ある平凡な姉の日常

本谷紺

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春、三の月

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「オレがですか?! 無理ですよ!」
 ぶんぶんと顔の前で手を振って否定する。彼にしては珍しいほど動揺があらわだ。
 私たちが音楽祭の話をしている間、ラスティはずっと沈黙を保っていた。私たちの会話を邪魔しないように、というわけではなく、単にこの話題に関心がないのだ。
 彼は幼い頃からずっとそうだった。音楽というものに興味がない。ついでに言えば、絵画にも、装飾にも、いわゆる芸術と呼ばれるもの全般に興味がない。言葉遣いやテーブルマナーだって、バーウィッチ家の召使という立場がなければ気にも留めていなかっただろう。そういう少年なのだ。
「そこは私に考えがありますの」
 自信ありげなエリィに率いられ、私たちは邸内へと場所を移す。
 制服のまま三人でソファに腰を下ろし、話を続ける。
「確かにラスティには音楽の素養はありません。けれど体を使うことに関しては一級品でしょう? ですから、お姉様の演奏に合わせての舞踊というのはいかがかしら」
「ぶよう……」
 ラスティは何とも情けない顔をしている。幼い頃、お父上に叱られている時に見せていた顔を思い出す。
「いや、無理ですって。ダンスなんてろくに経験ありませんよ」
「ダンスを芸術だと思うからいけませんのよ。音に合わせて、決まったところで決まった振りをこなす。得意分野でしょう?」
「なるほど」
 予想外の提案だったけれど、言われてみれば確かに。
 表現のためのダンスは彼には難しいだろう。しかし決まった振りを順に披露するという考え方ならば、彼以上の適任はない。
 もちろん音楽に合わせるという行為には慣れが必要だろうけれど、私とラスティならいくらでも練習の時間を捻出できる。同じ家に暮らしているというのはこういう時に便利だ。
「いい案だと思うわ」
「リン様まで、本気ですか?」
「ええ」
「ラスティになら、断られる心配もいりませんしね」
「……ひどいお嬢さんたちだ」
 ラスティは肩を落とすけれど、エリィが言ったように、ここから彼が断固拒否するということはまず有り得ない。恨みがましい目をしながらも、「分かりました」と言う。不承不承であっても受諾は受諾だ。
「ただ、それだったらオレ以外にももう一人欲しいです」
「もう一人?」
「二人でペアになって、組み手みたいな感じで……そういうダンスありませんか? オレの場合、対戦相手というか、目の前に対象があった方が覚えは早いと思うんですよ」
「そうねぇ……」
 私やエリィが教わってきたダンスにも、ペアで踊るものはある。しかしラスティが想像しているのはそういったものとはまた別だろう。恐らく、神事や祭りの際に踊られる剣舞などが近い。
「調べてみれば参考にできるものはあるのではないかしら。けれど『もう一人』の方にあてがないわ」
 私と一緒に舞台に上がることを嫌がらない人。それでいて、ラスティと相対しても見劣りしない身体能力のある人。まるで思い当たらない。
「いえ、そっちはオレに心当たりがあります」
「そうなの? どなた?」
「それは……まあ、引き受けてもらえたら紹介しますよ。ご安心ください、リン様やエリィ様が嫌がるような人じゃありませんから」
 言われずとも、ラスティの紹介だというなら全く心配はしていない。それはエリィも同じらしく、大人しくお茶のカップを傾けていた。
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