雨飾の森の魔女

本谷紺

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雨飾の森

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 人にお腹の音が聞かれるなんてとんでもなく恥ずかしいことなのに、よりによって、よりによってこんな時に!
 冷えていた頬が一気に熱くなる。

「そういえば、一日歩きっぱなしで何にも食ってなかったもんな」

 ブレンダの何気ないフォローがむしろ追い打ちになる。お腹空いてるって話をしちゃったらもうごまかせないじゃない! ……どっちにしろ手遅れだろうけど。

「……っふ、ふふ」

 堪えかねたかのように魔女様が声を漏らした。小さく肩を震わせて、笑っている。
 魔女様って笑うんだ。

「悪い。そうだな、飯か……あいにくまともな食料がなくてな。ちょっと時間をもらうぞ」
「いえ、あの」
「そこに」

 さっき座っていろと言われたソファを指されると、応える間もなく足が勝手に動き出した。私の意思に反してくるりと体を反転させ、一歩一歩と進んでいく。そのまますとんとソファに腰を下ろした。
 暖炉の熱が届いてくる。
 あったかい。

「ゆっくり待っててくれ」

 そう言い残して、魔女様は外へ出て行った。ばたんとドアの閉まる音がするのと同時に、体を縛っていた力が消えたのが分かる。

 今のは……私の体に魔法をかけられたってことなのかな。

 体の自由が利かないというのは恐ろしいことのはずなのに、不思議と恐怖はなかった。私の肝が据わっているというより、予想外の展開に頭が追いついていないだけだと思う。まだ、色んなことに実感がないのだから。

 ドアの方へ様子を見に行っていたブレンダが、ふわふわと戻ってきて私の膝の上に着地した。

「なんか、案外怖い奴じゃなかったな」
「そうだね」

 魔女の家に足を踏み入れたら、私なんてすぐに食べられちゃうと思ってた。

 ……とはブレンダには言えない。
 私は彼に、「命を助けてもらえるようどうにか魔女様を説得する」と言ってここまで来たんだから。
 そんなこと彼には絶対に言えない。怒らせてしまう、悲しませてしまう。
 自分の命なんて本当はとうに諦めていたなんて絶対に言えない。

 暖炉にあたりながら、ぺこぺこのお腹と疲れ切った足を休めていると、ここまでにあった色々なことが思い出されてくる。



 レイワード王国の国民なら誰でも知ってる古いお話。
 かつて、雨飾の森に棲む魔女が、国中に邪悪な呪いを振り撒いていた。
 恐ろしい力を持つ魔女に、人々は為すすべもなく苦しむだけだった。
 そんな中、ついに立ち上がったのが、勇将としても名を馳せていたジャリッド王子だ。
 王子は精鋭たちを引き連れ、森へと踏み入った。
 森に仕掛けられた数々の魔法罠を乗り越え、奥へ奥へと進む王子たち。
 しかしついに対面した魔女はあまりに強力で、若き兵士がその手に捕らえられてしまう。
 魔女は、恐ろしいことに、生きたままその兵士の血肉を喰らい、怒りに震える王子にこう告げた。

『人間の王子よ。お前の勇猛な戦いぶりに免じて、人間に手出しするのはやめてやろう』
『その代わり、100年に一度、私に贄を差し出すのだ。この男よりも、もっと若い、穢れを知らぬ高貴な血筋の女が良い』
『決して忘れるな、私はこの森で贄を待っているぞ』

 こうして盟約は結ばれた。100年に一人の犠牲を払うことで、多くの国民たちに平和が約束されたのだ。

 魔女の望んだ通り、贄は血筋の確かな若い女でなければならない。
 200年前にはライアン領領主が。
 100年前にはルマン領領主が、己の娘を差し出した。
 そして今年は我がカリス領の番。

 今年18になったお姉様は、近く婿を招いて家を継がなければならない方。
 私は――お姉様の四年後に、贄となるために生まれた二番目の娘。

 何不自由なく育てられた。

『魔女様は穢れのない娘をお望みだ』

 14年間幸せだった。

『いらぬことは教えるな』

 領民のため、国民のため、この命を捧げられるなら本望。

『あの子でよかった』

 そのためだけに生まれてきたんだもの。

『妖精が見えるだなんて、頭がどうかしている』

 それ以外は望まれていないもの。

 誰にも、ブレンダ以外、誰にも私の未来なんて、望まれていないんだから。


 重たい雲が空を覆う朝、カリス領から同行してくれた護衛たちに見送られて森へと入った。
 お父様もお母様もお姉様もそこにはいない。
 屋敷を出る時にも姿さえ見せてくれなかった。

 私は魔女様に会うために歩いて、体が冷えていく中懸命に歩いて、こんなところで死にたくないと思いながら、殺されるために歩いて、それで、ここまで。


 ――いいにおいがする。
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