春秋館 <一話完結型 連続小説>

uta

文字の大きさ
31 / 35
第四章 秋

Order27. 黄金色の季節

しおりを挟む
 大通りへと続く細い道に連なるプラタナスは、少しずつ色づき始めている。店の外を走り抜ける風はもうすっかり秋色で、コーヒーの香りによく似合う季節へと移っていた。

「お帰り、店長。無事帰って来れたのね」
「今年の夏は楽しかったわよ。マスターに負けじと、家族でハワイに行って来たの!」
「ふぅん。オレは何とかランドっていうテーマパークに家族サービスで連れて行かれたけど、疲れに行ったようなもんだったよ」
「うちは受験生がいるから大変だったわぁ。ずっと家にいるから気遣って気遣って」
 賑やかな午後。再び活気付き始めた店内。若い店長こと青年は、カウンターの中から夏季休業前と変わらぬ笑顔でお客の話を聴いている。
 ピアノ弾きの少女はホッとしていた。青年が無事に帰って来た事に、安堵していた。秋の営業は短い。すぐに冬が来る。だけどしばしの安らぎの時間に、少女は浸る事にした。
「オレは先週法事がひと段落してほっとしたとこだよ」
 いつもは、入って来るなり青年の向かいを陣取り、他愛ない話で盛り上がっている白髪頭のヤスさんが、めずらしくトーンを落とした声で言った。
「何よ、ヤスさん。暗いじゃない」
「法事って、誰のだい?」
 カウンターやテーブル席に座っている常連客が、一斉にヤスさんを振り返る。
「ばばぁだよ。去年七十五で逝ったオレの母親の一周忌だ」
 ヤスさんは、コーヒーカップを持て余すように、まるでワイングラスのようにくるくると回している。
「そうか。あれからもう一年も経つんですね」
 青年が一年前を想い出すように呟いた。
「あぁ。心臓発作でコロンと逝っちまいやがった。なんの前触れもなく。全く、こっちの心の準備も何もできてないってのに」
 ピアノを弾きながら、少女も一年前の事を想い出していた。
 そう言えば、そんな事があったっけ。ヤスさん、顔面蒼白でお店に飛び込んで来て……。
 偶然にも、少女の手から流れているのは、ショパンのエチュード『別れの曲』だった。

「じゃあね、店長。また来るわ」
「またよろしく」
 常連客数人が、一通りの話を終えて席を立って行く。ヤスさんは二杯目のブレンドをお替りすると、大きく息をついた。やっぱりいつになく元気がないようだ。
「なぁ、店長。お前さんはどう思う? 人の死ってもんに対して。オレはこの年になっても未だ受け入れられる死と受け入れられない死とがあるって思ってるんだ。ばかげてるのかな」
 青年の父親は、もうとっくに亡くなったと聴いた事がある。親戚付き合いもない彼は、文字通り天涯孤独の身なのだ。そんな彼が、人の死についてどんな考えを持っているのだろう。
「自分の生まれた場所に帰るって事かな……」
 青年が、ぼそりと呟く。
「人は地球上での修行を終えたら、仮の姿を返して元の姿……魂ってものに還るとしたら。そして、魂の住む本来の場所に帰って行く。例えばそんな考えはどうですか?」
「何のために地球に下りてくるんだい? 何のための修行なんだい?」
「親が子供を修行に出すのと同じで、いわゆる神ってものが存在するなら、彼らが創造した魂を下界に修行に出してるって感じですかね。人間の親と違って、その代わり一切手出しはしない。どんな人生を歩もうが、彼らはただ観てるだけなんですけどね。ものすごい愛情で」
「大きな目で見たらそうなのかもしんねぇな。でも、実際直面するのは下界に残ってる人間だからな。そんな神の意思なんか何の救いにもならねぇな」
「確かにそうですね。亡くなった後に苦しい想いをするのは、残された人ばかりですから。それもまた修行の一環なのかなって思いますけど」
「突然逝っちまいやがったから、何も言えず仕舞いだよ。五十年以上世話になってきたのに、結局何も礼のひとつも言えないまま、終わっちまった。人生ってそんなもんかよ。映画みたいに、感動的な終わり方を迎えるわけにはいかねぇのかよ」
 ヤスさんは自分の運命に対して自嘲気味に言う。
「僕も、昔父を事故で亡くしたんですが、やっぱり同じ事を思いましたよ」
「店長の親父さんがかい?」
「ええ。それこそ突然だったから、何も言えないまま終わってしまいました。僕はまだまだ恩返しできるような年齢じゃなかったですからね。でも、僕が今ここにいて色んな人に出逢えるのは、あの人がいたからだし。言葉で伝えられなくても、ずっと感謝しています。僕の命が終わる時まで」
「そうか……」
 ヤスさんは、二杯目のコーヒーを二口喉に流し込む。
「店長の親父さんじゃ、随分若いまま逝っちまって、不憫だったろうなぁ。息子ひとり残して」
「さぁね。酒の好きな人だったんで、今頃上で煽ってるんじゃないかな。誰の注意も受ける事ないし」
 青年は笑った。

 わかっているはずだ。青年は、「神が」とか「修行だから」とか言ってるけど、ヤスさんの言う通り、残された者の辛さには変わりがない。
 だけど、命を終えたらそれで終わりだと思ってしまえば辛いけど、まだ次の世界がある。いつか行くはずの自分を待っている人が住む世界がこの宇宙のどこかにある。そう思えば、ほんの少しでも痛みが和らぐかもしれない。だから、そんな話をしたんだろう。
 少女はそう思った。
 ヤスさんはカウンターに頬杖をつくと、何もないお店の天井の隅っこをしきりに見つめながら言った。
「ばばぁがさ……オレを呼んでるような気がしてならないんだよ。親父はとっくに逝っちまって、向こうで会えたのかどうか知らないけど、もしか親父がばばぁを待たずに生まれ変わってたら、ばばぁ今頃ひとりでいるのかなと思ったらさ……」
「そんな、縁起でもない……」
 思わず少女は手を止め、口を挟んだ。
「……ま、急ぐ必要はないけどな」
 ヤスさんはコーヒーを飲み干すと、小銭を置いて席を立った。
「すまんな。つまらない話しちまって。せっかくあんたが帰って来たってのに、湿っぽくなっちまったな」
「いえ。僕もヤスさんに一番に会いたかったですから」
「そっか。それはありがたいな」
 ヤスさんは照れたように笑うと、右手を上げて出て行った。

「いくつになっても、男の人にとって母親って特別なのね」
 言ってすぐに後悔するのは、少女の長所であり短所である。彼の母親はもう新しい人生を歩んでいて、今じゃどこに住んでいるのかもお互い知らないと聴いた事があった。
「男だけに限らないでしょ。女の人にとってもそうじゃない。母親って。多分だけど」
 青年は口を片方持ち上げると、洗い物を始めた。
「ヤスさんて、本当にあなたの事大好きなのね……」
「え、何か言った?」
 青年が顔を上げて訊き返してきたが、少女は肩を竦めながら首を振ると、硬い鍵盤に指を置き、『別れの曲』を再び弾き始めた。

 ガラス窓の外、プラタナスの葉がまた一枚色づいていく。温かな仲間達の元を離れ、冷たいコンクリートへと舞い降りる日は刻一刻と近づいているのだ。
 短い黄金色の季節がやってくる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

処理中です...