春秋館 <一話完結型 連続小説>

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第三章 春

Order18. 手放された愛情

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 ログハウス造りの珈琲専門店『春秋館』。木目の壁に貼られた何枚もの海外写真。どこかの国で見た月と、星と……太陽と、海と、遺跡や古城、砂漠。
 無造作に歪んで貼り付けられた写真は、すべてここの若い店長がひとりで海を渡り、自分の足で歩いた土地を撮ってきたものばかりである。
 誰にも汚染させない彼の旅への想いがその一枚一枚に込められている。

 爽やかな五月が終わろうとしていた。
 店長こと青年は挽き立ての豆をネルフィルターに入れ、ゆっくりと湯を注ぐ。フィルターを通し、コポコポと香り高いコーヒーがサーバーへと落ちていた。
 コーヒー色に染まる穏やかな店内。『子犬のワルツ』が軽快に流れている。幻想的な空間を切り裂くような会話がお客の間で広がったのは、お昼時を過ぎた頃だった。

「知ってる? 駅のコインロッカーに赤ちゃんが入れられてたらしいわよ。今年に入って二回目ね、こんな事件」
「知ってる知ってる。まるで犬や猫を捨てるみたいに簡単に捨てるわよねぇ、現代いまの親って」
「ほんと。育てられないなら産まなきゃいいのよ。どういう神経してるのかしらねぇ」
 入口に一番近い四人掛けのテーブルには、常連の主婦三人組が座って、三面記事のネタで盛り上がっている。
「ねぇ店長、若いあんたならどう思う? どうせこの親もあんた位の年だと思うわよ。人事じゃないでしょ」
 よせばいいのに、主婦のひとりが青年に話題を振った。
「あぁ、そうですねぇ」
 青年はでき上がったコーヒーを白いカップに注ぎながら、しばらく考えている。黒髪と同じ色の瞳は相変わらず涼しく、シャープだ。
「可哀想だとは思わない? この赤ちゃん」
「そりゃあ思いますよ。硬いとこに入れられて痛かっただろうし、息苦しかっただろうなって」
「何言ってるのよ。それどころじゃないでしょ。捨てられてたのよ。本当に運命って
残酷よね。祝福されて生まれてくる子もいれば、こんな風に望まれずに生まれてくる子もいるんだから」
 青年はコーヒーを主婦の座る木目のテーブルに運びながら言う。
「誰だってごうを背負って生きていく訳だし。それが生まれた時に背負わされただけで、それについて〝可哀想〟だなんて思わないですよ。この世に生まれてきた事だけでものすごい奇跡ですからね」
「店長って、案外冷たいのね」
「子供はやっぱり親に育てられるべきじゃない?」
「そうよ。他人は所詮他人だもの」
「DNA鑑定でもして、絶対親を捜し出すべきだわ」
 主婦達の会話は尽きない。
 ピアノ弾きの少女は「彼らしい」とクスッと笑った。
 事件そのものを真正面から見て、「可哀想」「ひどい親だ」「子供に罪はないのに」と言うのは簡単である。でも、大概の人は、だからと言って何をする訳でもない。ほとんどがただの傍観者である。
 それはそれで自然な感想であり、また、何もできないのも当然の事である。でも、青年は軽々しくそんな言葉を使わない。上辺だけの言葉を嫌う人だから。できもしない事、目に見えただけの事を簡単に口にするのを最大嫌う人だから。そして口にするより行動する人だから。
 今回の事件に関しては、本当に可哀想とは思ってないのだろう。それ以上に、赤ちゃんが無事で良かった。生まれてきて良かった。親から手放されたとしても、違う道で幸せになって欲しい。そんな風に思っているのではないだろうか。
 何が幸せなんて、他人にはわからない。他人が決める事ではない。
 少女は、少しだけ青年の心が読めたような気がして満足だった。

 数日後の夕方、お客が引いたので少女が店の裏にゴミを捨てに行くと、「ミャオゥ」という鳴き声が断続的にどこからともなく聴こえてきた。まさかと思いつつ、隣のブティックとの間にある通路を覗いてみると、片手に乗りそうな程の小さな子猫が、心細気にダンボールの中で鳴いている。茶色いブチの猫は、生まれたばかりの子供のようだ。少女は目を丸くして瞬いた。
「……嘘でしょう?」

 少女に呼ばれ、青年も店の裏手に出て来た。少女はスカートの裾を気にしながらしゃがみ込み、両手に子猫を乗せると「どう見ても捨て猫よね」と青年を見上げて言った。
「ここが喫茶店ってわかって捨てたのかしら?」
「だとしたら明らかに選択ミスだね」
「店としては絶対に飼えないものね。でも、食べ物があると思ったんじゃない?」
「だからって」
「この間、あんな話をしてたから呼ばれて来たのかしら。でも本当に人間の赤ちゃんじゃなくて良かったわね」
 両手の中で前足を仕切りに舐めている子猫を見ながら、少女は少しだけ冗談めかして言う。
「お客さんと同じ事言わないの」
「え、何が?」
 少女は驚いて、子猫を抱いたまま立ち上がった。
「まるで犬や猫を捨てるみたいに簡単に捨てるねって言っただろ。犬や猫みたいにって」
「あ……」
「犬や猫は簡単に捨てていいと思う?」
「……ごめんなさい」
 少女は、自分の発言が恥ずかしくて俯いたが、上目遣いに彼の目を伺い見た。青年の表情に、少女に対する怒りはなかった。だけど、うっかりと煙草を切らしてしまった時……もしかして自分を責める時、こんな顔をするのかもしれない。
「あの、お店のミルクを少しあげてもいい? この子、お腹が空いてるかもしれないから」
「構わないよ。だけど、君は責任持って面倒を見れる? 気まぐれに食べ物を与えても、自己満足に過ぎないよ」
「……それは……」
 少女の家はペット禁止のマンションだ。飼う事はできない。
「一度食べ物を与えるなら、最後まで責任を持って面倒見なきゃいけない。期待させられて裏切られる位なら、最初からひとりの方がよっぽどいい」
 いつになく厳しい青年の言葉。何もそこまで……と少女は思ったが、だけど確かにその通りかもしれない。子猫に限らず、人間の子供だってそうだ。中途半端に愛情を注いで繋ぎ止めるくらいなら、いっそ最初から手放す方がいいかもしれない。

〝最初からひとりの方がよっぽどいい〟

 青年の言葉は、少女の心を貫いた。随分以前に、青年の生い立ちを聴いた事がある。夫とまだ子供だった息子である青年を捨て、他の誰かと消えた母親。そしてそれっきり一度たりとも青年の前に姿を現した事はないと言う。
 青年はきっと、母親をうらんではいない。世間に無責任と言われようが、母親には母親の幸せを追求する権利があると知っているから。会いたい時だけ都合良く会いに来られる方がよほど彼女を憎んだ事だろう。
 期待をかけさせる事の方がよほど罪であるという事。青年はきっとそう思っているのだろう。

「大丈夫。きっとわたしが飼い主を探してみせるから。それまで、責任持って面倒見るわ」
 少女はそう言ったが、毎日ここに来られる訳ではない。飼い主が見つかるまで、時には青年にもエサを与えて貰わないといけない時もあるだろう。それは飲食店の店長としては負担に違いない。もし自分がいない時に猫が大通りに飛び出し車に轢かれても、少女は責任を取れない。
〈だからと言って、保健所に電話する事なんてもっとできない……わたしは無責任な事を言っているのだろうか〉
 長い髪が五月の風に煽られ、自分の顔を青年から隠してくれた事に感謝した。
 もう彼の顔を見る事ができないと思ったから。
 彼の心が読めたと思ったのは思い上がりだったのかもしれない。
 もしかすると赤ちゃんを……そしてこの子猫を置き去りにした誰か以上に、無責任な傍観者を彼は憎んでいるのかもしれない。言葉にはしないけど。それとも、もっと他の何かに対して怒りを感じてるの?
 青年の心の内が読めず、少女はただ黙って子猫の頭をなでる事しかできなかった……。
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