パン屋の初恋 彼女が楽しく暮らすために今日も私はパンを焼く

千暁

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7.初日の朝。いろんな人のいろんな思い。

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彼女が店番をする初日。店に来た客はいつもの無愛想な顔の私ではなく、にこやかな女性が出迎えたことに驚く人が多かった。女の客は何か聞き出そうな顔をしながらも何も聞かずにチラチラと彼女と店の隅に立っ私を見比べながら買い物をしていた。きっと私と彼女の関係が知りたいのだろう、好奇心むき出しの顔をしていたし、彼女が望まなくても早々にこの狭い街で彼女は噂の的になるだろう。間違いなく近所に住む私の母にもバレるだろうが仕方ない。

男の客は私の顔色も伺いつつ小声で彼女に名前や歳を聞いたり、可愛いねと言ったりしていた。私が睨みをきかせていなかったらもっと堂々とナンパをするつもりなのだろう。彼女は困惑していたし、明日からは名札でも作ろうか。しばらく私も店先に居座って彼女を守らなければいけない。

彼女は物覚えもよく、テキパキとパンを包み会計をしていた。そして意外にも年寄り女性からのウケが抜群に良く、花や料理など様々な話で盛り上がりつついつも買っているパンとは違うパンを勧めて買わせていた。

「丸いパンもとっても美味しいですけど、こっちのコーンパンはフワフワでシチューにも合いますよ。」

「そうなの?フワフワのパンがあること今まで知らなかったわ。じゃあそっちをちょうだい。」

なるほど、今まで固いパンしかないと思いながら買い物していたのかと知ることが出来た。もっと柔らかめのパンを増やしてもいいのかもしれない。

そんなことをゆったりと考えていたのだが、何やら外が騒がしい。

「セタ~!セタいるんでしょ~!セタァァァ~!!!」

おいおい、まだ今日店を開けてから40分も経っていないじゃないか…。いくらなんでも噂が耳に入るのが早すぎる…。

やってきたのは私の母。もう来た。まだ8時前なのに驚くべきことに化粧も服もバッチリよそ行き仕様だ。
イヤな予感がしたので、店の前にいた数人の客に少し入店を待ってもらえるか尋ねて了承を得た。

「セタ!!!どうしたの若い子を雇ったって噂を聞いたわ!」

「そうだね。今日から働いてもらっている。」

「あら、もうかなり噂になってるわよ!あの女嫌いなセタが女の子を雇ったって。ゲイじゃなかったんだって。」

女嫌いやゲイというワードはジュリさんに誤解を招いてしまう、と思ってチラッと彼女に目をやると、目が合ったのにスッとそらされてしまった。そんな気まずそうな顔しないでほしい。

「女嫌いではないし、ゲイでもないよ。彼女はいろいろ店のこともアドバイスしてくれている有能な従業員だよ。」

母は私の言葉に考えるような顔をしてから彼女に向き合い言った。

「可愛らしいわね。セタ曰く有能。でもあなたみたいな若くて可愛らしい方が店にいるとセタの婚期がますます遠のくわ。私はセタの母としてセタには早く結婚して孫も産んでもらいたいの。セタが女嫌いではないとわかったからにはどんどんお見合いをもってきたいのよ。でもあなたみたいな若い子と働いてるなんてお相手がいい気はしないでしょ。知ったらまとまる話もまとまらなくなるわ。だからね、もう早めに違う職を探してちょうだい。あなたならすぐに職が見つかるわ、若くて有能なら男性を喜ばす職とかね。」

一気にまくし立てるように話す母に困惑の表情を浮かべるジュリさん。初対面の女性に店を辞めるよう言われ、しかも暗に酒場や性を売る職を勧めるようなことまで言われ、彼女はどれだけ傷ついただろうか。

「母さん、ここはもうおじいちゃんの店ではなくて私の店なんだ。誰を雇うかは私が決めるし、母さんに人を辞めさせる権限もないよ。お見合いだって必要ない。頼むからもう帰ってくれ。」

私は店のドアを空け退店を促した。さっさと帰ってほしい。
店の前の客の数はさっきよりも多く、好奇の目で母やジュリさん、そして私を見ていた。

母は悔しそうな表情を浮かべ

「また来るわ!私はあなたのためを思って言っているのよ!」

と声を荒げながら店を出ていった。

客が少し戸惑った様子で入店してきてパンを買っていく。
ジュリさんのを見ると先程までの接客中の笑顔はなく、ぎこちない笑みを浮かべている。

「ジュリさん、少し休憩してて。後で話もしたい。」

そう言って接客を代わりショーケースの裏に椅子を運び座るように促す。
本当は店先の椅子ではなく2階で休んでもらいたかったが、今の状態の彼女を1人にしたくなかった。

彼女は椅子に座りずっと俯いていた。昨日とは一転、接客が苦でしかなかった。もうパンも客もほっぽりだして彼女と話したかった。

長く感じた朝のピークが過ぎ、私もショーケースの裏に椅子を持ってきて彼女と向き合うように座った。

「ジュリさん、母があなたを傷つけるようなことを言って本当に申し訳なかった。私はあなたと働くことが楽しいし、アドバイスもすごく役に立っている。どうか店を辞めないでほしいです。」

私がそう話しても彼女は顔を上げることなく小さな声で言った

「セタさんは優しいです。きっと素敵な家庭を築ける。私がその幸せを奪うことはしたくないです。」

本当にそう思ってくれているならば…思い切って言ってみた。

「ジュリさん、私と結婚前提で付き合ってくれませんか?」
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