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第5話:観察の眼
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その翌朝、道場では早くから稽古が始まっていた。
カイザは中央で離れの縁側に腰を下ろし、湯気の立つ湯を口に含みながら静かにそれを見つめていた。
「……なるほど。基礎は徹底されているな。だが、まだまだ甘い」
木刀の打ち合い、気合の声、足の運び。
そのすべてを、彼はまるで図面でも読むかのように冷静に観察していた。
特に目についたのは、ユウの“構えのクセ”と、アイリの“間の取り方”。
そしてそれらを指導する、女師範・キサラの立ち居振る舞い。
――悪くない。だが、堅い。
「“義”と“責任”に縛られた女は、案外、崩しやすいんだよな……」
カイザは目を細める。
キサラは厳格で冷静な女だった。
女手一つで道場を守り、娘を育て、道理を何よりも尊ぶ。
門下生からの信頼も厚く、その背中は確かに“誰かの指標”として存在していた。
だが、だからこそ――
「(壊しがいがある)」
カイザの本心は、そこにあった。
「(娘を操れば、母も揺らぐ。だが……母から堕としていくのも面白いな)」
肉体的な魅力もだが、“精神の中枢”としてのキサラ。
長年守ってきたものを、自らの意志で手放させる。
その瞬間を想像し、カイザはわずかに口元をゆがめた。
「カイザさん」
ふいに声がした。
そこにいたのは、まさにそのキサラだった。
道着姿のまま、汗もぬぐわずにこちらを見下ろしていた。
「稽古を見て、何か感じたことがありますか?」
まさか、彼女のほうから話しかけてくるとは思わなかった。
だが、カイザは即座に柔らかい笑みを作る。
「率直に申し上げれば、非常に良い流派だと感じました。無駄がなく、教えが芯をとらえている」
「……歯の浮くような言葉は必要ありません。何か思う事がある顔をしていましたよね?」
「……御見通しですね」
カイザは静かに笑った。
「構えは完璧でも、誰かを守るという目的が明確な者は、往々にして技の選択が甘くなる。つまり、自分を殺してでも他者を守る癖が、命取りになることがある」
キサラの目が細められる。
その表情の奥に、わずかな“動揺”をカイザは見逃さなかった。
(……ああ、いい目だ)
「旅人とは思えない分析ですね。あなたはどこで武を修めたのですか?」
「……さて。それを言うには、私はまだここに“滞在を許されて”いない身ですので」
カイザはゆっくりと頭を下げる。
キサラは短く息をついて、その場を離れようとした。
「キサラさん。良かったら私に手合わせをさせていただけませんか?」
「その上で、もし私が勝利できたなら……もう数日だけ、この場に滞在する許可を頂けないでしょうか」
その言葉に、空気が変わった。
「なっ……なに言ってんだ?」
「師範に勝てるわけがないよ!」
門下生たちのざわめきをよそに、キサラは静かに目を細める。
「……そのような申し出をされるということは、相応の覚悟と自信がおありのようですね」
「お恥ずかしながら、己の力には、それなりの理解があります」
「……よろしいでしょう。では、お相手いたします」
キサラは背を向け、道場の中心へと歩き出す。
「使用する技は制限いたしません。いずれか一方が制圧されたと判断された時点で、勝負は終了とします。よろしいですか?」
「承知いたしました」
門下生たちが次々と稽古を止め、場外へ下がる。
キサラとカイザが道場の中央で向かい合った。
真剣勝負。
だが、それはこの道場の運命に静かに食い込む、カイザの最初の侵攻だった。
――気配が止まる。
キサラの突きが放たれた瞬間、ライの身体は滑るように懐へ入っていた。
その動きには力も威圧もない。だが完璧に、“重心の意志”だけを奪っていた。
次の瞬間、キサラの膝が、静かに地を打った。
「……っ」
道場が、静まり返った。
師範が敗れた。
それも、あっさりと。
キサラは息を整え、ゆっくりと立ち上がる。
そして、微かに目を細めたまま告げる。
「……見事です、ライ殿。お約束通り、数日間、滞在をお許しいたします。
ただし、いかなる理由があろうとも、道場の規律を乱さぬこと――よろしいですね?」
「はい。心より、感謝申し上げます」
ライは深く頭を下げた。
だがその目は、すでに次の獲物をとらえ始めていた。
(キサラ――“強さ”に忠実な女。だが、守るべきものが多すぎる女。崩すには、最高の素材だ)
その夜。
カイザは縁側で酒を飲みながら静かに呟いた。
「今日の勝負を見て俺に尊敬と好意の目を向けた者が何人かいたな。もう俺の異能である共感支配の浸食は始まっている。くっくっく」
月が昇り、風が冷たく吹き抜ける。
その風は、確実に道場の空気を変えていた。
「……娘と母、どちらが先に堕ちるかな。実に楽しみだ」
侵食は、静かに始まったことにまだ誰も気づいていない。
カイザは中央で離れの縁側に腰を下ろし、湯気の立つ湯を口に含みながら静かにそれを見つめていた。
「……なるほど。基礎は徹底されているな。だが、まだまだ甘い」
木刀の打ち合い、気合の声、足の運び。
そのすべてを、彼はまるで図面でも読むかのように冷静に観察していた。
特に目についたのは、ユウの“構えのクセ”と、アイリの“間の取り方”。
そしてそれらを指導する、女師範・キサラの立ち居振る舞い。
――悪くない。だが、堅い。
「“義”と“責任”に縛られた女は、案外、崩しやすいんだよな……」
カイザは目を細める。
キサラは厳格で冷静な女だった。
女手一つで道場を守り、娘を育て、道理を何よりも尊ぶ。
門下生からの信頼も厚く、その背中は確かに“誰かの指標”として存在していた。
だが、だからこそ――
「(壊しがいがある)」
カイザの本心は、そこにあった。
「(娘を操れば、母も揺らぐ。だが……母から堕としていくのも面白いな)」
肉体的な魅力もだが、“精神の中枢”としてのキサラ。
長年守ってきたものを、自らの意志で手放させる。
その瞬間を想像し、カイザはわずかに口元をゆがめた。
「カイザさん」
ふいに声がした。
そこにいたのは、まさにそのキサラだった。
道着姿のまま、汗もぬぐわずにこちらを見下ろしていた。
「稽古を見て、何か感じたことがありますか?」
まさか、彼女のほうから話しかけてくるとは思わなかった。
だが、カイザは即座に柔らかい笑みを作る。
「率直に申し上げれば、非常に良い流派だと感じました。無駄がなく、教えが芯をとらえている」
「……歯の浮くような言葉は必要ありません。何か思う事がある顔をしていましたよね?」
「……御見通しですね」
カイザは静かに笑った。
「構えは完璧でも、誰かを守るという目的が明確な者は、往々にして技の選択が甘くなる。つまり、自分を殺してでも他者を守る癖が、命取りになることがある」
キサラの目が細められる。
その表情の奥に、わずかな“動揺”をカイザは見逃さなかった。
(……ああ、いい目だ)
「旅人とは思えない分析ですね。あなたはどこで武を修めたのですか?」
「……さて。それを言うには、私はまだここに“滞在を許されて”いない身ですので」
カイザはゆっくりと頭を下げる。
キサラは短く息をついて、その場を離れようとした。
「キサラさん。良かったら私に手合わせをさせていただけませんか?」
「その上で、もし私が勝利できたなら……もう数日だけ、この場に滞在する許可を頂けないでしょうか」
その言葉に、空気が変わった。
「なっ……なに言ってんだ?」
「師範に勝てるわけがないよ!」
門下生たちのざわめきをよそに、キサラは静かに目を細める。
「……そのような申し出をされるということは、相応の覚悟と自信がおありのようですね」
「お恥ずかしながら、己の力には、それなりの理解があります」
「……よろしいでしょう。では、お相手いたします」
キサラは背を向け、道場の中心へと歩き出す。
「使用する技は制限いたしません。いずれか一方が制圧されたと判断された時点で、勝負は終了とします。よろしいですか?」
「承知いたしました」
門下生たちが次々と稽古を止め、場外へ下がる。
キサラとカイザが道場の中央で向かい合った。
真剣勝負。
だが、それはこの道場の運命に静かに食い込む、カイザの最初の侵攻だった。
――気配が止まる。
キサラの突きが放たれた瞬間、ライの身体は滑るように懐へ入っていた。
その動きには力も威圧もない。だが完璧に、“重心の意志”だけを奪っていた。
次の瞬間、キサラの膝が、静かに地を打った。
「……っ」
道場が、静まり返った。
師範が敗れた。
それも、あっさりと。
キサラは息を整え、ゆっくりと立ち上がる。
そして、微かに目を細めたまま告げる。
「……見事です、ライ殿。お約束通り、数日間、滞在をお許しいたします。
ただし、いかなる理由があろうとも、道場の規律を乱さぬこと――よろしいですね?」
「はい。心より、感謝申し上げます」
ライは深く頭を下げた。
だがその目は、すでに次の獲物をとらえ始めていた。
(キサラ――“強さ”に忠実な女。だが、守るべきものが多すぎる女。崩すには、最高の素材だ)
その夜。
カイザは縁側で酒を飲みながら静かに呟いた。
「今日の勝負を見て俺に尊敬と好意の目を向けた者が何人かいたな。もう俺の異能である共感支配の浸食は始まっている。くっくっく」
月が昇り、風が冷たく吹き抜ける。
その風は、確実に道場の空気を変えていた。
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