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きみのために、したかったこと【前編】
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虹彩がみるみる金色に染まっていく。
ごお、と風が唸る。つい先刻までの晴天がまるで嘘だったかのように、山の向こうから風に乗ってやってきた分厚い雲に覆われ、辺りは瞬く間に黒くなった。
『〈君〉の力が暴走したのか』
呆然とジルファが呟き、風に飛ばされぬように地面から少女の肩に舞い上がってきた。
「シャール! やめてっ! しっかりしてっ」
風圧に負けて閉じてしまいそうな両目を腕で庇いながら、スティールは少年に近付き、その肩を掴んでしっかりと目を合わせた。
草原に咲き乱れていた花も綿毛も散り散りに吹き飛んでいく。もう片方の肩に止まったリルフィも厳しい表情だ。
「どうして? スティールも、僕から離れるの? 僕を……捨てるの?」
最早瞳孔も判らないほどに金色に輝く瞳が、眼前の少女をぼんやりと見据えて呟いた。縋るように。
「そんなことあるわけないでしょ? あたしは今までもこれからも、ずっとずっとシャールの味方だよ。毎日は傍には居られなくても、大好きだから」
だからお願い、もうやめて、ちゃんとあたしの話を聴いて。
今日初めて、ぎゅう、とスティールはシャールを抱き締めた。
あたしはここにいるよ。だから落ち着いて。そう願いを込めて。
休日の朝は特に早起きなスティール。約束通り今回はジルファとリルフィも一緒に、いつもの河原にやってきて結節点から〈銀の界〉へと界を渡った。シャールが犬の姿だった頃に毎日通った思い出の場所を結節点として指定し、決められた時刻にのみ銀の界の結節点と繋がるようになっているのだ。
移動しながら、ジルファの表情は冴えない。
『やはりな……相当揺らいでいる』
『そうね、ちょっとマズイかも』
それについてはリルフィも異論はないようで、二人して重々しい吐息をついた。
いつも通りにバスケットを下げたスティールの歩も、いつもほど軽やかとはいかないようで、昨夜何事か考えていたからその関係かしらとリルフィはそれも心配していた。
移動時間は体感にして数瞬で終わる。ぽん、と草原に躍り出たスティールは、立ったまま空を見上げていた銀糸の髪の少年に歩み寄った。
「おはよう、シャール」
にっこりといつも通りの満面の笑みで、しかし両手で握ったバスケットの持ち手を緩める気配はなかった。
「おはよう」
いつもなら言葉より先に抱擁されるのに、意表を突かれたシャールは目をぱちくりさせていたのだけれど。少年の中でも、抱き付かれなくて安堵する思いと常とは違う行動を訝しく思うのとごちゃ混ぜで複雑な心境だった。
スティールはといえば昨日ローレンスに言われた『ほどほどに』スキンシップするということが難しくて、取り敢えず抱きつくのはよそうという殊勝な心がけだったのだけれど。
「今日はジルファさんとリルフィも一緒なんだね」
首を傾げる少年の上を、青い鳥が旋回した。
『ちょっと気になることがあるものでね。スティールと適当に遊んだ後でいいから、少し私にも付き合ってくれないかい?』
尋ねているようでいて、有無を言わせぬ言葉の強さだったので、シャールは表情を固くして頷いた。
『なにそんなに緊張することはないさ。訓練のおさらいだよ』
「わかりました」
もう一度こくりと頷いて、頬を緩めた。
「あのねシャール、今日のは自信作だよっ」
場を和ませるためにわざとのタイミングなのか、スティールはぐいとバスケットを少年の胸元に押し付けた。
「林檎のパンケーキ」
起きてすぐにそれを焼いて両親の朝食用にとテーブルに並べているところを見ていたリルフィとジルファはちらちらと視線を交わして苦笑した。
――これって小さな子供でも作れるもの、なんだけどねぇ。
――いやいや焦がさなかっただけでも僥倖だよ? なんといっても生地を入れる前に薄切り林檎を焼く時点で以前は黒焦げにしていたからね?
藤の籠を開けるとふんわりと甘酸っぱい香りが漂った。
「わあ、本当だね。とても綺麗にキツネ色に焼きあがってるよ」
朝食がまだだったからと、その場に腰を下ろしてシャールは食べ始めた。
よかったぁ~とかいっぱい食べてね、とか声を掛けながらいつもより少し間を開けてスティールも草の上に座って見守った。
二羽の鳥も草の上に降りて足の上に体を載せて寛いだ体勢をとった。
スティールは今週学校であった出来事などをおもしろおかしくシャールに語り、シャールもそれに適当に相槌を打って笑い合っていたのだが……。
「それでね、あたしシャールにもちゃんと言っておかなくちゃと思って」
急に真剣な眼差しをしたスティールにシャールの心臓が大きく跳ね上がる。
「な、なにかな」
スティールは食べ終えた両手で服の上のパン屑を払い落としながら、気を引き締めた様子だ。
「あのね、あたし今ローレンスとお付き合いをしてるの」
「お付き合いって」
ずっとスティールと一緒にいただけのシャールならば、その言葉の意味も良く判らなかっただろう。
けれど、〈狭間〉から〈銀〉に移り住んだとはいえ、今は社会人として一応自立した生活をしており、色々な種類の人々と関わりを持っている。精神年齢は若干低めでも、外見上は類い希なる美貌の持ち主であるシャールに、見た目だけで寄ってくる者もいないわけではなく……。
「まさか、ディーンの記憶が戻ったの?」
(唇の震えを悟られてはならない。
僕が心の中で願っていることなど、最愛の少女に知られてはならない)
ううん、と首を振ってスティールは説明した。
「ローレンスの方から、あたしと付き合いたいって。ディーンのことを知っていて、そういう事情もひっくるめてあたしのことが好きだからって」
(あああ、今こんな状況のときにそんなことシャールに言うなんて)
そんな馬鹿正直なところが少女らしいのだけれど、鳥たちは目を見張った。
「だから、あたしもローレンスのこと好きだし、お付き合いしてもいいかなって」
その時、突風が吹き荒れた。
「シャール、お願い、あたしの話最後まで聴いて」
呼び掛けても、シャールの心には届いていないのか。
「どうして……僕のこと、見捨てるの? 嫌だよ、行かないで、スティール」
金色に輝く瞳は、瞬きすらも忘れたかのように大きく見開かれていて。
――怖い。
スティールは、生まれて初めてシャールに対して恐怖を感じてしまった。
初めて人の姿のシャールと相対したときにもそんな感情は生まれてこなかったというのに、そう感じてしまった。そしてそれを敏感に感じ取ったシャールの心も更に固く閉ざされていく。
「シャール……っ」
もう何を口にしても、言葉では伝わらないのだろうか。スティールは抱き締める腕に力を込め、リルフィとジルファは巧みにバランスを取りながら、肩から落ちないようにしていた。
「シャール、どうしたらあたしのこと信じてくれるの? 大切な家族のままじゃ、駄目なの?」
真実以外に、スティールが口に出来る言葉はない。
「ずっとずっと、シャールが駄目って来るなっていうまで、毎週此処に来るから。それじゃあ駄目なの? シャールはあたしにどうして欲しいの?」
その答えは、シャールの中でははっきりしているのだ。
ただ、少女が〈狭間の界〉の住人で、自分が〈銀の界〉の君の血を引く唯一の者であるがゆえに、未来永劫叶うことのないであろう願いなことも理解していて。
それでも、願ってしまう。夢見てしまう。
抑えきれない気持ちが、力を伴い暴走して。
『いけない、こんな使い方をしていたら、ディーンの二の舞になるわよ』
リルフィが警告した。
天候を操るのは自然の摂理に逆らうもっとも危険な使い方だ。雲を少し動かして限られた地域を晴天にするくらいならば問題ないが、遠方から無理矢理雨雲を呼び嵐を作るなど以ての外である。
それでも、まだ少女には『お願い』されていないため、リルフィには何も出来ない。ジルファも勿論だ。〈銀の界〉が滅亡するかもしれないという緊急事態だったため、以前にはその体を通して〈金の君〉の力を行使したけれど、今回はそれほど切羽詰っていないため、全てはスティールに委ねられている。
――さあ、どうする? スティール。
無言の問いに、少女の右手が閃いた。
ぱしんと軽い音と共に「ごめん」と謝って。
シャールは目を瞬かせると、そっと左手で頬を押さえた。ほんのり薄紅色に染まった頬。初めて誰かに叩かれたのだろう、何が起こったのか判っていない様子だったけれど、その両目が僅かに正気を取り戻した。
「シャール、あたし、ずっとずーっと好きだよ? だから……そんな哀しいこと言わないで。シャールと誰か他の人なんて、比べられないんだよ?」
スティールの目には涙がにじんでいた。
そしてそっとシャールの頬に唇を寄せた。右に、左に、そっと労わるように優しく。
「お願い」
その声が伝わったのか、シャールの目蓋が落ちた。
ぱたりと風が止み、暗雲はまだ頭上にあるものの、雲は支配から逃れゆっくりと山の方に移動を始めたようだ。
そしてがくりとシャールの体から力が抜けて、スティールの方へ倒れこんだ。
咄嗟にリルフィとジルファは舞い上がったものの、スティールにも支えきれず一緒に草の上に横倒しに倒れる。
スティールはすぐに両手をついて体を起こしたが、シャールの方は動く様子がない。完全に意識を失ってしまったようだった。
「シャール? どうしたの、シャール!」
肩を揺する少女にジルファが声を掛ける。
『問題ないよ。力の使い過ぎを防ぐために無意識に意識を手放したんだろう。あとはちょっと疲労のせい、かな』
ふわりと今度は地面に舞い降りて。
『やれやれ、それにしてもこの子もまだ放っておくわけにはいかないようだね』
翼を竦めると、お嬢ちゃんちょっと失礼するよとスティールにウインクした。
『金の界を統べる御方は偉大なり。その血を分け与えられし我ジルファード・コンクラウスが伏して願い奉る。今ひと時真実の姿を我に与えたまえ』
瞬きするほどの間、ジルファは金色の光に包まれた。
そして、気付いたときには長い金糸の髪を腰まで垂らした細面の男性が目の前に立っていたのだ。
煌く緑の瞳が、スティールにウインクを寄越し、爽やかな肉声が耳に届いた。
「やあ、この姿では初めまして? 鳥の姿のままだと彼を運ぶことも出来ないからちょっとだけ失礼するよ」
『あーもうあんたって……』
空に舞ったままのリルフィは盛大な溜め息をついた。
「じ、ジルファさん、とっても美形~っ!」
大きく口を開けて、少女は素直に賞賛し、まんざらでもなさそうにジルファは微笑んだ。身長はローレンスと同じくらいだろう、結構高い。細い顎とすっと通った鼻梁が鋭利な印象を与えているが、表情が人間臭くて万人に好かれそうな顔立ちだ。
『そうねー顔だけはイイかもねー』
棒読みでリルフィが呟いている。
「リルは? 元の姿にならないの? 美人なんだろうなぁ」
きらきらと瞳を輝かせて見上げられて、リルフィはたじろいだ。
「そうとも、そりゃあ美人だよ!」
満面の笑顔でジルファが頷いている。
『いやあよ、たまたま〈金の界〉で会った時以外に、こいつと人型で同席なんかするもんですか』
「「ええーっ」」
二人とも至極不満そうな声。
『あーやだ。何言われてもぜったいお断りっ』
ばさりと大きく羽ばたくと、
『それじゃあ私は一足お先に下宿先に行ってるわね」
とさっさと町の方へ飛んでいってしまった。
「ほんとにリルってば、ジルファさんには冷たいね……」
ぼそりと申し訳なさそうにスティールは見遣った。
青年姿のジルファは「いつものことだよ」と歯牙にもかけない様子で、よいしょとシャールを背負った。
ごお、と風が唸る。つい先刻までの晴天がまるで嘘だったかのように、山の向こうから風に乗ってやってきた分厚い雲に覆われ、辺りは瞬く間に黒くなった。
『〈君〉の力が暴走したのか』
呆然とジルファが呟き、風に飛ばされぬように地面から少女の肩に舞い上がってきた。
「シャール! やめてっ! しっかりしてっ」
風圧に負けて閉じてしまいそうな両目を腕で庇いながら、スティールは少年に近付き、その肩を掴んでしっかりと目を合わせた。
草原に咲き乱れていた花も綿毛も散り散りに吹き飛んでいく。もう片方の肩に止まったリルフィも厳しい表情だ。
「どうして? スティールも、僕から離れるの? 僕を……捨てるの?」
最早瞳孔も判らないほどに金色に輝く瞳が、眼前の少女をぼんやりと見据えて呟いた。縋るように。
「そんなことあるわけないでしょ? あたしは今までもこれからも、ずっとずっとシャールの味方だよ。毎日は傍には居られなくても、大好きだから」
だからお願い、もうやめて、ちゃんとあたしの話を聴いて。
今日初めて、ぎゅう、とスティールはシャールを抱き締めた。
あたしはここにいるよ。だから落ち着いて。そう願いを込めて。
休日の朝は特に早起きなスティール。約束通り今回はジルファとリルフィも一緒に、いつもの河原にやってきて結節点から〈銀の界〉へと界を渡った。シャールが犬の姿だった頃に毎日通った思い出の場所を結節点として指定し、決められた時刻にのみ銀の界の結節点と繋がるようになっているのだ。
移動しながら、ジルファの表情は冴えない。
『やはりな……相当揺らいでいる』
『そうね、ちょっとマズイかも』
それについてはリルフィも異論はないようで、二人して重々しい吐息をついた。
いつも通りにバスケットを下げたスティールの歩も、いつもほど軽やかとはいかないようで、昨夜何事か考えていたからその関係かしらとリルフィはそれも心配していた。
移動時間は体感にして数瞬で終わる。ぽん、と草原に躍り出たスティールは、立ったまま空を見上げていた銀糸の髪の少年に歩み寄った。
「おはよう、シャール」
にっこりといつも通りの満面の笑みで、しかし両手で握ったバスケットの持ち手を緩める気配はなかった。
「おはよう」
いつもなら言葉より先に抱擁されるのに、意表を突かれたシャールは目をぱちくりさせていたのだけれど。少年の中でも、抱き付かれなくて安堵する思いと常とは違う行動を訝しく思うのとごちゃ混ぜで複雑な心境だった。
スティールはといえば昨日ローレンスに言われた『ほどほどに』スキンシップするということが難しくて、取り敢えず抱きつくのはよそうという殊勝な心がけだったのだけれど。
「今日はジルファさんとリルフィも一緒なんだね」
首を傾げる少年の上を、青い鳥が旋回した。
『ちょっと気になることがあるものでね。スティールと適当に遊んだ後でいいから、少し私にも付き合ってくれないかい?』
尋ねているようでいて、有無を言わせぬ言葉の強さだったので、シャールは表情を固くして頷いた。
『なにそんなに緊張することはないさ。訓練のおさらいだよ』
「わかりました」
もう一度こくりと頷いて、頬を緩めた。
「あのねシャール、今日のは自信作だよっ」
場を和ませるためにわざとのタイミングなのか、スティールはぐいとバスケットを少年の胸元に押し付けた。
「林檎のパンケーキ」
起きてすぐにそれを焼いて両親の朝食用にとテーブルに並べているところを見ていたリルフィとジルファはちらちらと視線を交わして苦笑した。
――これって小さな子供でも作れるもの、なんだけどねぇ。
――いやいや焦がさなかっただけでも僥倖だよ? なんといっても生地を入れる前に薄切り林檎を焼く時点で以前は黒焦げにしていたからね?
藤の籠を開けるとふんわりと甘酸っぱい香りが漂った。
「わあ、本当だね。とても綺麗にキツネ色に焼きあがってるよ」
朝食がまだだったからと、その場に腰を下ろしてシャールは食べ始めた。
よかったぁ~とかいっぱい食べてね、とか声を掛けながらいつもより少し間を開けてスティールも草の上に座って見守った。
二羽の鳥も草の上に降りて足の上に体を載せて寛いだ体勢をとった。
スティールは今週学校であった出来事などをおもしろおかしくシャールに語り、シャールもそれに適当に相槌を打って笑い合っていたのだが……。
「それでね、あたしシャールにもちゃんと言っておかなくちゃと思って」
急に真剣な眼差しをしたスティールにシャールの心臓が大きく跳ね上がる。
「な、なにかな」
スティールは食べ終えた両手で服の上のパン屑を払い落としながら、気を引き締めた様子だ。
「あのね、あたし今ローレンスとお付き合いをしてるの」
「お付き合いって」
ずっとスティールと一緒にいただけのシャールならば、その言葉の意味も良く判らなかっただろう。
けれど、〈狭間〉から〈銀〉に移り住んだとはいえ、今は社会人として一応自立した生活をしており、色々な種類の人々と関わりを持っている。精神年齢は若干低めでも、外見上は類い希なる美貌の持ち主であるシャールに、見た目だけで寄ってくる者もいないわけではなく……。
「まさか、ディーンの記憶が戻ったの?」
(唇の震えを悟られてはならない。
僕が心の中で願っていることなど、最愛の少女に知られてはならない)
ううん、と首を振ってスティールは説明した。
「ローレンスの方から、あたしと付き合いたいって。ディーンのことを知っていて、そういう事情もひっくるめてあたしのことが好きだからって」
(あああ、今こんな状況のときにそんなことシャールに言うなんて)
そんな馬鹿正直なところが少女らしいのだけれど、鳥たちは目を見張った。
「だから、あたしもローレンスのこと好きだし、お付き合いしてもいいかなって」
その時、突風が吹き荒れた。
「シャール、お願い、あたしの話最後まで聴いて」
呼び掛けても、シャールの心には届いていないのか。
「どうして……僕のこと、見捨てるの? 嫌だよ、行かないで、スティール」
金色に輝く瞳は、瞬きすらも忘れたかのように大きく見開かれていて。
――怖い。
スティールは、生まれて初めてシャールに対して恐怖を感じてしまった。
初めて人の姿のシャールと相対したときにもそんな感情は生まれてこなかったというのに、そう感じてしまった。そしてそれを敏感に感じ取ったシャールの心も更に固く閉ざされていく。
「シャール……っ」
もう何を口にしても、言葉では伝わらないのだろうか。スティールは抱き締める腕に力を込め、リルフィとジルファは巧みにバランスを取りながら、肩から落ちないようにしていた。
「シャール、どうしたらあたしのこと信じてくれるの? 大切な家族のままじゃ、駄目なの?」
真実以外に、スティールが口に出来る言葉はない。
「ずっとずっと、シャールが駄目って来るなっていうまで、毎週此処に来るから。それじゃあ駄目なの? シャールはあたしにどうして欲しいの?」
その答えは、シャールの中でははっきりしているのだ。
ただ、少女が〈狭間の界〉の住人で、自分が〈銀の界〉の君の血を引く唯一の者であるがゆえに、未来永劫叶うことのないであろう願いなことも理解していて。
それでも、願ってしまう。夢見てしまう。
抑えきれない気持ちが、力を伴い暴走して。
『いけない、こんな使い方をしていたら、ディーンの二の舞になるわよ』
リルフィが警告した。
天候を操るのは自然の摂理に逆らうもっとも危険な使い方だ。雲を少し動かして限られた地域を晴天にするくらいならば問題ないが、遠方から無理矢理雨雲を呼び嵐を作るなど以ての外である。
それでも、まだ少女には『お願い』されていないため、リルフィには何も出来ない。ジルファも勿論だ。〈銀の界〉が滅亡するかもしれないという緊急事態だったため、以前にはその体を通して〈金の君〉の力を行使したけれど、今回はそれほど切羽詰っていないため、全てはスティールに委ねられている。
――さあ、どうする? スティール。
無言の問いに、少女の右手が閃いた。
ぱしんと軽い音と共に「ごめん」と謝って。
シャールは目を瞬かせると、そっと左手で頬を押さえた。ほんのり薄紅色に染まった頬。初めて誰かに叩かれたのだろう、何が起こったのか判っていない様子だったけれど、その両目が僅かに正気を取り戻した。
「シャール、あたし、ずっとずーっと好きだよ? だから……そんな哀しいこと言わないで。シャールと誰か他の人なんて、比べられないんだよ?」
スティールの目には涙がにじんでいた。
そしてそっとシャールの頬に唇を寄せた。右に、左に、そっと労わるように優しく。
「お願い」
その声が伝わったのか、シャールの目蓋が落ちた。
ぱたりと風が止み、暗雲はまだ頭上にあるものの、雲は支配から逃れゆっくりと山の方に移動を始めたようだ。
そしてがくりとシャールの体から力が抜けて、スティールの方へ倒れこんだ。
咄嗟にリルフィとジルファは舞い上がったものの、スティールにも支えきれず一緒に草の上に横倒しに倒れる。
スティールはすぐに両手をついて体を起こしたが、シャールの方は動く様子がない。完全に意識を失ってしまったようだった。
「シャール? どうしたの、シャール!」
肩を揺する少女にジルファが声を掛ける。
『問題ないよ。力の使い過ぎを防ぐために無意識に意識を手放したんだろう。あとはちょっと疲労のせい、かな』
ふわりと今度は地面に舞い降りて。
『やれやれ、それにしてもこの子もまだ放っておくわけにはいかないようだね』
翼を竦めると、お嬢ちゃんちょっと失礼するよとスティールにウインクした。
『金の界を統べる御方は偉大なり。その血を分け与えられし我ジルファード・コンクラウスが伏して願い奉る。今ひと時真実の姿を我に与えたまえ』
瞬きするほどの間、ジルファは金色の光に包まれた。
そして、気付いたときには長い金糸の髪を腰まで垂らした細面の男性が目の前に立っていたのだ。
煌く緑の瞳が、スティールにウインクを寄越し、爽やかな肉声が耳に届いた。
「やあ、この姿では初めまして? 鳥の姿のままだと彼を運ぶことも出来ないからちょっとだけ失礼するよ」
『あーもうあんたって……』
空に舞ったままのリルフィは盛大な溜め息をついた。
「じ、ジルファさん、とっても美形~っ!」
大きく口を開けて、少女は素直に賞賛し、まんざらでもなさそうにジルファは微笑んだ。身長はローレンスと同じくらいだろう、結構高い。細い顎とすっと通った鼻梁が鋭利な印象を与えているが、表情が人間臭くて万人に好かれそうな顔立ちだ。
『そうねー顔だけはイイかもねー』
棒読みでリルフィが呟いている。
「リルは? 元の姿にならないの? 美人なんだろうなぁ」
きらきらと瞳を輝かせて見上げられて、リルフィはたじろいだ。
「そうとも、そりゃあ美人だよ!」
満面の笑顔でジルファが頷いている。
『いやあよ、たまたま〈金の界〉で会った時以外に、こいつと人型で同席なんかするもんですか』
「「ええーっ」」
二人とも至極不満そうな声。
『あーやだ。何言われてもぜったいお断りっ』
ばさりと大きく羽ばたくと、
『それじゃあ私は一足お先に下宿先に行ってるわね」
とさっさと町の方へ飛んでいってしまった。
「ほんとにリルってば、ジルファさんには冷たいね……」
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