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7.エンフィールド家の惨劇 PART Ⅲ
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「……なっ、何アレ何アレ何アレっ……!!?!?」
屋敷の廊下を走っていく中でリンはやっと言葉を口にする。
その場にいた全員が、死んでもなお自殺を続けるという悪夢のような光景。
あまりにも突然訪れた異常過ぎる出来事に、ただただそう言う事しかできなかった。
「わっ、分かりませんっ……! で、でもこのお屋敷にいたら、よくない……! そ、そんな気がするんですっ……! だか、らっ……!」
完全にパニックになっているリンに対し、シグレもまた声を震わせどもりながらも叫んだ。
なんとかして自らが敬愛する主であるリンだけは助けたい、それがシグレのまごうことなき本音だった。
だけれども、リンはそうではなかった。
彼女は知っているのだから。目の前のシグレが、最初におかしくなっていた事を。
そう、意味不明な単語を叫び、不快音を喉から出し、メイドの飛び降りを眺めていた、あの姿を――
「――や、やぁっ……!」
頭にその姿がよぎった瞬間、リンはシグレの手を振り払ってしまった。
屋敷のエントランス一階、外に出る扉は目の前という場所での事であった。
「お、お嬢様……!?」
動揺するシグレ。
だが、そんな姿も今のリンにとっては恐ろしく、信じられなかった。
「あ、あなた……何をしたんですか……!?」
「は……? えっ……!? お、お嬢様……何を……!?」
「し、しらばっくれないで下さい……! あ、あなたが全部、これをやったんでしょう!? わたくし、知ってるんですから……! あなたが、あなたが……!」
気が動転したリンに取って、シグレはすべての犯人に見えていた。
今までずっと連れ添った相手だろうと関係なかった。ただ、あまりにも常軌を逸した出来事とその前触れとなったシグレの姿が、完全にそうなのだと答えを導いてしまっていたのだ。
「お、お嬢様、落ち着いて下さい……! 私はそんな事、してないですし何も知りません! そもそも、私がそんな事、するわけないじゃないですかっ……!」
必死にリンを落ち着かせ、説得しようとするシグレ。
そのためにシグレはゆっくりとリンに近づこうとする。
「こ、来ないでくださいっ!! わ、わたくし……まだ、死にたくないっ……!!」
だが、怯え引き攣った表情でリンは叫ぶ。
怖い。
殺される。
死にたくない。
そんな単純かつあまりにも強い感情がリンを支配していた。
「…………お嬢様」
と、そんなリンの姿を見て、シグレはすっと落ち着いた声色で言う。表情は、とても穏やかに微笑んでいた。
「私は、ずっとお嬢様を見守り、そして共に育ってきました」
始めたのは、昔話だった。
「お嬢様の物心がはっきりした頃、私もまだまだ子供と言える年頃で。それでもせっかく侍女に選ばれたのだからととにかく頑張って、失敗もしながらも、お嬢様と一緒に歩んできました」
微笑みながら話すシグレの言葉で、リンは思い返す。
これまでのシグレと共に生きた日々を。
彼女は侍女でもあり、姉でもあった。ときにはリンの手を引いてくれて、ときには喧嘩もした。
相談事があったらいの一番にシグレに相談したし、何か間違いを犯したときは一緒に両親から怒られてくれた。
シグレは身の回りの世話だけでなく、リンの心に常に寄り添ってくれていた。
彼女のない人生なんて、想像ができなかった。これからずっと、一緒に生きていくのだと思っていた。
――そんな彼女が、こんな事をするでしょうか? いや、そんなはずはありません。シグレは、自分にとってかけがえのない人でこれからもずっと一緒にいてくれるパートナーです。……そうだ、彼女が、こんな酷いこと、するわけないじゃないですか……!
「シ、グレ……」
「お嬢様」
シグレが、そっと手を差し出してくる。この手を掴んで一緒に屋敷から出よう、そういう手だ。
リンはその手に、そっと自らの手を――突如起こる、灯りの明滅。光に照らされ闇に消える、両者を遮る何かの影――グシャリッ! と、肉と骨が潰れる音がした。
天井から二人の間に、何かが落ちてきた。
リンはそれを見た。
それは、彼女の母親だった。
仰向けになり、目玉が飛び出そうになっていて、左手と両足が鋭角に折れ曲がった、母の姿だった。
「ア…………リ……ン……に……げ……」
かろうじて生きていた母親は、最期の力を振り絞って娘の名を呟きながら唯一無事な右手で指を差す。その先には、母を前に大きく目を見開くシグレがいて。
「あ……あ……」
「……、……っ!? ち、違います! お嬢様! 私は――」
「――……い、嫌あああああああああああああっ!?!?」
リンは逃げた。
息絶えた母とシグレを背にし、エントランスにある階段を駆け上がって、とにかく走った。
「お嬢様っ!? お嬢様、違うんです! お嬢様っ!!」
シグレが背後から追ってくる。
殺される! 殺される! 殺される! お母様やお父様やお兄様達みたいに、殺されるっ!
もはやリンの心は完全に恐怖に支配されていた。
――シグレが全部やったんだ! シグレが、シグレが、シグレがっ!!??
もはや自分がどこを走っているかも分からないまま屋敷内を駆け巡り、やがて彼女はとある部屋に入った。
理由は簡単で、その部屋の扉がうっすら開いていたのでとっさに、であった。
「ハァ! ハァ! ハァ……!」
喉が焼け付き胸が締め付けられる程に走ったリンの呼吸は荒い。
だが、そこでリンは動きを止めなかった。必死に周囲を見て、すぐにやってくるであろうシグレに対抗できるものを探した。
――殺されるくらいなら、私が……!
自らの身を守るために彼女が見つけたのは、花瓶だった。花も水もない、空の花瓶。
しかし重さはしっかりとある、両手で持つのがやっとな陶器の花瓶だった。
「ぐ……!」
リンはそれを持ち上げ、そして扉が開かれた際に裏手になるところに隠れる。
そうして、整えたくなっている呼吸をなんとか殺し、今か今かとシグレが来るのを待ち……
「――お嬢さ――ギャッ!?!?」
彼女が部屋に入ってきたところで、後頭部に花瓶を振り下ろした。
ガシャン! と花瓶が割れると同時に、グチャッ! とシグレの頭を砕いた感覚が手に伝わってきた。
「グ、ガアアアアアアッ……!?」
それでも未だ生きていて頭から血をドロドロと流し汚い悲鳴を上げながらもなんとか前に這いずるシグレ。
リンはそんな彼女の体をすぐさまひっくり返し、馬乗りになり、壊れた花瓶の破片を拾って、それを喉に突き立てた。
「ガッ!?!? カッ……!?」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」
リンは絶叫しながら何度もシグレの喉を突き刺す。
刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す……。
……狂乱していた彼女がその手を止めたのは、肉を突く感覚すら乏しくなったぐらいのときであった。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
やっと落ち着いて荒い息を整え始めるリン。
眼下には、すっかり物言わなくなった、シグレだったモノ。
――そして、その頭の近くにある、白い素足。
「…………え?」
見上げる。
白い足に続くのは、黒いドレス。
腰上から続く、足よりも真っ白な髪。
その髪が伸びる、耽美な顔で咲いながらリンを見下ろす、深紫の瞳。
「…………あ」
『はいお嬢様、終わりましたよ。相変わらずお綺麗なお御髪ですね、羨ましいです。この髪を整えられるだけでも、シグレは幸せ者です。あ、別に下心は混ざってないですからね!? ……基本的には』
瞬間、リンは理解した。
『見て下さいお嬢様! ほらほら! このネックレスきっとお嬢様にお似合いですよ! え? 私ももっと着飾れって? いやでも私メイドですし……そ、そんな!? お嬢様からプレゼントなんて……! ……そこまで言うなら……あ、ありがとうございます……』
勘違いで、家族と同じ程に、いやそれ以上に近くにいて、愛していた相手を手にかけてしまった事に。
『もうお嬢様ったらすぐ変な噂を鵜呑みにしちゃって……でも、そんなお嬢様も可愛いんですけれどね! というのは置いておいて……大丈夫ですよお嬢様。もしお嬢様が過ちを犯しそうになったら、このシグレが手を引いて元の道に戻しますから』
このすべてを引き起こした、死の間際の母がシグレではなく本当に指を差していた“ソレ”に。
『お嬢様。このシグレ、死ぬまであなたのお側にお仕えすることを誓います』
“ソレ”の見せる深紫の瞳が、既知の美しさである事に。
『リン、シグレ……私、あなた達に会えてよかった。令嬢にするためにって強引にここの養子にされたから嫌われちゃうかもって思ったけど、むしろ私の事を温かく家族同然に迎えてくれて……お母さんが死んでから、ずっと一人だったからそれが凄く嬉しくて……私、二人の事……大好き!』
自らの選択の末に支払う事になったあまりにも大きすぎる代償を、かつて”彼女”へと与えた部屋で気付かされた事に。
「……ごめんなさ――」
――リンの頭がぐるりと真後ろに逸れて最期に見た光景は、天地が逆さまになり真上に広がる事になった自分の背中だった。
◇◆◇◆◇
【怪奇! エンフィールド家の惨劇! 犯人は侯爵令嬢!?】
■月■■日。推定午後五時から六時にかけて我らが領主エンフィールド侯爵家の屋敷にてあまりにも信じられない事件が発生した。
一家全員、さらにはメイドや執事といった使用人全員が惨たらしく殺害されたのである。
容疑者はなんと公爵令嬢であるリン・エンフィールド氏であるとベルウッドの衛兵達は推察しているようだ。というのも、使用人達、そして他のエンフィールド家全員が刺殺または高所からの転落死(おそらく突き落とされたものと思われる)であったのに対し、リン侯爵令嬢だけは首を吊って死んでいた姿が見つかったらしいのである。
この状況から衛兵はリン侯爵令嬢が使用人と家族を全員殺害した後に自殺した、という見解を発表した。
しかしこの見解には当然疑問が残る。
まずなぜリン侯爵令嬢がそんな陰惨な犯行を行ったのか? そして、本当に彼女が本当に殺人犯だったとして、いかにして自らの家族を含め何十人といる屋敷内の人間全員を一人も屋敷の外に出さずに殺害できたのか? という疑問だ。
この点について当紙の記者が衛兵に伺ったところ「見解はあくまで暫定的なものでありこれから入念な調査を行っていく」という回答が返ってきた。
はたして領民から愛されていたエンフィールド家に一体何があったのか?
そして、これからの領地の運営はどうなるのか?
今、主を失った我々の土地に対して、王国の迅速かつ適切な対応が成されるのを願うばかりである。
――事件翌朝発行の地元新聞より抜粋。
屋敷の廊下を走っていく中でリンはやっと言葉を口にする。
その場にいた全員が、死んでもなお自殺を続けるという悪夢のような光景。
あまりにも突然訪れた異常過ぎる出来事に、ただただそう言う事しかできなかった。
「わっ、分かりませんっ……! で、でもこのお屋敷にいたら、よくない……! そ、そんな気がするんですっ……! だか、らっ……!」
完全にパニックになっているリンに対し、シグレもまた声を震わせどもりながらも叫んだ。
なんとかして自らが敬愛する主であるリンだけは助けたい、それがシグレのまごうことなき本音だった。
だけれども、リンはそうではなかった。
彼女は知っているのだから。目の前のシグレが、最初におかしくなっていた事を。
そう、意味不明な単語を叫び、不快音を喉から出し、メイドの飛び降りを眺めていた、あの姿を――
「――や、やぁっ……!」
頭にその姿がよぎった瞬間、リンはシグレの手を振り払ってしまった。
屋敷のエントランス一階、外に出る扉は目の前という場所での事であった。
「お、お嬢様……!?」
動揺するシグレ。
だが、そんな姿も今のリンにとっては恐ろしく、信じられなかった。
「あ、あなた……何をしたんですか……!?」
「は……? えっ……!? お、お嬢様……何を……!?」
「し、しらばっくれないで下さい……! あ、あなたが全部、これをやったんでしょう!? わたくし、知ってるんですから……! あなたが、あなたが……!」
気が動転したリンに取って、シグレはすべての犯人に見えていた。
今までずっと連れ添った相手だろうと関係なかった。ただ、あまりにも常軌を逸した出来事とその前触れとなったシグレの姿が、完全にそうなのだと答えを導いてしまっていたのだ。
「お、お嬢様、落ち着いて下さい……! 私はそんな事、してないですし何も知りません! そもそも、私がそんな事、するわけないじゃないですかっ……!」
必死にリンを落ち着かせ、説得しようとするシグレ。
そのためにシグレはゆっくりとリンに近づこうとする。
「こ、来ないでくださいっ!! わ、わたくし……まだ、死にたくないっ……!!」
だが、怯え引き攣った表情でリンは叫ぶ。
怖い。
殺される。
死にたくない。
そんな単純かつあまりにも強い感情がリンを支配していた。
「…………お嬢様」
と、そんなリンの姿を見て、シグレはすっと落ち着いた声色で言う。表情は、とても穏やかに微笑んでいた。
「私は、ずっとお嬢様を見守り、そして共に育ってきました」
始めたのは、昔話だった。
「お嬢様の物心がはっきりした頃、私もまだまだ子供と言える年頃で。それでもせっかく侍女に選ばれたのだからととにかく頑張って、失敗もしながらも、お嬢様と一緒に歩んできました」
微笑みながら話すシグレの言葉で、リンは思い返す。
これまでのシグレと共に生きた日々を。
彼女は侍女でもあり、姉でもあった。ときにはリンの手を引いてくれて、ときには喧嘩もした。
相談事があったらいの一番にシグレに相談したし、何か間違いを犯したときは一緒に両親から怒られてくれた。
シグレは身の回りの世話だけでなく、リンの心に常に寄り添ってくれていた。
彼女のない人生なんて、想像ができなかった。これからずっと、一緒に生きていくのだと思っていた。
――そんな彼女が、こんな事をするでしょうか? いや、そんなはずはありません。シグレは、自分にとってかけがえのない人でこれからもずっと一緒にいてくれるパートナーです。……そうだ、彼女が、こんな酷いこと、するわけないじゃないですか……!
「シ、グレ……」
「お嬢様」
シグレが、そっと手を差し出してくる。この手を掴んで一緒に屋敷から出よう、そういう手だ。
リンはその手に、そっと自らの手を――突如起こる、灯りの明滅。光に照らされ闇に消える、両者を遮る何かの影――グシャリッ! と、肉と骨が潰れる音がした。
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リンはそれを見た。
それは、彼女の母親だった。
仰向けになり、目玉が飛び出そうになっていて、左手と両足が鋭角に折れ曲がった、母の姿だった。
「ア…………リ……ン……に……げ……」
かろうじて生きていた母親は、最期の力を振り絞って娘の名を呟きながら唯一無事な右手で指を差す。その先には、母を前に大きく目を見開くシグレがいて。
「あ……あ……」
「……、……っ!? ち、違います! お嬢様! 私は――」
「――……い、嫌あああああああああああああっ!?!?」
リンは逃げた。
息絶えた母とシグレを背にし、エントランスにある階段を駆け上がって、とにかく走った。
「お嬢様っ!? お嬢様、違うんです! お嬢様っ!!」
シグレが背後から追ってくる。
殺される! 殺される! 殺される! お母様やお父様やお兄様達みたいに、殺されるっ!
もはやリンの心は完全に恐怖に支配されていた。
――シグレが全部やったんだ! シグレが、シグレが、シグレがっ!!??
もはや自分がどこを走っているかも分からないまま屋敷内を駆け巡り、やがて彼女はとある部屋に入った。
理由は簡単で、その部屋の扉がうっすら開いていたのでとっさに、であった。
「ハァ! ハァ! ハァ……!」
喉が焼け付き胸が締め付けられる程に走ったリンの呼吸は荒い。
だが、そこでリンは動きを止めなかった。必死に周囲を見て、すぐにやってくるであろうシグレに対抗できるものを探した。
――殺されるくらいなら、私が……!
自らの身を守るために彼女が見つけたのは、花瓶だった。花も水もない、空の花瓶。
しかし重さはしっかりとある、両手で持つのがやっとな陶器の花瓶だった。
「ぐ……!」
リンはそれを持ち上げ、そして扉が開かれた際に裏手になるところに隠れる。
そうして、整えたくなっている呼吸をなんとか殺し、今か今かとシグレが来るのを待ち……
「――お嬢さ――ギャッ!?!?」
彼女が部屋に入ってきたところで、後頭部に花瓶を振り下ろした。
ガシャン! と花瓶が割れると同時に、グチャッ! とシグレの頭を砕いた感覚が手に伝わってきた。
「グ、ガアアアアアアッ……!?」
それでも未だ生きていて頭から血をドロドロと流し汚い悲鳴を上げながらもなんとか前に這いずるシグレ。
リンはそんな彼女の体をすぐさまひっくり返し、馬乗りになり、壊れた花瓶の破片を拾って、それを喉に突き立てた。
「ガッ!?!? カッ……!?」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」
リンは絶叫しながら何度もシグレの喉を突き刺す。
刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す、刺す……。
……狂乱していた彼女がその手を止めたのは、肉を突く感覚すら乏しくなったぐらいのときであった。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
やっと落ち着いて荒い息を整え始めるリン。
眼下には、すっかり物言わなくなった、シグレだったモノ。
――そして、その頭の近くにある、白い素足。
「…………え?」
見上げる。
白い足に続くのは、黒いドレス。
腰上から続く、足よりも真っ白な髪。
その髪が伸びる、耽美な顔で咲いながらリンを見下ろす、深紫の瞳。
「…………あ」
『はいお嬢様、終わりましたよ。相変わらずお綺麗なお御髪ですね、羨ましいです。この髪を整えられるだけでも、シグレは幸せ者です。あ、別に下心は混ざってないですからね!? ……基本的には』
瞬間、リンは理解した。
『見て下さいお嬢様! ほらほら! このネックレスきっとお嬢様にお似合いですよ! え? 私ももっと着飾れって? いやでも私メイドですし……そ、そんな!? お嬢様からプレゼントなんて……! ……そこまで言うなら……あ、ありがとうございます……』
勘違いで、家族と同じ程に、いやそれ以上に近くにいて、愛していた相手を手にかけてしまった事に。
『もうお嬢様ったらすぐ変な噂を鵜呑みにしちゃって……でも、そんなお嬢様も可愛いんですけれどね! というのは置いておいて……大丈夫ですよお嬢様。もしお嬢様が過ちを犯しそうになったら、このシグレが手を引いて元の道に戻しますから』
このすべてを引き起こした、死の間際の母がシグレではなく本当に指を差していた“ソレ”に。
『お嬢様。このシグレ、死ぬまであなたのお側にお仕えすることを誓います』
“ソレ”の見せる深紫の瞳が、既知の美しさである事に。
『リン、シグレ……私、あなた達に会えてよかった。令嬢にするためにって強引にここの養子にされたから嫌われちゃうかもって思ったけど、むしろ私の事を温かく家族同然に迎えてくれて……お母さんが死んでから、ずっと一人だったからそれが凄く嬉しくて……私、二人の事……大好き!』
自らの選択の末に支払う事になったあまりにも大きすぎる代償を、かつて”彼女”へと与えた部屋で気付かされた事に。
「……ごめんなさ――」
――リンの頭がぐるりと真後ろに逸れて最期に見た光景は、天地が逆さまになり真上に広がる事になった自分の背中だった。
◇◆◇◆◇
【怪奇! エンフィールド家の惨劇! 犯人は侯爵令嬢!?】
■月■■日。推定午後五時から六時にかけて我らが領主エンフィールド侯爵家の屋敷にてあまりにも信じられない事件が発生した。
一家全員、さらにはメイドや執事といった使用人全員が惨たらしく殺害されたのである。
容疑者はなんと公爵令嬢であるリン・エンフィールド氏であるとベルウッドの衛兵達は推察しているようだ。というのも、使用人達、そして他のエンフィールド家全員が刺殺または高所からの転落死(おそらく突き落とされたものと思われる)であったのに対し、リン侯爵令嬢だけは首を吊って死んでいた姿が見つかったらしいのである。
この状況から衛兵はリン侯爵令嬢が使用人と家族を全員殺害した後に自殺した、という見解を発表した。
しかしこの見解には当然疑問が残る。
まずなぜリン侯爵令嬢がそんな陰惨な犯行を行ったのか? そして、本当に彼女が本当に殺人犯だったとして、いかにして自らの家族を含め何十人といる屋敷内の人間全員を一人も屋敷の外に出さずに殺害できたのか? という疑問だ。
この点について当紙の記者が衛兵に伺ったところ「見解はあくまで暫定的なものでありこれから入念な調査を行っていく」という回答が返ってきた。
はたして領民から愛されていたエンフィールド家に一体何があったのか?
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