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6初めての授業
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校長に頼み込んで、映像を見せてもらった。
「ほら見てください。これです」
校長は自分のタブレットを立ち上げた。どんなひどい状態なのだろうか。私は恐る恐る映像をのぞき込む。ひどく荒い映像だった。時々、大きくゆがみが現れる。 「ここは、タブレットが聞きにくい場所なのですよ。軍の使う装置を使ってもこれが精いっぱいの映像でして……」
校長が弁解する。
先生らしい一人の男が巨大なタブレットの前に立っていた。それが、タブレットではなくただの板であることに気が付いたのは男が文字をその板に書き始めてからだった。 その板に書かれた文字を生徒たちが帳面に写していく。
「あのぉ」
「何でしょうか。先生」
「この人たち、生徒なのですか?」
私は教室の後ろのほうに座る人をさした。 椅子からはみ出して窮屈そうにしている人たちはどう見ても大人だ。
「……はい。生徒です……ちょっと大きいですけどね」
ありえない。どう見ても、大人だ。
「…この辺りには黒い民が多いのですよ。特に、黒の町には昔から黒い民が集まっている地区がありまして……まぁ、いろいろな問題の巣窟になっていました。魔人戦争のあと、この町の立て直しをするというときに、問題のある人たちにも知識を与えようという話になったのですよ……『学びなおし』とかなんとかで成人も学校に通える特例ができたのです。それで……」
「それで、大人も教室にいるわけですね」
「もっとも、先生の担当する教室にはここ数年大人はいません。今年度も今のところ申し込みはありません。ご安心を」
ご安心といわれても。心は休まらなかった。映像の中では、教師が粛々と授業を続けていた。話を聞いているとは思えない生徒たちを前にして。
「あの、それで、私は何を教えればいいのですか?」
地理や歴史の基礎知識という条件だった。だが、この状況ではそのような話を喜んで聞いてくれるとは思えない。
「神殿で、生活ができると……」
「も、もちろん。神殿から通っておられる先生も、いないことはなかったですね。ただ、神殿というところはいろいろ規則の厳しいところなので。神官たちと同じ生活を続けるというのは……」
神殿住まいの神官たちの生活は質素でつつましいと決まっている。
たしか、就寝時間も厳格に決められていると聞いた。私は目の前に積まれた本の山を見た。これに目を通すためには徹夜しなければいけないだろうか。
「召使はいたほうがいいと思います。やはり一人暮らしの女性は不用心ですから……しかし、エレッタ先生、どういう手段でここに来られたのでしょう」
私はラーズ商会の車に乗ってきたのだと、説明した。それを聞いて、校長は複雑な表情を浮かべる。
「それは良かった、というべきでしょうか。何事もなく、安全に、送ってもらった? それは、それは……」
校長はしばらく考え込む。
「ラーズ商会はですね、あそこは人の紹介もしてくれるはず。あそこの会長は、癖はありますが信頼のおける男です。今まで何事もなかったのなら、まぁ、大丈夫でしょう」
含みのある言い方だった。
「と、とにかく、それはまた後にしましょう。いかがでしょう。顔合わせもかねて、一度生徒たちを指導してみられ ては?」
「そうですね。紹介だけなら……」
うまく丸め込まれたような気がする。
私は案内された部屋で、以前の教師が残した資料と格闘していた。
魔法の使える部屋にもかかわらず、床は紙だらけだ。
タブレットの映像も繰り返してみた。どうやら、何かの宣伝に使うための映像だったようで肝心のところが写されていない。
本当になんとかなるのだろうか。
お習字の教室だと思えばいい。そう、お習字だ。 私は自分に言い聞かせる。明日は自己紹介だけでいいといわれた。とりあえず、帝国の公式な歴史を記したといわれている本をもとに授業をしよう。
そこまで思い切るまでにずいぶん時間をかけてしまった。
あっという間に朝が来た。
仮眠をとったが、寝た気がしない。
鏡を見て、自分でもひどい顔だと思った。
朝、神殿の食堂に案内してくれた神官に心配されたほどだ。
神殿の食事は質素だった。でも、食事も食べられないほど緊張している私には薄いスープくらいがちょうどいい。
授業に備えて、髪を上げて、かかとの高い靴を履く。少しは大人に見えるだろうか。
学校は神殿の隣の建物だった。もとは軍の学校があったところらしい。今では一般に開かれて、子供から大人まで様々な年齢の人が通っているという。新兵らしき若い兵たちが訓練している横を通って、いやに騒がしい棟に案内される。
「ここですか?」
「ここです」
教室の外にまで中での大騒ぎが聞こえている。
いやだ。
今からでも帰りたい。反射的にそう思った。
でも、行くしかない。ここでやると決めたから、やる…… 深呼吸して扉を開けた。
目の前を何かが落ちていった。
扉の隙間に何かが挟んであったのだ。
私はその、何かわからないものを拾い上げる。
なんだろう? これは。
一瞬、教室が静まり返ってまた再び沸き立った。
「ちぇ」
「ダメじゃん」
「ばーか、ばーか」
私が教室に入ると、また、少し騒ぎが収まった。
「おい、おまえ、遅刻だぞ」
私と似た背の高さの子供が威圧するように前に立ちふさがった。
「おまえ、新入生か? 見ない顔だな」
「席に着きなさい」私は少年に命令する。「授業中でしょ」
「何を……おまえ、偉そうに……」
私は少年を押しのけるようにして教壇に立った……前が見えにくい。 仕方なく、そばにあった何かの箱を引き寄せて、その上に立つ。
「みなさん、お静かに」
「なんだ? お前」
権威的な振る舞いに子供たちはざわめく。
「静かに、席についてください」
「だから、なんだっていうんだよぉ。生意気だぞ」
先ほどの少年が私を引きずり降ろそうとした。私は毅然と手を払って見せた。
「私の名前はエレッタ・エル・カーセ。新しくここで教えることになった教師です、君の名前は?」
少年は驚いたようにエレッタを見て、しばらく上から下までみて、つぶやいた。
「うわぁ、小さい」
私の中で、何かが切れた。
「だ・か・ら、わたしは大人なんです。いいから、席について」
授業計画などくそくらえ。
私は後ろにある黒板に向き直ると、チョークとかいう筆記用具で自分の名前を大書した。
「私の名前はエレッタ・エル・カーセといいます。ここでは、帝国の歴史とちりを受け持つ予定です。今日は初めの授業ということで自己紹介をします。そこの」
私は右端前で足を机の上にあげている少年をさした。
「前から自分の名前と年、住んでいるところを教えてください」
「ほら見てください。これです」
校長は自分のタブレットを立ち上げた。どんなひどい状態なのだろうか。私は恐る恐る映像をのぞき込む。ひどく荒い映像だった。時々、大きくゆがみが現れる。 「ここは、タブレットが聞きにくい場所なのですよ。軍の使う装置を使ってもこれが精いっぱいの映像でして……」
校長が弁解する。
先生らしい一人の男が巨大なタブレットの前に立っていた。それが、タブレットではなくただの板であることに気が付いたのは男が文字をその板に書き始めてからだった。 その板に書かれた文字を生徒たちが帳面に写していく。
「あのぉ」
「何でしょうか。先生」
「この人たち、生徒なのですか?」
私は教室の後ろのほうに座る人をさした。 椅子からはみ出して窮屈そうにしている人たちはどう見ても大人だ。
「……はい。生徒です……ちょっと大きいですけどね」
ありえない。どう見ても、大人だ。
「…この辺りには黒い民が多いのですよ。特に、黒の町には昔から黒い民が集まっている地区がありまして……まぁ、いろいろな問題の巣窟になっていました。魔人戦争のあと、この町の立て直しをするというときに、問題のある人たちにも知識を与えようという話になったのですよ……『学びなおし』とかなんとかで成人も学校に通える特例ができたのです。それで……」
「それで、大人も教室にいるわけですね」
「もっとも、先生の担当する教室にはここ数年大人はいません。今年度も今のところ申し込みはありません。ご安心を」
ご安心といわれても。心は休まらなかった。映像の中では、教師が粛々と授業を続けていた。話を聞いているとは思えない生徒たちを前にして。
「あの、それで、私は何を教えればいいのですか?」
地理や歴史の基礎知識という条件だった。だが、この状況ではそのような話を喜んで聞いてくれるとは思えない。
「神殿で、生活ができると……」
「も、もちろん。神殿から通っておられる先生も、いないことはなかったですね。ただ、神殿というところはいろいろ規則の厳しいところなので。神官たちと同じ生活を続けるというのは……」
神殿住まいの神官たちの生活は質素でつつましいと決まっている。
たしか、就寝時間も厳格に決められていると聞いた。私は目の前に積まれた本の山を見た。これに目を通すためには徹夜しなければいけないだろうか。
「召使はいたほうがいいと思います。やはり一人暮らしの女性は不用心ですから……しかし、エレッタ先生、どういう手段でここに来られたのでしょう」
私はラーズ商会の車に乗ってきたのだと、説明した。それを聞いて、校長は複雑な表情を浮かべる。
「それは良かった、というべきでしょうか。何事もなく、安全に、送ってもらった? それは、それは……」
校長はしばらく考え込む。
「ラーズ商会はですね、あそこは人の紹介もしてくれるはず。あそこの会長は、癖はありますが信頼のおける男です。今まで何事もなかったのなら、まぁ、大丈夫でしょう」
含みのある言い方だった。
「と、とにかく、それはまた後にしましょう。いかがでしょう。顔合わせもかねて、一度生徒たちを指導してみられ ては?」
「そうですね。紹介だけなら……」
うまく丸め込まれたような気がする。
私は案内された部屋で、以前の教師が残した資料と格闘していた。
魔法の使える部屋にもかかわらず、床は紙だらけだ。
タブレットの映像も繰り返してみた。どうやら、何かの宣伝に使うための映像だったようで肝心のところが写されていない。
本当になんとかなるのだろうか。
お習字の教室だと思えばいい。そう、お習字だ。 私は自分に言い聞かせる。明日は自己紹介だけでいいといわれた。とりあえず、帝国の公式な歴史を記したといわれている本をもとに授業をしよう。
そこまで思い切るまでにずいぶん時間をかけてしまった。
あっという間に朝が来た。
仮眠をとったが、寝た気がしない。
鏡を見て、自分でもひどい顔だと思った。
朝、神殿の食堂に案内してくれた神官に心配されたほどだ。
神殿の食事は質素だった。でも、食事も食べられないほど緊張している私には薄いスープくらいがちょうどいい。
授業に備えて、髪を上げて、かかとの高い靴を履く。少しは大人に見えるだろうか。
学校は神殿の隣の建物だった。もとは軍の学校があったところらしい。今では一般に開かれて、子供から大人まで様々な年齢の人が通っているという。新兵らしき若い兵たちが訓練している横を通って、いやに騒がしい棟に案内される。
「ここですか?」
「ここです」
教室の外にまで中での大騒ぎが聞こえている。
いやだ。
今からでも帰りたい。反射的にそう思った。
でも、行くしかない。ここでやると決めたから、やる…… 深呼吸して扉を開けた。
目の前を何かが落ちていった。
扉の隙間に何かが挟んであったのだ。
私はその、何かわからないものを拾い上げる。
なんだろう? これは。
一瞬、教室が静まり返ってまた再び沸き立った。
「ちぇ」
「ダメじゃん」
「ばーか、ばーか」
私が教室に入ると、また、少し騒ぎが収まった。
「おい、おまえ、遅刻だぞ」
私と似た背の高さの子供が威圧するように前に立ちふさがった。
「おまえ、新入生か? 見ない顔だな」
「席に着きなさい」私は少年に命令する。「授業中でしょ」
「何を……おまえ、偉そうに……」
私は少年を押しのけるようにして教壇に立った……前が見えにくい。 仕方なく、そばにあった何かの箱を引き寄せて、その上に立つ。
「みなさん、お静かに」
「なんだ? お前」
権威的な振る舞いに子供たちはざわめく。
「静かに、席についてください」
「だから、なんだっていうんだよぉ。生意気だぞ」
先ほどの少年が私を引きずり降ろそうとした。私は毅然と手を払って見せた。
「私の名前はエレッタ・エル・カーセ。新しくここで教えることになった教師です、君の名前は?」
少年は驚いたようにエレッタを見て、しばらく上から下までみて、つぶやいた。
「うわぁ、小さい」
私の中で、何かが切れた。
「だ・か・ら、わたしは大人なんです。いいから、席について」
授業計画などくそくらえ。
私は後ろにある黒板に向き直ると、チョークとかいう筆記用具で自分の名前を大書した。
「私の名前はエレッタ・エル・カーセといいます。ここでは、帝国の歴史とちりを受け持つ予定です。今日は初めの授業ということで自己紹介をします。そこの」
私は右端前で足を机の上にあげている少年をさした。
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