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第二十五話
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店内は半分くらい客で満たされているだろうか。適度に忙しく、適度に楽ができる。バイト目線だとこのくらいが一番丁度良いんだよなぁ。
「……」
キッチンでは真凛が話しかけてこないでくださいオーラを全開にして鉄板から料理を皿に移し替えている。のだが、まだまだ生焼けのようで、皿を受け取った店長がそれとなく鉄板に戻していた。
先程からずっとこの調子で、真凛が中途半端に完成させた料理を店長が仕上げている。非効率にも程があると思うが、そもそも真凛はキッチンに入るのが初めてだし、店長も店長で顔を気持ち悪いくらいに綻ばせながらいつも以上に過敏な動きをしているからスルーしておこう。
「っと、お伺いいかないと。麗奈さーん」
先程の迷惑客から注文が入ったようだ。注文のお伺いのいろははしっかりと教えた事だし、今度は大丈夫だろう。
「……いってくる」
「あ、俺もいくよ」
むん、とやる気充分の麗奈さんについていく。さて、どうなるか…
「……お伺いします」
「えっと…串カツ4本とだし巻き玉子、あと枝豆と…」
一気に注文が入る。麗奈さんはハンディを使うのを諦め、メモに注文を記していく。構わず客は早口で注文を続けていくが、基本的にハイスペックの麗奈さんは全てを書ききれたようだ。問題はこの後。
「……ご注文を繰り返します」
背中の後ろでぐっとガッツポーズをする。麗奈さんは忘れずに注文を繰り返しているようだ。客は頬杖を突きながら気だるそうに麗奈さんの言葉を聞いている。注文が多ければ多いほど、当然繰り返しも長くなるが、これで先程のような事態は起こらないはず。
「……以上でよろしかったでしょうか」
「うん、はい、おっけーおっけー」
よしよし、完璧だ。あとは注文をハンディに入力するだけ。うんうん、この新人が成長していくのを見るの、教育係としては嬉しい事この上ない––––
「……それではもう一度ご注文を繰り返します」
あれぇ?麗奈さん?
困惑する俺と客をよそに、先ほどと全く同じ繰り返しを続ける。ようやく2度目の繰り返しを終え、ゆっくりと麗奈さんは頭を下げて机を離れ…
「……それではもう一度ご注文を繰り返します」
「ちょっと待って麗奈さん」
るようなことはせず、実に3度目となる繰り返しを行う。客の表情が少し険しくなったことに気付いたので間に入り半ば無理やり麗奈さんを下げる。
「…申し訳ありませんお客様!見ての通り彼女は新人ですので…今後もご迷惑をおかけしますが何卒よろしくお願いします!」
平謝りをすると客は行け、と手をシッシッとしてくる。客から離れたところでむすっとした麗奈さんに声をかける。
「繰り返し確認してとは言ったけど、確認するのは一回でいいからね?」
「……知ってる」
「なら良いんだけど…ってそうじゃなくて。それなら何であんな事したの?」
「……ムカつくから?」
「…疑問系なんだ」
珍しく端正な顔を歪めてイライラを露わにする麗奈さん。わざと何度も同じことをしたというわけか。
う~ん、あんまり強い言葉は使いたくないんだけど…
「ムカつくのは分かるけど、二度とああいう事はしないで欲しい」
「……なんで?」
「あくまで俺たちはもてなす側で、客はもてなされる側なんだよ。接客業なんだから、俺たちは最高のサービスを提供しなきゃいけないんだ」
「……でも流石にあれは許せない」
「あれより態度が酷いやつなんてごまんといるし、あの程度でイライラしちゃうならこの先やってけないよ」
「……」
麗奈さんは黙ってしまう。この様子だと、麗奈さんはバイトをすること自体が初めてなんじゃないだろうか。
仕事をすることは理不尽の連続だ。特に飲食店、俺たちのようにお酒も入る居酒屋なんかは。中には俺たちを同じ人間と思っていないかのように振る舞ってくる客もいる。ぐちぐちと不満を垂れ、怒りを露わに声を荒げられる。けれどその対応を間違わなければ、問題が大きくなることはない。そう考えると、今回の麗奈さんの態度はよろしくないのだ。それに…
「俺たちは所詮バイトだけどさ、そのバイトのせいで店の評価がだだ下がりしてしまうこともある。店長は俺たちがそんなことしないと信用して雇ってくれているわけだし、その期待を裏切るような真似はしたくないし、してほしくない」
…うちの店長は顔でバイトを選んでるっぽいけど。ちらっと店長を見ると、視線に気づいたのかこちらに軽く手をあげてくる。…うん、良い人に変わりはないし、一応信頼はしてくれているんだろう。多分…いやきっと。
「不満が溜まってるなら裏で俺を使って吐き出していいから、客の前でああいう態度は良くない。酷い客には店長呼べば一発で黙らせられるしね」
突然、麗奈さんがふっと笑った。麗奈さんは口元を押さえ首を傾げる。自分でもなんで笑ってしまったのか分かっていない様子だった。
「……っぱり、佐…寺くんは運…の人?」
「…え、ごめん、聞こえなかった」
俺の名前を言っていたような気もするけど、麗奈さんはふるふると首を振る。なんでもない、と言いたいんだろうけど…まぁいいか。とりあえず麗奈さんも分かってくれたようだし。
……忘れてた。もう一つ片付けなきゃならない大きな問題があるんだよな。
*
閉店間際になると客もバイトも減ってくる。ラストオーダーの時間が過ぎ、帰る客の会計を済ませ、締め作業を終えれば業務も終了。この締め作業がかなりめんどくさかったりするので、大抵の場合は30分から1時間くらいかかる。
本日締め作業を行うのは俺、店長、そして真凛の3人。…示し合わされたようなメンツだけど今回に限っては都合がいい。
「真凛、このゴミまとめて向こうに持ってってくれる?」
「……」
しかし肝心の真凛はこの様子で、かなり怒っている様子。こちらに目もくれずゴミをかっさらっていってしまう。
「あ、真凛ちゃん。こっちのゴミもよろしく」
「は~い」
店長の前ではいつもの真凛を見せているのが余計に傷つく。せめてなんで怒っているのか分かればいいんだけど…
真凛が床掃除を始めるタイミングを見計らってモップを手に近寄る。箒ではいたところをモップ掛けしていく算段だ。必然的に真凛に接近することができる。
俺の存在に気づいた真凛が眉を寄せ、目をキュッとつむりベッと舌を出してくる。…ここで可愛いなぁ真凛は、と頭を撫でれば許してくれるだろうか。あ、無理だ。真凛が俺と一定以上の距離を取ってる。普通に泣きそう。
「あの、真凛さん」
「つーん」
めげずに話しかけるも、ぷいっとそっぽを向いてしまう真凛。下手に出るのが悪いのかもしれない。ここは…
「なぁ真凛。今日のお前はらしくないよ。なんも考えずにへらへらしてる方が真凛らしいし、俺の前でも––」
「…らしくないって?」
「う、うん。だから…」
真凛の目がいつも以上に大きくなる。あ、やばいかも。
「らしくないのはせんぱいの方です!麗奈さんがいるからってへにゃへにゃして!あたしにどうこう言う前にまず自分を何とかしてください!」
乱暴に箒を振りながら怒りを爆発させる真凛。やってしまったな、これは。明らかに地雷を踏んでしまっている。
彼女が落ち着くまで待とうとするが、怒りが収まる様子はない。何かないかと周りを見渡すと、店長と目があった。
店長!助けてください!
目でそう訴えかける。これでも店長との付き合いは長い。きっと俺の意図を読み取って助け舟を出してくれるはず!さぁ店長!
「……」
店長は頑張れよと言うように親指を立て、えっと残ってる仕事はっと、とわざとこちらにきこえる声で呟きながら奥の方へ行ってしまった。
…あのバカ店長め。ノートに自分の苗字の後に真凛の名前を書き入れてニヤニヤしてたことを全バイトスタッフに告げ口してやるからな…
「…聞いてるんですかっ!せんぱい!」
「いや、もうすごい聞いてます。五臓六腑に真凛の声が響き渡っています」
適当にそう返すと脛辺りに箒を思い切りぶつけられる。ジンジンと痛むそこをさすりながら見上げると、真凛が見たこともない形相で立っていた。しまった、今は真凛との会話に集中しなければ。
それもこれも店長のせいだ。ネットから拾った成人式で着物をきた子と親の写真の顔の部分を、合成機能を使い真凛と店長の顔にすり替えて涙していたことも追加で全バイトスタッフに告げ口しなくては。
「…アタシ、せんぱいのこと普通に好きって言ったことありましたよね?」
「はい、そんなこと聞いた覚えあります」
「アタシが普通に好きなせんぱいは、優しくて気が利いて、すぐに手を出してくるけどそれもあったかいって思えるせんぱいなんです。だから今日のせんぱいは嫌いです!麗奈さんの様子を伺って、麗奈さんしか見てないせんぱいなんて大嫌いです!」
「…う」
言葉が詰まってしまった。麗奈さんとの会話に集中しすぎて、真凛の対応は適当になっていた。それどころか、思い上がって、助けを求めてきた真凛を冷たく突き放し、邪魔だと言ってしまった、
「…ごめん」
それしか言葉に出来ない。麗奈さんは新人で、俺が教育しなければならないが、だからといって他のバイトスタッフの事を無視していいわけではない。麗奈さんも真凛も他のスタッフも大事なバイト仲間なのだから。
「ほんと、ごめん。俺が悪かったよ。麗奈さんに仕事を教えるのでいっぱいいっぱいになってて、他の事に目を向けられてなかった」
「…教育係なのが原因じゃないでしょ」
「え?」
「麗奈さんが新人で入ってきたからじゃないんですか?」
麗奈さん相手以外にも、俺は教育係を受け持ってきた。けれどその時は今回のように、真凛に酷い対応をしてはいなかったはずだ。
では、なんで今回は?それは俺が麗奈さんの事を…
「…もう、いいです」
はぁ、と大きく真凛がため息をついた。何か言わないと、と思ってはいるのに、言葉が出なかった。真凛の目元に涙が溜まっていたからだ。
「…そういう事なんですね。せんぱいはアタシより麗奈さんなんですね。あぁ、そういうことなら分かりましたよ」
ポケットからおもむろにスマホを取り出し、何かを打ち始める真凛。数秒後、そのスマホの画面を俺に見せつけてくる。麗奈さんとのトーク画面のようだ。
『アタシ、負けませんから!』
「これはアタシから麗奈さんへの宣戦布告です!絶対、はるとせんぱいを振り向かせてみせますからね!」
目元を服の裾でごしごしと擦り、真っ赤な瞳を炎のように燃やす真凛。さっきまでの弱々しい真凛は消え、何かを決意したような表情をしていた。
…なんだかよく分からないけれど、怒りは治ったってことでいいのかな。
「はるとせんぱい!」
「は、はい、何でしょう真凛さん」
「早速行動にうつします!思い立ったが吉祥寺!」
「吉日だと思います真凛さん」
いつのまにか掃除を終えた真凛は、箒の柄の部分をこちらに突きつけてくる。
「アタシはすごく怒っています!せんぱいはそれを許してほしいと思っています!そうですね?」
圧力に押され、無言でこくこくと頷く。許してもらえるなら許してほしいのだけど…
「ならチャンスをあげます」
「チャンス?」
「はい。今日、せんぱいの家に泊めてください。そうしたら今日のことは許してあげます」
「……」
キッチンでは真凛が話しかけてこないでくださいオーラを全開にして鉄板から料理を皿に移し替えている。のだが、まだまだ生焼けのようで、皿を受け取った店長がそれとなく鉄板に戻していた。
先程からずっとこの調子で、真凛が中途半端に完成させた料理を店長が仕上げている。非効率にも程があると思うが、そもそも真凛はキッチンに入るのが初めてだし、店長も店長で顔を気持ち悪いくらいに綻ばせながらいつも以上に過敏な動きをしているからスルーしておこう。
「っと、お伺いいかないと。麗奈さーん」
先程の迷惑客から注文が入ったようだ。注文のお伺いのいろははしっかりと教えた事だし、今度は大丈夫だろう。
「……いってくる」
「あ、俺もいくよ」
むん、とやる気充分の麗奈さんについていく。さて、どうなるか…
「……お伺いします」
「えっと…串カツ4本とだし巻き玉子、あと枝豆と…」
一気に注文が入る。麗奈さんはハンディを使うのを諦め、メモに注文を記していく。構わず客は早口で注文を続けていくが、基本的にハイスペックの麗奈さんは全てを書ききれたようだ。問題はこの後。
「……ご注文を繰り返します」
背中の後ろでぐっとガッツポーズをする。麗奈さんは忘れずに注文を繰り返しているようだ。客は頬杖を突きながら気だるそうに麗奈さんの言葉を聞いている。注文が多ければ多いほど、当然繰り返しも長くなるが、これで先程のような事態は起こらないはず。
「……以上でよろしかったでしょうか」
「うん、はい、おっけーおっけー」
よしよし、完璧だ。あとは注文をハンディに入力するだけ。うんうん、この新人が成長していくのを見るの、教育係としては嬉しい事この上ない––––
「……それではもう一度ご注文を繰り返します」
あれぇ?麗奈さん?
困惑する俺と客をよそに、先ほどと全く同じ繰り返しを続ける。ようやく2度目の繰り返しを終え、ゆっくりと麗奈さんは頭を下げて机を離れ…
「……それではもう一度ご注文を繰り返します」
「ちょっと待って麗奈さん」
るようなことはせず、実に3度目となる繰り返しを行う。客の表情が少し険しくなったことに気付いたので間に入り半ば無理やり麗奈さんを下げる。
「…申し訳ありませんお客様!見ての通り彼女は新人ですので…今後もご迷惑をおかけしますが何卒よろしくお願いします!」
平謝りをすると客は行け、と手をシッシッとしてくる。客から離れたところでむすっとした麗奈さんに声をかける。
「繰り返し確認してとは言ったけど、確認するのは一回でいいからね?」
「……知ってる」
「なら良いんだけど…ってそうじゃなくて。それなら何であんな事したの?」
「……ムカつくから?」
「…疑問系なんだ」
珍しく端正な顔を歪めてイライラを露わにする麗奈さん。わざと何度も同じことをしたというわけか。
う~ん、あんまり強い言葉は使いたくないんだけど…
「ムカつくのは分かるけど、二度とああいう事はしないで欲しい」
「……なんで?」
「あくまで俺たちはもてなす側で、客はもてなされる側なんだよ。接客業なんだから、俺たちは最高のサービスを提供しなきゃいけないんだ」
「……でも流石にあれは許せない」
「あれより態度が酷いやつなんてごまんといるし、あの程度でイライラしちゃうならこの先やってけないよ」
「……」
麗奈さんは黙ってしまう。この様子だと、麗奈さんはバイトをすること自体が初めてなんじゃないだろうか。
仕事をすることは理不尽の連続だ。特に飲食店、俺たちのようにお酒も入る居酒屋なんかは。中には俺たちを同じ人間と思っていないかのように振る舞ってくる客もいる。ぐちぐちと不満を垂れ、怒りを露わに声を荒げられる。けれどその対応を間違わなければ、問題が大きくなることはない。そう考えると、今回の麗奈さんの態度はよろしくないのだ。それに…
「俺たちは所詮バイトだけどさ、そのバイトのせいで店の評価がだだ下がりしてしまうこともある。店長は俺たちがそんなことしないと信用して雇ってくれているわけだし、その期待を裏切るような真似はしたくないし、してほしくない」
…うちの店長は顔でバイトを選んでるっぽいけど。ちらっと店長を見ると、視線に気づいたのかこちらに軽く手をあげてくる。…うん、良い人に変わりはないし、一応信頼はしてくれているんだろう。多分…いやきっと。
「不満が溜まってるなら裏で俺を使って吐き出していいから、客の前でああいう態度は良くない。酷い客には店長呼べば一発で黙らせられるしね」
突然、麗奈さんがふっと笑った。麗奈さんは口元を押さえ首を傾げる。自分でもなんで笑ってしまったのか分かっていない様子だった。
「……っぱり、佐…寺くんは運…の人?」
「…え、ごめん、聞こえなかった」
俺の名前を言っていたような気もするけど、麗奈さんはふるふると首を振る。なんでもない、と言いたいんだろうけど…まぁいいか。とりあえず麗奈さんも分かってくれたようだし。
……忘れてた。もう一つ片付けなきゃならない大きな問題があるんだよな。
*
閉店間際になると客もバイトも減ってくる。ラストオーダーの時間が過ぎ、帰る客の会計を済ませ、締め作業を終えれば業務も終了。この締め作業がかなりめんどくさかったりするので、大抵の場合は30分から1時間くらいかかる。
本日締め作業を行うのは俺、店長、そして真凛の3人。…示し合わされたようなメンツだけど今回に限っては都合がいい。
「真凛、このゴミまとめて向こうに持ってってくれる?」
「……」
しかし肝心の真凛はこの様子で、かなり怒っている様子。こちらに目もくれずゴミをかっさらっていってしまう。
「あ、真凛ちゃん。こっちのゴミもよろしく」
「は~い」
店長の前ではいつもの真凛を見せているのが余計に傷つく。せめてなんで怒っているのか分かればいいんだけど…
真凛が床掃除を始めるタイミングを見計らってモップを手に近寄る。箒ではいたところをモップ掛けしていく算段だ。必然的に真凛に接近することができる。
俺の存在に気づいた真凛が眉を寄せ、目をキュッとつむりベッと舌を出してくる。…ここで可愛いなぁ真凛は、と頭を撫でれば許してくれるだろうか。あ、無理だ。真凛が俺と一定以上の距離を取ってる。普通に泣きそう。
「あの、真凛さん」
「つーん」
めげずに話しかけるも、ぷいっとそっぽを向いてしまう真凛。下手に出るのが悪いのかもしれない。ここは…
「なぁ真凛。今日のお前はらしくないよ。なんも考えずにへらへらしてる方が真凛らしいし、俺の前でも––」
「…らしくないって?」
「う、うん。だから…」
真凛の目がいつも以上に大きくなる。あ、やばいかも。
「らしくないのはせんぱいの方です!麗奈さんがいるからってへにゃへにゃして!あたしにどうこう言う前にまず自分を何とかしてください!」
乱暴に箒を振りながら怒りを爆発させる真凛。やってしまったな、これは。明らかに地雷を踏んでしまっている。
彼女が落ち着くまで待とうとするが、怒りが収まる様子はない。何かないかと周りを見渡すと、店長と目があった。
店長!助けてください!
目でそう訴えかける。これでも店長との付き合いは長い。きっと俺の意図を読み取って助け舟を出してくれるはず!さぁ店長!
「……」
店長は頑張れよと言うように親指を立て、えっと残ってる仕事はっと、とわざとこちらにきこえる声で呟きながら奥の方へ行ってしまった。
…あのバカ店長め。ノートに自分の苗字の後に真凛の名前を書き入れてニヤニヤしてたことを全バイトスタッフに告げ口してやるからな…
「…聞いてるんですかっ!せんぱい!」
「いや、もうすごい聞いてます。五臓六腑に真凛の声が響き渡っています」
適当にそう返すと脛辺りに箒を思い切りぶつけられる。ジンジンと痛むそこをさすりながら見上げると、真凛が見たこともない形相で立っていた。しまった、今は真凛との会話に集中しなければ。
それもこれも店長のせいだ。ネットから拾った成人式で着物をきた子と親の写真の顔の部分を、合成機能を使い真凛と店長の顔にすり替えて涙していたことも追加で全バイトスタッフに告げ口しなくては。
「…アタシ、せんぱいのこと普通に好きって言ったことありましたよね?」
「はい、そんなこと聞いた覚えあります」
「アタシが普通に好きなせんぱいは、優しくて気が利いて、すぐに手を出してくるけどそれもあったかいって思えるせんぱいなんです。だから今日のせんぱいは嫌いです!麗奈さんの様子を伺って、麗奈さんしか見てないせんぱいなんて大嫌いです!」
「…う」
言葉が詰まってしまった。麗奈さんとの会話に集中しすぎて、真凛の対応は適当になっていた。それどころか、思い上がって、助けを求めてきた真凛を冷たく突き放し、邪魔だと言ってしまった、
「…ごめん」
それしか言葉に出来ない。麗奈さんは新人で、俺が教育しなければならないが、だからといって他のバイトスタッフの事を無視していいわけではない。麗奈さんも真凛も他のスタッフも大事なバイト仲間なのだから。
「ほんと、ごめん。俺が悪かったよ。麗奈さんに仕事を教えるのでいっぱいいっぱいになってて、他の事に目を向けられてなかった」
「…教育係なのが原因じゃないでしょ」
「え?」
「麗奈さんが新人で入ってきたからじゃないんですか?」
麗奈さん相手以外にも、俺は教育係を受け持ってきた。けれどその時は今回のように、真凛に酷い対応をしてはいなかったはずだ。
では、なんで今回は?それは俺が麗奈さんの事を…
「…もう、いいです」
はぁ、と大きく真凛がため息をついた。何か言わないと、と思ってはいるのに、言葉が出なかった。真凛の目元に涙が溜まっていたからだ。
「…そういう事なんですね。せんぱいはアタシより麗奈さんなんですね。あぁ、そういうことなら分かりましたよ」
ポケットからおもむろにスマホを取り出し、何かを打ち始める真凛。数秒後、そのスマホの画面を俺に見せつけてくる。麗奈さんとのトーク画面のようだ。
『アタシ、負けませんから!』
「これはアタシから麗奈さんへの宣戦布告です!絶対、はるとせんぱいを振り向かせてみせますからね!」
目元を服の裾でごしごしと擦り、真っ赤な瞳を炎のように燃やす真凛。さっきまでの弱々しい真凛は消え、何かを決意したような表情をしていた。
…なんだかよく分からないけれど、怒りは治ったってことでいいのかな。
「はるとせんぱい!」
「は、はい、何でしょう真凛さん」
「早速行動にうつします!思い立ったが吉祥寺!」
「吉日だと思います真凛さん」
いつのまにか掃除を終えた真凛は、箒の柄の部分をこちらに突きつけてくる。
「アタシはすごく怒っています!せんぱいはそれを許してほしいと思っています!そうですね?」
圧力に押され、無言でこくこくと頷く。許してもらえるなら許してほしいのだけど…
「ならチャンスをあげます」
「チャンス?」
「はい。今日、せんぱいの家に泊めてください。そうしたら今日のことは許してあげます」
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