紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く

やしろ

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その意味に惑う

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 十二年目の中頃、状況が急変した。 
 隣国の内戦はいよいよ激しくなって、難民問題も大分と深刻になって来た。それは概ね狙い通りだから、特にこちらとしてダメージを受けているという事はない。それでも何が起こっても良いようには、状況を注視していた。 
 その上で東にも西にもくみしない中立派を口説いて、瑞穂の国に内応を約束させてるなど暗躍していたのだ。 
 もう中立派は兄弟のどちらにも失望している。だから瑞穂の国に早く進軍してほしいという者さえあったが、それでも中立派の中で最大戦力を持つ大貴族がこちらに寝返らなければ、うちとしては夥しい犠牲が出る恐れがあって手が出せない。 
 瑞穂の国としてはその大貴族を寝返らせることが急務であった。しかし相手も隣国を長年守って来た大貴族。現状がどうあれ簡単に国は捨てられないと見えて、中々交渉のテーブルにもついて貰えなかったのだ。 
 が、その相手が急に「寝返っても良い」と言い出した。そして交渉相手に何故か俺を指名している。 
 訳も意味も解らずに交渉に赴いた俺は驚いた。 
 指定された交渉場所は花街で、交渉相手として待っていたのは、俺の失敗した初体験の相手を務めてくれたオネエサンと好々爺然とした髭の長い爺さんだったからだ。 

「え? なんでっすか?」 
「ああ、わたし流れだから」 
「や、そうじゃなくて」 
「うん? ああ、誰か瑞穂の国で信用の出来る軍人はしらないかってご隠居さんに聞かれたから、アナタの勃たなかった話をしたのよ。そしたら……」 

 ころころと笑うオネエサンに、好々爺然とした爺さんも髭を揺らして笑う。そんなことで交渉相手を選んでええんか……。思わず半眼になると、爺さんは笑いを収めて、俺に向き直った。 

「太夫からお前さんの話を聞いての。そんだけ惚れ込む上司とはどんな御方かと思っての」 
「はあ……。って言っても、俺、オネエサンに誰の部下なんて言わなかった気がするんすけど?」 
「ああ、だってアナタ、読売に載ってたもの。上司の紅緒サマと一緒に赤ん坊抱いてたじゃない?」 
「あー……ぬかった」 
「お蔭でワシは面白い話が聞けたがの」 

 オネエサンと爺さんは実に面白そうな顔をして俺を見る。その目は面白い玩具でも見つけた子どものように光っていて。 
 俺は観念して、ドカッと二人の前で胡坐を汲んだ。 

「さて、じゃあ、何から御聞かせしたらいいっす?」 
「そうねぇ、ご隠居どうします?」 
「うむ、まずは馴れ初めと行こうかの? それからひととなりやら、ご容姿もお前さんの感想を詳しく」 
「おし、解った。アンタら二人とも今日は寝かさねえからな……?」 

 ニィっと唇を吊り上げると俺は、出された酒に口づける。それからずっと俺のターンとばかりに紅緒様との出会いから過ごした年月、紅緒様の凄い所やその姿かたち、心映えの美しさや危うさ、俺が好きだと思う紅緒様の仕草に、好きな食べ物や生き物の話。とにかくいかに紅緒様が素晴らしくて、傍にいられることが幸せかを、本当に徹夜で語って見せたのだった。 
 で。 
 翌々日、いきなり大貴族から「事が起これば紅緒様の麾下にはせ参じる」と内応を約束した署名入りの書簡が紅緒様の元に届いた。 

「出穂、これ……『素晴らしい一夜だった』って何だ?」 
「あー……なんつうか……何だろう?」 
「私には言えないことか?」 
「や、そういう事じゃないっす。その…」 

 首を傾げる紅緒様に、俺が呼ばれた経緯を交えながら事の顛末をお話しすると、紅緒様はご納得くださった。 
 だけどそれだけで済まないのが役所というか、軍部というところで。結局俺は自分が呼ばれた経緯──勃たなくて初体験失敗したことや、それが縁で大貴族の爺さんに呼ばれたこと、そして一晩中俺が個人的に好きな紅緒様の仕草や何やかやを語った事を報告書として提出させられたのだ。 
 それは良い。どんなことであれ紅緒様のお役に立てたのだから構わない。 
 しかし、問題はこれで俺が昇進する運びになったことだ。経緯が経緯だけに恥ずか死ねる。 
 おまけにこれは結構な貢献だそうで、賞状を授与されることになったのだから堪らない。しかも割とお偉いさんが集まる席で、だそうな。これは俺の階級が結構高いせいらしい。 
 その賞状の授与式の日取りが近づくにつれて、廊下で俺とすれ違う高級士官達から生ぬるい視線を向けられる事が増えた。だけでなく、なんか知らんが「本命とするときは頑張れよ」とか言ってくるやつも出て来た。 
 俺はそれに対して乾いた笑いを返すのが精一杯で。 
 もういっそ殺せと思い始めた頃、紅緒様が俺に長細い箱を一つ下さった。 

「昇進祝いだ」 
「え? や、でも……」 
「お前がいなければ此度の事はならなかった。その……個人的な事で揶揄されるのは良い気分じゃないだろうが、私はお前の活躍が嬉しいよ」 
「俺は紅緒様のお役に立つなら……、まあ、何にも知らない奴に揶揄われるのはイラつきますけど」 
「うん。今度イラついた時はそれを見て気持ちを収めてくれ」 

 そう言われて開けた箱の中身は、上等な腕時計で。  
 紅緒様の御髪と同じ色の文字盤に金の針、ベルトは黒のそれを取り出すと紅緒様自ら、俺の手首に巻き付けてくださった。 

「ありがとうございます。光栄っす」 
「うん。似合ってる」 

 仄かに微笑む紅緒様のお顔を見ていると、気分が上を向くから俺も現金なヤツだ。 
 それから数日後、無事に賞状の授与式を終わらせて、俺はお礼がてら紅緒様に持たされた菓子を手土産に、オネエサンに会いに行った。 
 菓子は流行りの蜂蜜の入ったカステラで、フワフワとした食感が大うけなんだそうな。 
 部屋へと通されてそれを渡すと、オネエサンは赤い唇を上げて「ふふ」と笑う。 

「この間はありがとう、ネエサン」 
「ううん、わたしこそイイお話を聞かせてもらったし」 
「そうかい?」 
「ええ。こんな商売をしてるとねぇ、アナタと紅緒サマみたいな甘酸っぱい話が聞きたくなるのよぉ」 
「甘酸っぱい?」 

 なんのこっちゃと、俺は首を捻る。俺がしたのは紅緒様と俺がどんな風に過ごして来て、紅緒様がどれほど素晴らしかの話だったはずだ。 
 首をしきりに捻る俺に、オネエサンの目が細まる。そして、ふと俺の手首の辺りで視線を止めて、オネエサンは笑みを深めた。 

「あら、新しい時計?」 
「うん? ああ、貰ったんだ」 
「もしかして……紅緒サマ?」 
「おう、よく解ったな?」 

 尋ねると、オネエサンがころころと声を上げて笑う。 
 何がそんなにおかしいのかは分からないが、それでも揶揄うようなそんな嫌な雰囲気は感じないからそのままに任せていると、気が済んだのかオネエサンが良い笑顔で俺を見た。 

「もう、いやぁねぇ。出穂さんたら……隅に置けないんだから」 
「うん?」 
「ご隠居さんにお話しすることが増えたじゃないのよ」 
「へ?」 

 オネエサンの言葉の意味が解らなくてキョトンとした顔をすると、彼女の唇が三日月の形に歪む。 
 衣擦れの音をさせてオネエサンは俺に近づくと、柔らかで艶めいた仕草で俺の腕を指差した。 

「腕時計を贈り物にするのはね、『勤勉に取り組むように』って意味があるんですって」 
「へえ、そうなのか」 
「でもそれだけじゃないのよ?」 
「うん?」 
「『同じ時を過ごしたい』っていうのもあるし、『離れても同じ時を生きてる』っていう意味もあるらしいんだけど」 
「そうなのか」 
「ええ、そうなの。でもね『貴方の時を縛りたい、貴方を縛りたい』っていうのもあるわ」 
「は? え? そ、そうなのか!?」 

 驚いて時計を見る。 
 紅緒様が俺と一緒の時を過ごしたいとか、離れても同じ時を生きたいと思ってくれるのは嬉しい。 
 でも縛りたいっていうのは……? 

「嫌?」 
「じゃねぇから、困るんだよ!」 

 もしもあの方が俺を縛りたいと仰るなら、俺は一も二もなく頷くだろう。 
 でもそれなら俺だって紅緒様を……。 
 そこまで考えた瞬間、脳裏に縄を掛けられて俺の膝に座る紅緒様が浮かんで、俺の鼻から血が滴り落ちた。
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