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雨飾の森
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ドアの前で握りこぶしを持ち上げて、下ろす。そんなことを三回繰り返した。
「おい、早く入ろうぜ」
ブレンダが急かしてくるけれど。
このドアの向こうに魔女がいる。
そう考えると体が竦んでしまう。
本の挿絵にあった魔女の姿を思い出す。黒ずくめで、大きくて、蜘蛛のような手足をしていて、人間の子供を丸呑みにしてしまう魔女の姿。
歩いている間は必死だったから余計なことを考えなくて済んだけど、こうしていざ目の前に現実のものとして迎えると、色々な記憶が体の邪魔をしてくる。
けれど、それはそれとして――寒さのせいで震えが止まらない。
お腹の底にわだかまる恐怖心に生存本能が勝った。
コンコン
意を決してノックする。
……体を固くして待つけれど、誰も出て来ない。物音もしない。
今度はもう少し強くノックしてみる。
やっぱり反応なし。
「留守、なのかな……」
「じゃあ中に入ろう」
「勝手に?」
「ここまで来て、ドアの前で凍死なんてバカみたいだろ」
人の家に勝手に入るなんて! と思うものの、ブレンダの言うことももっともだ。
もう一度覚悟を決めて、取っ手を掴んで押せば、思った以上に簡単にドアは開いた。
外から見た印象の通り、中はあまり広くない。明かりがないため外よりいっそう暗く、所狭しといろいろな物が並べられている。棚には本や、瓶や、乾燥させた植物のようなものも。
ドアに手のひらをつけたまま、入り口から差し込む光を頼りに室内を見回していたら、不意に視界の中で何かが動いた。
それが何であるかを理解する前に。
一対の銀色と目が合った。
「あ……」
私が言葉を絞り出すより先に突然部屋が明るくなった。天井から提げられたランプに光が灯り、室内を、部屋の主を映し出す。
その存在に気付けなかったのはソファの背もたれがこちらを向いていたからだ。そこに腰掛けていた人物は、ゆっくりとした動作で立ち上がり、私の方へと近付いて来る。
口が開けっ放しになっていることを自覚するのに時間がかかった。
彼は――男性だった――今まで見たことのないほど背が高かった。お父様よりも、使用人よりも、過去に出会った他の誰よりも。それでいて体つきは細く、巨漢、という印象はない。そして何より、彼は、見上げるほどの高さから私を見下ろすその人は、見たことのないほど美しい顔立ちをしていた。
長く艶やかな銀色の髪、妖しげな光を宿す銀色の瞳。肌は透けるように白く、ほっそりとした顎、形の良い唇、が言葉を紡ぐ。
「誰だ?」
低く落ち着きのある声だった。呆然と見惚れていた私は慌てて頭を下げる。
「勝手に入ってしまって申し訳ありません。あの、ここは魔女様のお屋敷ではありませんか?」
この男性は誰だろう、魔女の屋敷だとすっかり思い込んでいたけれど、そもそも間違いだったのでは?
私の疑問には簡潔な答えが返された。
「ああ、ここは魔女の家で、俺が雨飾の魔女だ」
『えっ!』
予想外のことに、私の肩に隠れていたブレンダも同時に驚きの声を上げた。
「何だ、魔女の家だと思って訪ねて来たんだろう」
「あの……魔女様は、女性ではないのですか?」
「大抵はな。だが俺のようなのもいなくはない。俺に言わせれば――」
銀色の目がじっと私の肩口を見据える。
「――妖精を連れてる人間の方がよっぽど珍しく思えるがな」
視界の外でひゃ、と小さな悲鳴が聞こえた。ブレンダが身を小さくした気がする。
すごい。もしかしたらとは思っていたけど、魔女様には妖精が見えるんだ。
私以外で、この小さな親友の姿が見える人に会ったのはこれが初めてだった。それだけで一気に、この男性が「雨飾の魔女」だということが現実味を帯びてくる。
ああ、そんなことに感動している場合じゃない。この人が魔女様だというなら私は私の務めを果たさなければ。
先ほどよりも丁寧に礼をして。
「お目にかかれて光栄です、雨飾の魔女様。
わたくしはカリス領を治めるシルヴェンス家の娘、マーシャ・シルヴェンスと申します。
盟約に従い、魔女様のもとへ参じました」
心の中で何度も練習した台詞を言い終え、頭を下げたまま待つことしばし。
……何のお言葉もないので頃合いを見て顔を上げると、魔女様は何とも怪訝な表情で私を見下ろしていた。
「何の話だ?」
「……え?」
「盟約、ってのにどうも覚えがないが」
「そんな!」
そんなはずがない。私は小さな頃から何度も何度も、数えきれないくいらいに言い聞かされてきたんだから。
「盟約です、300年前に結ばれた。100年に一度年若い娘を贄に差し出せば、魔女様はこの森に留まり外の人々に手出しをしないと」
「待て、待て」
私の必死の説明は魔女様の大きな手のひらで遮られた。
「贄……贄な……」
何やらぶつぶつ言って、それから大きなため息。
「……なるほど、おおよそは理解した。詳しい話は後だ。お前、森を歩いて来たのか。そんななりじゃあ冷えただろう」
魔女様はテーブルの上から細い棒のようなものを取り上げ、その先を部屋の隅の暖炉へ向けた。次の瞬間、火の気配などなかったはずの暖炉に、暖かな火が燃え盛った。
魔法だ!
人が魔法を使うところを見たことはあるけど、もっと道具や魔方陣をたくさん準備して、それでももっと小さな魔法を発動するのがやっとだった。
魔女は人間より遥かに強力な魔法が使える、確かにそう本には書いてあったけど、こうやって目の当たりにすると違いがはっきり分かる。
「そこに座ってな。あとは、何か温かいものでも飲むか」
「い、いえ、そんな、私のことなんてお気になさらず」
語尾にきゅううと細く高い音が重なった。
……私のお腹の音だ。
「おい、早く入ろうぜ」
ブレンダが急かしてくるけれど。
このドアの向こうに魔女がいる。
そう考えると体が竦んでしまう。
本の挿絵にあった魔女の姿を思い出す。黒ずくめで、大きくて、蜘蛛のような手足をしていて、人間の子供を丸呑みにしてしまう魔女の姿。
歩いている間は必死だったから余計なことを考えなくて済んだけど、こうしていざ目の前に現実のものとして迎えると、色々な記憶が体の邪魔をしてくる。
けれど、それはそれとして――寒さのせいで震えが止まらない。
お腹の底にわだかまる恐怖心に生存本能が勝った。
コンコン
意を決してノックする。
……体を固くして待つけれど、誰も出て来ない。物音もしない。
今度はもう少し強くノックしてみる。
やっぱり反応なし。
「留守、なのかな……」
「じゃあ中に入ろう」
「勝手に?」
「ここまで来て、ドアの前で凍死なんてバカみたいだろ」
人の家に勝手に入るなんて! と思うものの、ブレンダの言うことももっともだ。
もう一度覚悟を決めて、取っ手を掴んで押せば、思った以上に簡単にドアは開いた。
外から見た印象の通り、中はあまり広くない。明かりがないため外よりいっそう暗く、所狭しといろいろな物が並べられている。棚には本や、瓶や、乾燥させた植物のようなものも。
ドアに手のひらをつけたまま、入り口から差し込む光を頼りに室内を見回していたら、不意に視界の中で何かが動いた。
それが何であるかを理解する前に。
一対の銀色と目が合った。
「あ……」
私が言葉を絞り出すより先に突然部屋が明るくなった。天井から提げられたランプに光が灯り、室内を、部屋の主を映し出す。
その存在に気付けなかったのはソファの背もたれがこちらを向いていたからだ。そこに腰掛けていた人物は、ゆっくりとした動作で立ち上がり、私の方へと近付いて来る。
口が開けっ放しになっていることを自覚するのに時間がかかった。
彼は――男性だった――今まで見たことのないほど背が高かった。お父様よりも、使用人よりも、過去に出会った他の誰よりも。それでいて体つきは細く、巨漢、という印象はない。そして何より、彼は、見上げるほどの高さから私を見下ろすその人は、見たことのないほど美しい顔立ちをしていた。
長く艶やかな銀色の髪、妖しげな光を宿す銀色の瞳。肌は透けるように白く、ほっそりとした顎、形の良い唇、が言葉を紡ぐ。
「誰だ?」
低く落ち着きのある声だった。呆然と見惚れていた私は慌てて頭を下げる。
「勝手に入ってしまって申し訳ありません。あの、ここは魔女様のお屋敷ではありませんか?」
この男性は誰だろう、魔女の屋敷だとすっかり思い込んでいたけれど、そもそも間違いだったのでは?
私の疑問には簡潔な答えが返された。
「ああ、ここは魔女の家で、俺が雨飾の魔女だ」
『えっ!』
予想外のことに、私の肩に隠れていたブレンダも同時に驚きの声を上げた。
「何だ、魔女の家だと思って訪ねて来たんだろう」
「あの……魔女様は、女性ではないのですか?」
「大抵はな。だが俺のようなのもいなくはない。俺に言わせれば――」
銀色の目がじっと私の肩口を見据える。
「――妖精を連れてる人間の方がよっぽど珍しく思えるがな」
視界の外でひゃ、と小さな悲鳴が聞こえた。ブレンダが身を小さくした気がする。
すごい。もしかしたらとは思っていたけど、魔女様には妖精が見えるんだ。
私以外で、この小さな親友の姿が見える人に会ったのはこれが初めてだった。それだけで一気に、この男性が「雨飾の魔女」だということが現実味を帯びてくる。
ああ、そんなことに感動している場合じゃない。この人が魔女様だというなら私は私の務めを果たさなければ。
先ほどよりも丁寧に礼をして。
「お目にかかれて光栄です、雨飾の魔女様。
わたくしはカリス領を治めるシルヴェンス家の娘、マーシャ・シルヴェンスと申します。
盟約に従い、魔女様のもとへ参じました」
心の中で何度も練習した台詞を言い終え、頭を下げたまま待つことしばし。
……何のお言葉もないので頃合いを見て顔を上げると、魔女様は何とも怪訝な表情で私を見下ろしていた。
「何の話だ?」
「……え?」
「盟約、ってのにどうも覚えがないが」
「そんな!」
そんなはずがない。私は小さな頃から何度も何度も、数えきれないくいらいに言い聞かされてきたんだから。
「盟約です、300年前に結ばれた。100年に一度年若い娘を贄に差し出せば、魔女様はこの森に留まり外の人々に手出しをしないと」
「待て、待て」
私の必死の説明は魔女様の大きな手のひらで遮られた。
「贄……贄な……」
何やらぶつぶつ言って、それから大きなため息。
「……なるほど、おおよそは理解した。詳しい話は後だ。お前、森を歩いて来たのか。そんななりじゃあ冷えただろう」
魔女様はテーブルの上から細い棒のようなものを取り上げ、その先を部屋の隅の暖炉へ向けた。次の瞬間、火の気配などなかったはずの暖炉に、暖かな火が燃え盛った。
魔法だ!
人が魔法を使うところを見たことはあるけど、もっと道具や魔方陣をたくさん準備して、それでももっと小さな魔法を発動するのがやっとだった。
魔女は人間より遥かに強力な魔法が使える、確かにそう本には書いてあったけど、こうやって目の当たりにすると違いがはっきり分かる。
「そこに座ってな。あとは、何か温かいものでも飲むか」
「い、いえ、そんな、私のことなんてお気になさらず」
語尾にきゅううと細く高い音が重なった。
……私のお腹の音だ。
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