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学校での生活と「ただいま」
しおりを挟む学校でのルールは、ただ一つ。「絶対に、他人のフリをする」。
俺は、橘に言われた通り、細心の注意を払って学校生活を送っていた。
橘圭吾がいる一年生の教室があるフロアには、できるだけ近づかない。移動教室で近くを通る時も、決して彼の教室を覗いたりしない。彼の名前が会話に出ても、興味のないフリを貫く。
「ねえ、聞いた? 今日の橘くんも、マジ王子様じゃなかった?」
「わかるー! 廊下で目が合っちゃったんだけど、にこって笑ってくれて! 死ぬかと思った!」
昼休み。クラスの女子たちが、興奮気味にそんな会話をしているのが聞こえてくる。
俺は弁当の唐揚げを口に運びながら、心の中でだけツッコミを入れた。
(そいつ、家では寝癖だらけで、俺が起こさないと起きれないポンコツだけどな…)
そんなことを考えていると、なんだかおかしくなってきて、少しだけ笑ってしまった。
その日の放課後。
俺が廊下を歩いていると、前方にひときわ大きな人だかりができているのが見えた。その中心にいるのは、言うまでもなく橘圭吾だった。
彼は、数人の女子生徒に囲まれ、完璧なアイドルスマイルを振りまいている。一つ一つの質問に丁寧に答え、時折、髪をかき上げる仕草をするだけで、女子たちから黄色い悲鳴が上がる。
家での彼とは、まるで別人だ。
プロのアイドル、橘圭吾。
ステージの上だけではなく、学校という日常の舞台でも、彼は完璧な「王子様」を演じきっている。
俺は、彼らとは住む世界が違うのだと、改めて思い知らされた。
そっと、その場を離れようとした、その時だった。
ふと、橘と目が合った。
女子たちの会話に笑顔で相槌を打ちながら、その瞳は、一瞬だけ、確かに俺を捉えた。
俺は心臓が跳ねるのを感じ、慌てて視線を逸らす。ルール通り、知らないフリ。すぐに背を向けて、その場を足早に立ち去った。
ほんの数秒の出来事。
だけど、彼の視線が、やけに頭に焼き付いて離れなかった。
先に家に帰り、夕食の準備を始める。
今日のメニューは、野菜たっぷりのカレーライスだ。コトコトと鍋を煮込んでいると、ガチャリ、と玄関のドアが開く音がした。
「…ただいまです」
聞こえてきたのは、少しだけ疲れた声だった。
リビングに顔を出したのは、制服を着崩した橘だった。学校でのキラキラしたオーラはすっかり消え、どこか気だるげな雰囲気をまとっている。
「おかえりなさい。お疲れ様」
俺がエプロン姿のままそう言うと、橘は少しだけ驚いたように目を見開き、そして、ふっと表情を緩めた。
「…はい。ただいま、先輩」
その顔は、学校の王子様でも、テレビの中のアイドルでもない。
ただの、腹を空かせた高校一年生の顔をしていた。
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