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第五話「ひよりが隠していた“最後の記憶”」
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美咲が帰った夜。
リビングは静かで、空調の音だけが耳に残る。ひよりは、黙ってソファに座り、俺の横にいた。
「……さっきの、悪かったな」
「ううん。謝らなくていいです。美咲さんと律さんにも、大事な過去があったってこと……わかってたし」
ひよりはそう言いながら、ぎゅっと手を握ってきた。
その手が、わずかに震えていたのを、俺は見逃さなかった。
「……俺、少しだけ思い出したことがある」
「……!」
「“あの日”、たぶん俺……お前にプロポーズしたんだよな」
ひよりは目を見開いた。何かを飲み込むようにして、言葉を探している。
「……そう、です。でも……本当は……」
彼女は言葉を止めて、少し俯いた。そして、リビングの棚の引き出しから、ひとつの封筒を取り出した。
「これは……?」
「律さんが事故に遭う“前の日”に、私が受け取った手紙です。律さんが、こっそり書いて、こっそり渡してくれたの。……でも、まだ開けてないの」
「え?」
「事故のあと、もしもう律さんが記憶をなくしてしまったら……この手紙を、あなたの“新しい気持ち”を邪魔しちゃいけない気がして、ずっと読めなかった」
震える指で、ひよりはゆっくりと封筒を開けた。中から、一枚の便箋が出てくる。
彼女は深く息を吸い込んで、読み上げた。
---
「ひよりへ。
お前と出会って、全部が変わった。朝起きるのが楽しみになって、何気ない日常が宝物みたいになって。
たぶん、俺はあの日からずっと、お前に惹かれてたんだと思う。
美咲のことも、ちゃんと整理した。彼女は俺の“過去”だ。感謝もしてる。でも――
俺が“これから”を生きていきたいと思ったのは、お前だった。
だから、もしも明日が来るなら、ちゃんと言わせてくれ。
結婚してください。律より」
---
沈黙。
俺は、なぜか涙が出そうだった。まるで“過去の自分”が、今の俺に言っているような気がして。
「律さん……」
ひよりが、小さく微笑んだ。
「この手紙を読んで、もう迷わないって思った。たとえ律さんの記憶が全部戻らなくても、私は――何度だって、好きになるから」
「……ひより」
「だから、もう一度言わせてください。律さん、私と――」
そのときだった。
「待って、それ、私が先に言いたかった」
玄関が開き、美咲が立っていた。
――そうだ。彼女は合鍵を持っていたんだ。
場の空気が凍る。
「美咲……どうして……」
「ごめん。でも、私も引き下がれない。律くんのプロポーズ、あれ、私も聞いてたの。……偶然、その場にいたのよ」
「え?」
「その夜、私、言えなかった。“最後にもう一度だけ、好き”って伝えようとしたけど、律くんの気持ちがもう“彼女”にあるってわかって、黙って帰った。でも、まだ気持ちが残ってて……」
美咲はゆっくりと近づいてきた。
「もう一度だけ、聞かせて。律くん。あなたの心に今いるのは――どっち?」
――選べ。そう言われている気がした。
“記憶”じゃない。“今”の俺が、どうしたいのか。
答えは、もう決まっていた。
「俺は……」
俺は、ひよりの手を取って、まっすぐ言った。
「――俺は、ひよりと生きていきたい」
ひよりの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとう。律さん」
美咲は、一瞬だけ俯いたあと、ふっと笑った。
「……そっか。うん、納得した。あんな手紙、読まされちゃ、勝てないわけだ」
「美咲……」
「いいの。もう、ちゃんと終われたから。ありがとう、律くん」
美咲は、そっと背を向けて去っていった。
残された部屋には、静かに夏の風が吹き込んでいた。
――こうして、俺の“新しい日常”が、本当の意味で始まった。
(完)
リビングは静かで、空調の音だけが耳に残る。ひよりは、黙ってソファに座り、俺の横にいた。
「……さっきの、悪かったな」
「ううん。謝らなくていいです。美咲さんと律さんにも、大事な過去があったってこと……わかってたし」
ひよりはそう言いながら、ぎゅっと手を握ってきた。
その手が、わずかに震えていたのを、俺は見逃さなかった。
「……俺、少しだけ思い出したことがある」
「……!」
「“あの日”、たぶん俺……お前にプロポーズしたんだよな」
ひよりは目を見開いた。何かを飲み込むようにして、言葉を探している。
「……そう、です。でも……本当は……」
彼女は言葉を止めて、少し俯いた。そして、リビングの棚の引き出しから、ひとつの封筒を取り出した。
「これは……?」
「律さんが事故に遭う“前の日”に、私が受け取った手紙です。律さんが、こっそり書いて、こっそり渡してくれたの。……でも、まだ開けてないの」
「え?」
「事故のあと、もしもう律さんが記憶をなくしてしまったら……この手紙を、あなたの“新しい気持ち”を邪魔しちゃいけない気がして、ずっと読めなかった」
震える指で、ひよりはゆっくりと封筒を開けた。中から、一枚の便箋が出てくる。
彼女は深く息を吸い込んで、読み上げた。
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「ひよりへ。
お前と出会って、全部が変わった。朝起きるのが楽しみになって、何気ない日常が宝物みたいになって。
たぶん、俺はあの日からずっと、お前に惹かれてたんだと思う。
美咲のことも、ちゃんと整理した。彼女は俺の“過去”だ。感謝もしてる。でも――
俺が“これから”を生きていきたいと思ったのは、お前だった。
だから、もしも明日が来るなら、ちゃんと言わせてくれ。
結婚してください。律より」
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沈黙。
俺は、なぜか涙が出そうだった。まるで“過去の自分”が、今の俺に言っているような気がして。
「律さん……」
ひよりが、小さく微笑んだ。
「この手紙を読んで、もう迷わないって思った。たとえ律さんの記憶が全部戻らなくても、私は――何度だって、好きになるから」
「……ひより」
「だから、もう一度言わせてください。律さん、私と――」
そのときだった。
「待って、それ、私が先に言いたかった」
玄関が開き、美咲が立っていた。
――そうだ。彼女は合鍵を持っていたんだ。
場の空気が凍る。
「美咲……どうして……」
「ごめん。でも、私も引き下がれない。律くんのプロポーズ、あれ、私も聞いてたの。……偶然、その場にいたのよ」
「え?」
「その夜、私、言えなかった。“最後にもう一度だけ、好き”って伝えようとしたけど、律くんの気持ちがもう“彼女”にあるってわかって、黙って帰った。でも、まだ気持ちが残ってて……」
美咲はゆっくりと近づいてきた。
「もう一度だけ、聞かせて。律くん。あなたの心に今いるのは――どっち?」
――選べ。そう言われている気がした。
“記憶”じゃない。“今”の俺が、どうしたいのか。
答えは、もう決まっていた。
「俺は……」
俺は、ひよりの手を取って、まっすぐ言った。
「――俺は、ひよりと生きていきたい」
ひよりの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとう。律さん」
美咲は、一瞬だけ俯いたあと、ふっと笑った。
「……そっか。うん、納得した。あんな手紙、読まされちゃ、勝てないわけだ」
「美咲……」
「いいの。もう、ちゃんと終われたから。ありがとう、律くん」
美咲は、そっと背を向けて去っていった。
残された部屋には、静かに夏の風が吹き込んでいた。
――こうして、俺の“新しい日常”が、本当の意味で始まった。
(完)
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