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4-2 夢と現実の境界
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そう考えた時だ。
「いたぞ!」
男の声がして、はっとふり返る。そこには棒や鉈を持った者たち、そして見慣れない派手な衣装の男たちの姿があった。
彼らはみな一様に、俺に向かって憎悪の眼差しを向けている。
「鬼だ! 捕まえろ!」
「人喰い鬼め! 家族の仇だ、思い知れ!」
怒鳴り声に、俺は思わず息を呑み、そして本能的にその場から逃げ出してしまった。
待て、逃がすな、捕まえろ、殺せ。
そんな声が耳に届く。
頭では思っていた。彼らにちゃんと弁解しなければ。自分は人喰いなどしていない。鬼などではない。何もしていない、と。しかし、彼らの様子を見れば話など聞いてくれなさそうだった。
本当に俺は何もしていないのに。どうして。どうしてこんなことに。
その時、ずきりと額が鈍く痛む。うめき声を上げて触れると、そこにはなにか隆起があった。驚いて手を離すと、真っ赤に染まった掌が目に入る。
──いいや。
血にまみれているのは手だけではない。体が、服が、冗談かと思うほど血に濡れていた。
「……な……」
なんだ、これは。そう思った時、さらにずきりと額の痛みが増す。思わず顔をしかめて、その場に蹲ってしまった。
逃げなければ、立ち止まっている場合ではないのに。呻きながら額を押さえると、そこには二本の角が生えていた。
禍々しく曲がった角が、皮膚を突き破り天へと伸びている。こんなもの、確かに鬼でなければ生えていないだろう。
彼らの言う通り、本当に俺は鬼なのか。絶望と困惑の中、それでも逃げなければと立ち上ろうとする。
「すおう」
その時聞こえた小さな声に、俺は動きを止めて。恐る恐る、振り返る。
そこには、血まみれで横たわる人の姿があった。あの、顔の見えなかった女だ。今はぼんやりと血に染まった表情がわかる。虚空を見つめる瞳はもうこちらを認識していないようだが、彼女はその震える唇を動かした。
「どうして? しんじてたのに……ほんとに、すおうは鬼だったの……?」
「……っ! ちがう、違う! 俺は鬼なんかじゃない、人なんて殺してないし……喰ったはずがない……!」
必死に否定する。だがそうであればこの状況は、記憶は一体なんなのか。わからない。
いったい、自分は何者なのか。
俺はただ、叫んだ。
「蘇芳」
「──ッ!」
優しく名を呼ばれて飛び起きる。すると目の前には心配げな心光の姿があった。
夢。そうだ、俺はただ夢を見ていただけ。
そう思っても胸の動悸はおさまらず、呼吸も乱れたままだ。何度も深呼吸を繰り返し、心を鎮めようとする俺を、心光は労わるように撫でてくれた。
「大丈夫ですか? 酷くうなされていましたよ」
「……あぁ……」
優しい声音に、しばらく身を任せて。それから彼を見た。
心光の瞳は赤くない。亜麻色のそれはじっと俺を見つめている。その姿にいつもの妖艶さなどなく、まるでただの清廉で敬虔な僧だった。心光は俺に柔らかく微笑んで言う。
「大丈夫、悪い夢は終わりましたよ。きっと長旅の疲れも出たのでしょう、色々ありましたものね……」
そう言って、心光は俺の額を撫でた。
あの日以来、俺の角ははっきりと額から生え、人の指ほどの長さになっていた。ほのかに赤みを帯びた骨質のそれは、もはや頭巾をかぶったぐらいでごまかしようもない。おまけに近頃は歯も一部牙のように鋭さがあるし、爪も僅かに鋭利さが出始めている。
俺ははっきりと、「鬼」の見た目に近づいていた。
もしかしたら、あれはただの悪い夢などではなくて……俺の記憶で。俺が覚えていないだけで、本当に人を殺したり、喰っていたのだろうか。考えても実感がわかない。それに、あの老爺や娘が誰なのか、一体あれがどこだったのかも全くわからなかった。
しかし、過去の姿が鬼だったのなら、どうして俺は今まで人に近い姿をしていたんだろうか。
思案する俺に、心光は静かに言った。
「蘇芳、もうすぐ集落に着くのですよ。そこでならきっと、ゆっくり休めます。気持ちも落ち着くでしょうし、記憶の整理もつくかもしれません」
こんな状況で、集落に。ただでさえ、なんのきっかけで人を殺めるかわからない心光と。すっかり鬼の見た目となった俺が。
不安しかなかった。
その気持ちが顔にでていたのかもしれない。心光は穏やかに、安心させるように言う。
「大丈夫です。わたくしは僧なのですから。なんとかできますよ」
しかし、その言葉を聞いても俺は少しも安心はできなかった。
「いたぞ!」
男の声がして、はっとふり返る。そこには棒や鉈を持った者たち、そして見慣れない派手な衣装の男たちの姿があった。
彼らはみな一様に、俺に向かって憎悪の眼差しを向けている。
「鬼だ! 捕まえろ!」
「人喰い鬼め! 家族の仇だ、思い知れ!」
怒鳴り声に、俺は思わず息を呑み、そして本能的にその場から逃げ出してしまった。
待て、逃がすな、捕まえろ、殺せ。
そんな声が耳に届く。
頭では思っていた。彼らにちゃんと弁解しなければ。自分は人喰いなどしていない。鬼などではない。何もしていない、と。しかし、彼らの様子を見れば話など聞いてくれなさそうだった。
本当に俺は何もしていないのに。どうして。どうしてこんなことに。
その時、ずきりと額が鈍く痛む。うめき声を上げて触れると、そこにはなにか隆起があった。驚いて手を離すと、真っ赤に染まった掌が目に入る。
──いいや。
血にまみれているのは手だけではない。体が、服が、冗談かと思うほど血に濡れていた。
「……な……」
なんだ、これは。そう思った時、さらにずきりと額の痛みが増す。思わず顔をしかめて、その場に蹲ってしまった。
逃げなければ、立ち止まっている場合ではないのに。呻きながら額を押さえると、そこには二本の角が生えていた。
禍々しく曲がった角が、皮膚を突き破り天へと伸びている。こんなもの、確かに鬼でなければ生えていないだろう。
彼らの言う通り、本当に俺は鬼なのか。絶望と困惑の中、それでも逃げなければと立ち上ろうとする。
「すおう」
その時聞こえた小さな声に、俺は動きを止めて。恐る恐る、振り返る。
そこには、血まみれで横たわる人の姿があった。あの、顔の見えなかった女だ。今はぼんやりと血に染まった表情がわかる。虚空を見つめる瞳はもうこちらを認識していないようだが、彼女はその震える唇を動かした。
「どうして? しんじてたのに……ほんとに、すおうは鬼だったの……?」
「……っ! ちがう、違う! 俺は鬼なんかじゃない、人なんて殺してないし……喰ったはずがない……!」
必死に否定する。だがそうであればこの状況は、記憶は一体なんなのか。わからない。
いったい、自分は何者なのか。
俺はただ、叫んだ。
「蘇芳」
「──ッ!」
優しく名を呼ばれて飛び起きる。すると目の前には心配げな心光の姿があった。
夢。そうだ、俺はただ夢を見ていただけ。
そう思っても胸の動悸はおさまらず、呼吸も乱れたままだ。何度も深呼吸を繰り返し、心を鎮めようとする俺を、心光は労わるように撫でてくれた。
「大丈夫ですか? 酷くうなされていましたよ」
「……あぁ……」
優しい声音に、しばらく身を任せて。それから彼を見た。
心光の瞳は赤くない。亜麻色のそれはじっと俺を見つめている。その姿にいつもの妖艶さなどなく、まるでただの清廉で敬虔な僧だった。心光は俺に柔らかく微笑んで言う。
「大丈夫、悪い夢は終わりましたよ。きっと長旅の疲れも出たのでしょう、色々ありましたものね……」
そう言って、心光は俺の額を撫でた。
あの日以来、俺の角ははっきりと額から生え、人の指ほどの長さになっていた。ほのかに赤みを帯びた骨質のそれは、もはや頭巾をかぶったぐらいでごまかしようもない。おまけに近頃は歯も一部牙のように鋭さがあるし、爪も僅かに鋭利さが出始めている。
俺ははっきりと、「鬼」の見た目に近づいていた。
もしかしたら、あれはただの悪い夢などではなくて……俺の記憶で。俺が覚えていないだけで、本当に人を殺したり、喰っていたのだろうか。考えても実感がわかない。それに、あの老爺や娘が誰なのか、一体あれがどこだったのかも全くわからなかった。
しかし、過去の姿が鬼だったのなら、どうして俺は今まで人に近い姿をしていたんだろうか。
思案する俺に、心光は静かに言った。
「蘇芳、もうすぐ集落に着くのですよ。そこでならきっと、ゆっくり休めます。気持ちも落ち着くでしょうし、記憶の整理もつくかもしれません」
こんな状況で、集落に。ただでさえ、なんのきっかけで人を殺めるかわからない心光と。すっかり鬼の見た目となった俺が。
不安しかなかった。
その気持ちが顔にでていたのかもしれない。心光は穏やかに、安心させるように言う。
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しかし、その言葉を聞いても俺は少しも安心はできなかった。
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