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終わり
しおりを挟むポツリ、と額で雫が弾ける。小さなそれは冷たく、私は思わず空を見上げた。
朝から濃い灰色の雲が覆っていたそこは、ついに泣き始めたようだ。
「ああ、よかった。掃除が終わるまで待ってくれて」
同じように空を見上げて、シノさんが笑っている。
「本当にタマさんって雨男ですね。こんな日まで雨が降るなんて」
「面目無いです」
「いいんですよ。おかげでこうしてひとつ話ができたじゃないですか。ねえ……父さん」
私は視線を戻す。
井土家之墓と黒い字で刻まれた墓。雑草一本、苔のひとつも見当たらないほど綺麗に掃除されたそこには、シノさんが溢れんばかりに花を差したばかりだ。
線香の煙が揺れる墓を見つめて、シノさんは僅かに微笑んでいた。
「……ねえタマさん。これはただの妄想だから、聞き流してもいいんですけど」
「はい」
「……父は、責任感が強くて、正義感のある、優しい人だった。もし天国や霊なんてものが現代にも実在するなら……父はきっと、あなたのことを心配していると思うんです。自分が命を落としたせいで、ひとりの子どもの人生を狂わせてしまったと……」
「……シノさん……」
しかしそれは。シノさんだって同じだ。我が子に辛い思いをさせたと嘆いていることでしょう、と返そうとしたけれど、それより先にシノさんが首を振った。
「いえ、いいんです。ただね、こうして雨をなんとか降らせないで墓参りができたのは……父が優しいからなのかもしれないと思って。あの日は、酷い雨だったそうですから……」
「シノさん……」
「……まあ、タマさんと遊びに行く時は、父の力もあなたの雨男っぷりに敵わないみたいですけど」
シノさんはクスクス笑っている。その姿になんとなく、きっとこの人は母と仲良くなれると思った。
まだ、彼が「井土シノ」さんであることは、両親に直接伝えられていない。いや、母のことだからきっと気付いているとは思うけれど。ちゃんと話はしていなかった。
いずれは話すつもりだが、まだその勇気が出ないのだ。事実を知ったとき、両親がどう思うのか。私たちが隠していることは多くて、色々な側面で受け入れられるかわからない。だから、まだ言えないけれど。どことなく、ただの杞憂かもしれないという感覚は有った。
シノさんもそれでいいと言っている。いたずらにご両親へ心配をかけてもいけませんから、と納得してくれていた。
その上で、私たちはこれから、新しい生活を始める。今日はその挨拶として、墓参りに来たのだ。
私たちは並んで、もう一度墓に手を合わせた。
ふたりとも、なにも言葉にはせず。ただ静かに目を閉じて。思う。
私は、生きていきます。ただ、幸せになるために。幸せにするために。
人はそれを依存と呼ぶかもしれない。それでも、生きる理由にそれ以上何が有るだろうか? 誰しも幸せになりたいだけで、そして誰かを幸せにしたいだけだ。その全てが失われたとき、きっと人は生きることをやめるのだろうと思う。
だから私は、生きます。あなたから頂いた残り時間を、大事に抱きしめて。……あなたの息子さんとこういうことになったのは、正直、あなたが喜ぶことかはわかりませんが……それでも。私と彼との幸福が、この形である限り、私はその実現に向かって歩み続けます。
そうしている私に、そして未だ生きている私たちに、また私たちを残してくれたあなたたちに。全ての命に、生きる意味は内側へ宿り、そこには価値が存在しているのだと。今の私は、思います――。
「タマさん、では帰りましょうか」
シノさんが空になったバケツや柄杓、掃除道具や、ゴミ袋まで抱えようとするから、私は慌ててその荷物の半分を受け持った。
雨は、静かに優しく墓地を濡らしていく――。
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