと思うの」
「僕も謝るよ。侯爵家に行ったときにはニーナは出て来なくて……」
「そんなにショックだったのね」
「そうだな」
試練がある分だけ、二人きりでお互いを慰め合う時間は、とても甘かった。ショックで学園に来られないほど僕を愛しているニーナを思えば、それほどに思われる相手を捨てて選び取ったカレンとの恋は、極上の恋になった。
なのに、僕を愛しているはずのニーナは、僕を見なくなっていた。
◆
「なあ、馬車寄せにウィスタリア家の馬車が来てたぞ」
「えっ、じゃあ登園されたのか?」
息を切らせて朝の教室に飛び込んできたクラスメイトがひそひそと言葉を交わす。ニーナが二週間ぶりに登園したことは、少しのざわめきとなって僕のクラスにも伝わってきた。
僕はカレンと目を合わせ、ニーナのクラスへと向かう。長い廊下の向こうに、こちらへ向かって歩いてくる銀の髪が見えた。
「あの……! ウィスタリア様……!」
カレンがニーナの前に出る。彼女を支えるようにしてその隣に立った。周囲の生徒がそれとなく様子を伺っている空気を感じる。
ボロボロになっているかと思っていたニーナは、別れる前と変わらず綺麗だった。回廊の窓から差し込む陽を、美しく櫛の通った銀糸がきらきらと反射している。戸惑うような菫色の瞳には何の曇もない。
「ニーナ、久しぶりだね」
ニーナの隣の女生徒がこちらを睨んでくるが、怯まず声を掛ける。
「謝罪をさせてほしいんだ」
そう言えば、ニーナは傷付いたように、僕に期待と恋情に満ちた目を向けてくる──はずだった。
「ごきげんよう?」
ふわりと、困ったようにカレンに微笑むニーナの表情は柔らかく、貴族令嬢らしい品格に満ちている。僕の言葉には一瞥もくれずに、カレンへの敵意も害意もなく、ニーナはただ挨拶をして微笑んだ。
その瞬間、周囲がざわめくのがわかった。カレンもまた、驚きに言葉を失っている。僕だって、縋り付くカレンを支えるのに精一杯で、動揺を隠すことも出来ない。
「では、その、失礼しますわね?」
何も言えないまま立ち尽くす僕らに会釈して、ニーナは去っていった。
「全く相手にされてないわね、いい気味」
沈黙の中でどこからか、誰からか、呟いた声が響いた。それを切欠にクスクスとさざ波のように嘲笑が広がる。カレンを見れば、羞恥なのか怒りなのか、目に涙をため顔を赤くして震えていた。
「……っ、行こう、カレン」
遅れて、僕にも羞恥の感情が湧いてくる。カレンを連れて足早にその場から去りながら、頭の中は混乱でぐるぐると渦巻いていた。何が起きたのか、よくわからない。
ニーナが僕を、見なかった。
そんなことは、彼女と出会って初めてのことだった。
カレンの周囲にも、僕以上に人が居た。家に金があって、美人で、話も面白い。そんなカレンと、伯爵令息である僕のいるグループはクラスの中心だった。ささやかな不満があるとすれば、一番に目立つのはカレンで、僕はグループの一人という立ち位置だったこと。だが仕方がない。それだけ、カレンは魅力的だから。もと婚約者で侯爵令嬢のニーナよりも、ずっと。
だけどそれは、ごく狭い世界のことだったのかもしれない。自分が社交の中心に居るかのような錯覚は、あの日、カレンとともに登園した日から少しずつ薄くなっていった。
決別を宣言した友人のジャン。あいつに追随するかのように、幾人かの友人が周囲から居なくなった。古い考えの貴族にとって「スプルースの不誠実」は、許しがたいものであったらしい。正直、ウィスタリア家にそこまで求心力があることに驚いた。
「反感を持たれちゃうのは仕方がないわよね! うちみたいな新興貴族は、もともと煙たがられてるとこあるし」
気落ちしそうになる僕にカレンが言う。そんなカレンも、相変わらず華やかに装っているが、これまでのように話題の中心となることは少なくなっていた。
クラスメイトは表立って敵意を向けてくるわけではない。ただ、僕とカレンを遠巻きに見るようになっただけ。
「ねえ、バーニー、私ニーナ様が学園に来たら謝ろうと思うの」
「僕も謝るよ。侯爵家に行ったときにはニーナは出て来なくて……」
「そんなにショックだったのね」
「そうだな」
試練がある分だけ、二人きりでお互いを慰め合う時間は、とても甘かった。ショックで学園に来られないほど僕を愛しているニーナを思えば、それほどに思われる相手を捨てて選び取ったカレンとの恋は、極上の恋になった。
なのに、僕を愛しているはずのニーナは、僕を見なくなっていた。
◆
「なあ、馬車寄せにウィスタリア家の馬車が来てたぞ」
「えっ、じゃあ登園されたのか?」
息を切らせて朝の教室に飛び込んできたクラスメイトがひそひそと言葉を交わす。ニーナが二週間ぶりに登園したことは、少しのざわめきとなって僕のクラスにも伝わってきた。
僕はカレンと目を合わせ、ニーナのクラスへと向かう。長い廊下の向こうに、こちらへ向かって歩いてくる銀の髪が見えた。
「あの……! ウィスタリア様……!」
カレンがニーナの前に出る。彼女を支えるようにしてその隣に立った。周囲の生徒がそれとなく様子を伺っている空気を感じる。
ボロボロになっているかと思っていたニーナは、別れる前と変わらず綺麗だった。回廊の窓から差し込む陽を、美しく櫛の通った銀糸がきらきらと反射している。戸惑うような菫色の瞳には何の曇もない。
「ニーナ、久しぶりだね」
ニーナの隣の女生徒がこちらを睨んでくるが、怯まず声を掛ける。
「謝罪をさせてほしいんだ」
そう言えば、ニーナは傷付いたように、僕に期待と恋情に満ちた目を向けてくる──はずだった。
「ごきげんよう?」
ふわりと、困ったようにカレンに微笑むニーナの表情は柔らかく、貴族令嬢らしい品格に満ちている。僕の言葉には一瞥もくれずに、カレンへの敵意も害意もなく、ニーナはただ挨拶をして微笑んだ。
その瞬間、周囲がざわめくのがわかった。カレンもまた、驚きに言葉を失っている。僕だって、縋り付くカレンを支えるのに精一杯で、動揺を隠すことも出来ない。
「では、その、失礼しますわね?」
何も言えないまま立ち尽くす僕らに会釈して、ニーナは去っていった。
「全く相手にされてないわね、いい気味」
沈黙の中でどこからか、誰からか、呟いた声が響いた。それを切欠にクスクスとさざ波のように嘲笑が広がる。カレンを見れば、羞恥なのか怒りなのか、目に涙をため顔を赤くして震えていた。
「……っ、行こう、カレン」
遅れて、僕にも羞恥の感情が湧いてくる。カレンを連れて足早にその場から去りながら、頭の中は混乱でぐるぐると渦巻いていた。何が起きたのか、よくわからない。
ニーナが僕を、見なかった。
そんなことは、彼女と出会って初めてのことだった。
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