石冠ノ王

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記憶

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このような靄になる前の私はというと、美男子として名を馳せたかの在原業平をもってしても横に並び立つことをはばかるであろうこと請け合いの男前で、加えて大企業の出世コースを竹のごとく真っ直ぐ、それはもう真っ直ぐに突き進む勝ち組の中の勝ち組であった。

当然嘘である。

私の名は東雲歌仙。32歳。
この仰々しい字面を見た人々が「彼のものは天才か、奇才か」などと期待してしまう気持ちも理解できなくはないが、その実私は平凡だった。
親の和歌好きによってつけられたこの名前に学生の時分は随分苦しめられた。

ルックス、能力、その他諸々一切が平均的。歩んできた人生も平凡そのもの。
仕事から帰り缶ビールを一本。おつまみに柿ピー。目の前に置かれたパソコンにはブラックジョークたっぷりのB級映画。そんな些細な幸せを謳歌するサラリーマン。

それが私だ。

あの金曜の夜もまさにであった。
唯一、いつもと違う点をあげるとすれば、それは映画の途中で寝落ちをしてしまったという点である。
一度見始めた作品がどれだけ駄作でもエンドロールまで見きる。それが私のポリシーだ。

眠気や疲れを感じているのなら端から見ない。途中で見るのをやめない。寝ない。タイパなどという謎の呪文を吐いて再生速度をいじるような輩には東雲家一子相伝のドロップキックをお見舞いする。
私はそういう男だった。

にもかかわらず、私ともあろうものがあの日自らの体調を見誤り軽率にも映画の再生ボタンを押してしまったのはなにゆえか。今思えば金曜の夜特有の気の緩みからいつもよりハイペースで酒を煽ったのが全ての始まりだったのかもしれない。
そこから私の無防備な意識は疲労とアルコールに易々と蹂躙され、気づいたときには手遅れ。すでに私の瞼は鉛と化していた。そうなってしまえば後は抗いようもない。瞬きの時間が1秒、2秒と伸び、それにつれ紙一重で繋ぎ止めていた意識も陥落。終には、。

しかし、あの日は会議の資料をまとめるために朝早く出社し、そして夜も遅くまで残業をしていた。
もっと言うならば前日も、そのまた前日も、、あの1週間は毎日残業続きだったのだ。過酷な1週間を乗り切った金曜日の夜、少しくらい気が緩むのも仕方がないことではないか。

そんな誰が聞くでもない言い訳をツラツラと吐き出してはみたが、やはりあの日の私が迂闊であったことは認めざるを得ない。
何せ自らの体をこれほどまでに改造されようとも起きなかったのだ。ヒュプノスも裸足で逃げ出す快眠っぷりである。
犯人が誰かなど知る由もないが、その者からしてもかつてないほどに容易い犯行であったろうに思う。

「だが寝ている間にこんなことになるなど誰が想像できようか」と自分を擁護したくなるが、それは大いなる甘えに他ならない。

実際になっているのだから。

記憶が鮮明に思い起こせるという事実にひとまず安堵する。しかしどれだけ記憶を辿ろうともこの状況に行きつく答えは見つけられない。
そしてあの作品の結末をもう見ることができないのかと思うと、寝落ちをしてしまったことがなおのこと悔やまれる。
思考がぐるぐると巡るうち、映画を最後まで見られなかったという後悔の念も混ざり、それはいつしか排水溝に溜まった見るに堪えない汚れのようになって私の心にこびり付いた。

しかしそんな負の感情もこの期に及んでは原動力となる。
決意を固め今一度慣れぬ体に力を込めていく。

襲い来る倦怠感。
続けて正座をし続けたときのようなピリピリとした痛みが全身に走る。

その痛みに耐え、自分はやる時はやる男だと言う僅かばかりの自尊心でもって自らの限界を超えんとしたそのとき、

(、、、あふっ、。)

私の意識は途切れた。
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