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嘘吐き
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推薦入試とほぼ同時期に、実の勤務先では二年生にスキー研修がある。実は同伴したこともあるが、別に参加する義務もないので、学校に残って通常業務をすることのほうが多い。翌月に控えている卒業式と一般入試の準備も忙しく、その後の新年度に向けての準備ときたら、本当に目が回るくらいの慌しさになる。
だからこの時期にはガラスのイベント参加は控えるようにしているので、工房に行かなくとも差し障りはない。そう実は勝手に解釈している。
それでも今までは、新汰の顔が見たいからと、ちょっと顔を出すだけでもと覗いたりしていた。控えている電話も、変ではない程度に用事を作って掛けて、声を聞いては安心したものだった。
雑務の合い間に、ふと思い出されるのは、毎日不安で堪らなくて、それでも会いたくて、声を聞きたくて、でも自分から電話するのは気が引けて、泣きたくなるくらいに胸がきゅうっと縮む感覚がするのに、前にも後ろにも進めなかった日々のこと。
乾燥する事務室で、休憩時間に職員に焙じ茶を配りながら、ふと机の上の家族写真に目が留まった。
「ああこれ、写真変えたんですよ。この間発表会があって」
実と同じ年頃の教員が、写真立てに視線を遣り、照れ笑いをしながら湯飲みを受け取った。
そこには、スーツ姿の教員夫妻と、ピンクのドレスを着た小学生らしき女の子が写っている。
三人とも、何処か誇らしげに微笑んでいて、少しぎこちないポーズが記念写真なんだなと、懐かしいような空気を漂わせていた。
初めて新汰の妻子に会ったのは、娘がまだ小学生の頃だった。
実は二十代で若く、まだ技術も拙くて、本当に新汰には手取り足取り教えを請う立場だった。
「ノルマがあって大変なんだ。協力してよ」
そう新汰に拝み倒されて、バレエの発表会のチケットを購入したのだ。
友人を誘って最初から最後まで観たが、ストーリー自体は有名なものだから判ったものの、誰が娘なのかは見分けがつかなかった。
最後にホールで花束を渡しながらようやく顔を合わせたときには妻も当然同席していて、ああ娘さんは母親似なのかなと漠然と思ったのを憶えている。
キャリアウーマンという感じの、ややきつそうなイメージの、ハキハキとした女性だった。娘の方は、もう少し柔らかかったが、それもその頃だけの話で、成長するにつれ母親と性格も似ていくような気がしたものだ。
可愛い盛りだったのに、どうしてその当時から新汰が自分を求めたのか解らなかった。
妻とはぎくしゃくしていたようだった。
しょっちゅう変わる仕事に、趣味や習い事に費やされる時間の多さ。そういったものが我慢できない性格だったのだろうと思う。
実にも解るくらいに、二人の仲は会う度に冷え込んでいくようだった。
ただ、二人ともそういった面を出来るだけ隠したかったのか、色々なメンバーでバーベキューをしたり花見に出掛けたりと、家族を交えた行事をして、どうにかして取り繕ってきたのだ。
だから、とっくの昔に夫婦の夜の営みがなくなっているのも知っていた。それだから、最低でも月に二回はホテルに誘われたし、実も誘われるままに体を開き、受け入れてきた。
二人共に同性は初めてだったけれど、色々と手探りながらも、快感を得られるように新汰も気を付けてくれたし、労わってもくれた。
だからこそ続いて来たのだ。
新汰の口にする愛の言葉が、真実なのかそうでないのか、判断がつかなくとも。
あちらの家族にすんなり受け入れられたときには、生きてきた中で一番驚いたのではないかと思う。
深くも浅くも追求は出来なかったけれど、余程妻である女性の行状が悪いのだろう。
今となれば、それを取り持とうという努力を怠った新汰にも非があるのではと考えるが、もう修復不可能なほどに亀裂が入り、たとえ同性同士でも心を許せる相手が居るのは良いとすんなり歓迎出来る位に、新汰の実家方は荒んだ感情を抱いていたのだ。
自分の席で、温くなったお茶に口を付け、失笑した。
そう、幸せだったのは、最初の数ヶ月だけ。片思いで、ただ一緒に居られる時間が大切で、傍に居ることそのものに幸福を感じていた頃。
親しくなってすぐに妻子が居るのも知ったし、だから受け入れられる筈のない感情だと信じていた。
今でも、ずっと。何度でも心の中で問い続けている。
どうして、おれを抱くの。
その好きは、どう解釈すればいいの。新さんの中で、おれは何番目に「好き」な存在なの。
一番の座が欲しかったわけじゃない。きっと日常の中で、幸せを感じられる居場所が欲しかったのだと思う。
両親や弟ではない誰かに、好きになって欲しかった。一生共に歩んでいける人に隣に居て欲しいと思った。
それは、誰かの夫である人には抱いてはいけない、期待してはいけないことなのに。
だから哲朗が結婚すると告げたとき、ああもうお終いだと思った。
これでもっと家が近かったり、何か他に接点でもあれば違っていただろう。
けれど、独身時代から滅多に会えない人だったのに、誰か一人のものになるなら、永遠に会えないと割り切るしかなかった。
その価値観が、新汰によって根底から覆されてしまったのだ。
「あんなの、書類一枚の契約でしかないよ。俺が愛しているのはみのちゃんだけ」
何度耳元で囁かれただろう。
嘘吐き。
種類が違っても、娘も妻もちゃんと愛している。
そうでなければ、食事すら用意されていない家に毎日帰ったりしない。
朝まで一緒に居たいというなけなしの我侭をさらりと躱して帰路に着いたりしない。
ヒモでしかないミュージシャン志望の男を居候させている娘の為に、禁煙までして仕送りの額を増やしたりしない。
もういい加減にしろと実に愚痴を零しながらも、ブランドものを買ってはすぐに飽きて質に流す妻を容認したりしない。
だからこの時期にはガラスのイベント参加は控えるようにしているので、工房に行かなくとも差し障りはない。そう実は勝手に解釈している。
それでも今までは、新汰の顔が見たいからと、ちょっと顔を出すだけでもと覗いたりしていた。控えている電話も、変ではない程度に用事を作って掛けて、声を聞いては安心したものだった。
雑務の合い間に、ふと思い出されるのは、毎日不安で堪らなくて、それでも会いたくて、声を聞きたくて、でも自分から電話するのは気が引けて、泣きたくなるくらいに胸がきゅうっと縮む感覚がするのに、前にも後ろにも進めなかった日々のこと。
乾燥する事務室で、休憩時間に職員に焙じ茶を配りながら、ふと机の上の家族写真に目が留まった。
「ああこれ、写真変えたんですよ。この間発表会があって」
実と同じ年頃の教員が、写真立てに視線を遣り、照れ笑いをしながら湯飲みを受け取った。
そこには、スーツ姿の教員夫妻と、ピンクのドレスを着た小学生らしき女の子が写っている。
三人とも、何処か誇らしげに微笑んでいて、少しぎこちないポーズが記念写真なんだなと、懐かしいような空気を漂わせていた。
初めて新汰の妻子に会ったのは、娘がまだ小学生の頃だった。
実は二十代で若く、まだ技術も拙くて、本当に新汰には手取り足取り教えを請う立場だった。
「ノルマがあって大変なんだ。協力してよ」
そう新汰に拝み倒されて、バレエの発表会のチケットを購入したのだ。
友人を誘って最初から最後まで観たが、ストーリー自体は有名なものだから判ったものの、誰が娘なのかは見分けがつかなかった。
最後にホールで花束を渡しながらようやく顔を合わせたときには妻も当然同席していて、ああ娘さんは母親似なのかなと漠然と思ったのを憶えている。
キャリアウーマンという感じの、ややきつそうなイメージの、ハキハキとした女性だった。娘の方は、もう少し柔らかかったが、それもその頃だけの話で、成長するにつれ母親と性格も似ていくような気がしたものだ。
可愛い盛りだったのに、どうしてその当時から新汰が自分を求めたのか解らなかった。
妻とはぎくしゃくしていたようだった。
しょっちゅう変わる仕事に、趣味や習い事に費やされる時間の多さ。そういったものが我慢できない性格だったのだろうと思う。
実にも解るくらいに、二人の仲は会う度に冷え込んでいくようだった。
ただ、二人ともそういった面を出来るだけ隠したかったのか、色々なメンバーでバーベキューをしたり花見に出掛けたりと、家族を交えた行事をして、どうにかして取り繕ってきたのだ。
だから、とっくの昔に夫婦の夜の営みがなくなっているのも知っていた。それだから、最低でも月に二回はホテルに誘われたし、実も誘われるままに体を開き、受け入れてきた。
二人共に同性は初めてだったけれど、色々と手探りながらも、快感を得られるように新汰も気を付けてくれたし、労わってもくれた。
だからこそ続いて来たのだ。
新汰の口にする愛の言葉が、真実なのかそうでないのか、判断がつかなくとも。
あちらの家族にすんなり受け入れられたときには、生きてきた中で一番驚いたのではないかと思う。
深くも浅くも追求は出来なかったけれど、余程妻である女性の行状が悪いのだろう。
今となれば、それを取り持とうという努力を怠った新汰にも非があるのではと考えるが、もう修復不可能なほどに亀裂が入り、たとえ同性同士でも心を許せる相手が居るのは良いとすんなり歓迎出来る位に、新汰の実家方は荒んだ感情を抱いていたのだ。
自分の席で、温くなったお茶に口を付け、失笑した。
そう、幸せだったのは、最初の数ヶ月だけ。片思いで、ただ一緒に居られる時間が大切で、傍に居ることそのものに幸福を感じていた頃。
親しくなってすぐに妻子が居るのも知ったし、だから受け入れられる筈のない感情だと信じていた。
今でも、ずっと。何度でも心の中で問い続けている。
どうして、おれを抱くの。
その好きは、どう解釈すればいいの。新さんの中で、おれは何番目に「好き」な存在なの。
一番の座が欲しかったわけじゃない。きっと日常の中で、幸せを感じられる居場所が欲しかったのだと思う。
両親や弟ではない誰かに、好きになって欲しかった。一生共に歩んでいける人に隣に居て欲しいと思った。
それは、誰かの夫である人には抱いてはいけない、期待してはいけないことなのに。
だから哲朗が結婚すると告げたとき、ああもうお終いだと思った。
これでもっと家が近かったり、何か他に接点でもあれば違っていただろう。
けれど、独身時代から滅多に会えない人だったのに、誰か一人のものになるなら、永遠に会えないと割り切るしかなかった。
その価値観が、新汰によって根底から覆されてしまったのだ。
「あんなの、書類一枚の契約でしかないよ。俺が愛しているのはみのちゃんだけ」
何度耳元で囁かれただろう。
嘘吐き。
種類が違っても、娘も妻もちゃんと愛している。
そうでなければ、食事すら用意されていない家に毎日帰ったりしない。
朝まで一緒に居たいというなけなしの我侭をさらりと躱して帰路に着いたりしない。
ヒモでしかないミュージシャン志望の男を居候させている娘の為に、禁煙までして仕送りの額を増やしたりしない。
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