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生活能力0のギャップ
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橘圭吾との奇妙な共同生活が始まって、一ヶ月が過ぎた。
あれだけ非現実的だと思っていた毎日も、繰り返されるうちにすっかり俺の日常として馴染んでいた。
朝五時半に起き、完璧な和朝食を用意し、時間ギリギリまで爆睡している圭吾を叩き起こす。
嵐のように朝食をかきこみ、アイドルスマイルを貼り付けた圭吾を叩き出すように送り出す。
それが、俺の朝のルーティン。
学校では、徹底して「他人」を演じる。
廊下ですれ違っても、決して視線は合わせない。
女子たちが彼の話題で盛り上がっていても、興味のないフリで耳を塞ぐ。
家に帰れば、疲れた顔の彼を「おかえりなさい」と迎え、温かい夕食を用意する。それが、俺の昼と夜のルーティン。
最初は、とてつもない緊張とストレスだった。
だけど、人間の適応能力とは大したもので、今ではそれも当たり前の風景になっていた。
そして、この一ヶ月で俺が学んだ、最も重要なこと。
それは――。
「うわあああ!せんぱーい!助けてください、泡が、泡が溢れてきますぅ!」
「またかよ!だから洗剤はキャップ一杯って言っただろ!」
リビングに響き渡る、圭吾の情けない悲鳴。
俺は盛大にため息をつくと、読んでいた文庫本をテーブルに置き、のっしのっしと洗面所へ向かった。
そう。俺がこの一ヶ月で学んだこと。
それは、国民的アイドル・橘圭吾は、神が与え給うた完璧な容姿と引き換えに、人間として生きていく上で必須であるはずの「生活能力」というものを、そのへその緒と一緒にどこかへ置いてきてしまった、究極のポンコツ男子である、ということだ。
洗面所のドアを開けると、そこは地獄絵図だった。
最新式のドラム式洗濯機から、おびただしい量の泡がぶくぶくと溢れ出し、床一面が泡の海と化している。その中心で、圭吾はただオロオロと立ち尽くしていた。
「だって…洗濯物がいっぱいだったから、洗剤もいっぱい入れたほうがキレイになるかなって…」
「なるか!説明書読めって言ったよな!?」
「字がいっぱいで、眠くなっちゃうんですもん…」
口を尖らせて言い訳する姿は、とても高校生とは思えない。大きな体をした、駄々っ子そのものだ。
俺はもう一度、天を仰ぐほど深いため息をつくと、腕まくりをして泡の海へと足を踏み入れた。
「いいか、よく見とけ。まず運転を停止して、排水。それからこの泡を全部片付けるんだ。手伝えよ」
「は、はいぃ…」
二人掛かりで、床に溢れた泡を雑巾で拭き取っていく。圭吾は言われた通りに動くものの、その手付きは驚くほどおぼつかない。雑巾の絞り方すら、なっていない。
「まったく…これでよく今まで一人で生きてこれたな…」
「桜井先輩が来るまでは、洗濯は全部クリーニングに出してましたから…」
「金持ちめ…」
「でも、先輩が洗ってくれたTシャツのほうが、なんか太陽の匂いがして好きです」
「…っ!」
不意打ちで、そんなことを言う。
泡まみれの手で、無垢な瞳をこちらに向けて、当たり前のように。
心臓が、きゅっと掴まれたような音を立てる。俺はそれを誤魔化すように、わざとぶっきらぼうに言った。
「うるさい!それより、靴下!また裏返しのまま入れてるだろ!ちゃんと直してから入れろって、いつも言ってるよな!」
「えぇー、だって、脱いだままの形で入れたほうが楽じゃないですかぁ」
「こっちの手間を考えろ、手間を!」
こんなやり取りも、今や日常茶飯事だ。
最初のうちは、「雇い主になんて口を…」と遠慮もあった。だが、彼のあまりのポンコツぶりに、そんな遠慮はとっくの昔に消え失せた。今では、年の離れた手のかかる弟が一人増えたような気分だ。
あれだけ非現実的だと思っていた毎日も、繰り返されるうちにすっかり俺の日常として馴染んでいた。
朝五時半に起き、完璧な和朝食を用意し、時間ギリギリまで爆睡している圭吾を叩き起こす。
嵐のように朝食をかきこみ、アイドルスマイルを貼り付けた圭吾を叩き出すように送り出す。
それが、俺の朝のルーティン。
学校では、徹底して「他人」を演じる。
廊下ですれ違っても、決して視線は合わせない。
女子たちが彼の話題で盛り上がっていても、興味のないフリで耳を塞ぐ。
家に帰れば、疲れた顔の彼を「おかえりなさい」と迎え、温かい夕食を用意する。それが、俺の昼と夜のルーティン。
最初は、とてつもない緊張とストレスだった。
だけど、人間の適応能力とは大したもので、今ではそれも当たり前の風景になっていた。
そして、この一ヶ月で俺が学んだ、最も重要なこと。
それは――。
「うわあああ!せんぱーい!助けてください、泡が、泡が溢れてきますぅ!」
「またかよ!だから洗剤はキャップ一杯って言っただろ!」
リビングに響き渡る、圭吾の情けない悲鳴。
俺は盛大にため息をつくと、読んでいた文庫本をテーブルに置き、のっしのっしと洗面所へ向かった。
そう。俺がこの一ヶ月で学んだこと。
それは、国民的アイドル・橘圭吾は、神が与え給うた完璧な容姿と引き換えに、人間として生きていく上で必須であるはずの「生活能力」というものを、そのへその緒と一緒にどこかへ置いてきてしまった、究極のポンコツ男子である、ということだ。
洗面所のドアを開けると、そこは地獄絵図だった。
最新式のドラム式洗濯機から、おびただしい量の泡がぶくぶくと溢れ出し、床一面が泡の海と化している。その中心で、圭吾はただオロオロと立ち尽くしていた。
「だって…洗濯物がいっぱいだったから、洗剤もいっぱい入れたほうがキレイになるかなって…」
「なるか!説明書読めって言ったよな!?」
「字がいっぱいで、眠くなっちゃうんですもん…」
口を尖らせて言い訳する姿は、とても高校生とは思えない。大きな体をした、駄々っ子そのものだ。
俺はもう一度、天を仰ぐほど深いため息をつくと、腕まくりをして泡の海へと足を踏み入れた。
「いいか、よく見とけ。まず運転を停止して、排水。それからこの泡を全部片付けるんだ。手伝えよ」
「は、はいぃ…」
二人掛かりで、床に溢れた泡を雑巾で拭き取っていく。圭吾は言われた通りに動くものの、その手付きは驚くほどおぼつかない。雑巾の絞り方すら、なっていない。
「まったく…これでよく今まで一人で生きてこれたな…」
「桜井先輩が来るまでは、洗濯は全部クリーニングに出してましたから…」
「金持ちめ…」
「でも、先輩が洗ってくれたTシャツのほうが、なんか太陽の匂いがして好きです」
「…っ!」
不意打ちで、そんなことを言う。
泡まみれの手で、無垢な瞳をこちらに向けて、当たり前のように。
心臓が、きゅっと掴まれたような音を立てる。俺はそれを誤魔化すように、わざとぶっきらぼうに言った。
「うるさい!それより、靴下!また裏返しのまま入れてるだろ!ちゃんと直してから入れろって、いつも言ってるよな!」
「えぇー、だって、脱いだままの形で入れたほうが楽じゃないですかぁ」
「こっちの手間を考えろ、手間を!」
こんなやり取りも、今や日常茶飯事だ。
最初のうちは、「雇い主になんて口を…」と遠慮もあった。だが、彼のあまりのポンコツぶりに、そんな遠慮はとっくの昔に消え失せた。今では、年の離れた手のかかる弟が一人増えたような気分だ。
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