マルタン王国の魔女祭

カナリア55

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マルタン王国

愛しているからこそ

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  嵐が去った後のような控室は、重い空気に包まれていた。
 その場にいた全員が、ひどく疲れていた。
 式典は開始間近でそろそろ移動をしなければいけなかったが、侍従達も声をかけて良いのかわからず戸惑っているなか、

「フェル、ごめんなさい」

 沈黙を破ったのはエリスだった。

「わたし、自分の立場を忘れていたわ」
「いや! 俺の方こそ悪かった。あんなこと、思っているわけじゃないんだ。でも、あそこではああ言うしか……」
「ええ、わかっているわ。だからこそ……貴方にあんな事を言わせてしまって、ごめんなさい」

 謝罪し、エリスはフェリックスの手を握った。

「一年前、この国に来た時は、処刑されるものだと思っていたわ。でも、貴方が愛してくれたから、わたしは救われた。そして、わたしを大切にしてくれたから、わたしは自分が賠償金の一部としてこの国に来たことを忘れて暮らしてきたわ。なんの不自由もなく、ガルシアにいた頃よりも幸せに。貴方が、そうしてくれていたのよね」

 全ての望みを捨て、馬車に揺られた数日間。
 罵倒を浴びせられると思いながら歩いた王宮までの道。

『どのような扱いを受け、どのように殺されるのか。あまり苦痛の時間が長くなければいいけれど』
 
 そう願いながら新王の前に頭を垂れたあの時。

「……全部がもう、何年も前の事のように思えるわ。あの時感じた恐怖や絶望はもう思い出せないほどだわ」
「……エリスは、もうたくさん辛い目にあったのだから、今後はもう、嫌な思いをして欲しくないんだ。さっき姉として謝った君の意図はわかる。式典前に揉め事を起こしたくなかったのだろう? 自分が謝ってこの場を治める事ができるのなら、それでいいと思ったのだろう?」

 頷くエリス。

「昨日も言ったが、君は自分が我慢すればいいと思い過ぎる。だが俺は、それが嫌なんだ。ローラだって同じ気持ちだっただろう」

 フェリックスの言葉に、ローラがコクコクと頷く。

「俺は、エリスを傷つけるものは全て排除したい。『血筋が悪い王』と言われるよりも、君があんな奴らの為に頭を下げる方がずっと腹立たしい。戦争をしてもいいと思うほどだ」
「フェル!?」

 驚いたように声を上げたエリスに、フェリックスは首を横に振った。

「わかってる。それは、エリスが望まない事だ。戦争なんてすれば多くの人間が死ぬし、国も荒れる。せっかくエリスが尽力してくれたおかげで豊かになってきた民の暮らしも、普及してきた教育も、あっという間に悪くなってしまう。だから、我慢はする。だが、わかっていて欲しい。エリスが自分を犠牲にしても守りたいと思うように、俺もエリスの事を守りたいのだと」
「フェル……」

 潤んだ目で、エリスはフェリックスを見た。

「ええ……ごめんなさい。わたしはまだ、ガルシア帝国にいた頃の自分を引きずっていたのね。あの二人では、どうにも収拾できないだろうから、わたしが事を治めなければ、と思ってしまっていたんだわ。そして、それが貴方の為になると思い込んでいた……」
「いや、俺もわかってはいるんだ。俺の為に、場を治めようとしたということは。ただ……うん、まあ、もういいか」

 何度も同じ事を繰り返してしまう、と、フェリックスは苦笑し、言葉を終わらせた。
 そして、エリスの耳の上のあたりを、結い上げた髪の流れにそって軽く撫でた。

「エリス……すごく、綺麗だ。品の良いドレスが、本当に似合っている。俺の案は使われなかったけど、結果的には良かったかもな」

『こんな感じ、どうかな!』と次々に出してくるフェリックスのデザインは全て却下し、エリスと王室の衣装係との綿密な打ち合わせのもと、フェリックスの正装とエリスのドレスは作られた。
『フェリックス様のセンスはこう……斬新すぎて私共には再現できないかと……』
 などとうまい具合にフェリックスの意見を切り捨て続けた衣装長に感謝しながら、エリスは『ええ、まあ』と言葉を濁しつつ、ニッコリと笑った。

「フェルも、とっても素敵だわ。フェルの瞳と同じ、美しい紫ができて本当に良かった」

 エリスの物より一段濃く染められた布で作られたフェリックスの衣装の出来は、本当に素晴らしいものだった。

「エリス……」

 フェリックスはエリスの頬を撫で、ゆっくりと顔を近づけ、それを見てエリスは、そっと目を閉じた。

『ああ……昨日は、うまく口づけをしなきゃ、なんて思うばかりだったけど……こういう事なんだな。形式的な事じゃない。愛おしくてたまらなくて、唇を重ねたいと思うんだ……』

 そうして、もう、エリスの花びらのような可愛らしい唇が見えないほど近くなり、フェリックスも目を閉じたのだが、

「えっ?」

 突然エリスの頬にあてていた手が払われた。
 驚いて目を開けるとそこには、エリスの体を引き、二人の間に割って入っているローラの姿があった。
 
「え? えーっと……?」
「口づけはダメです! エリス様の口紅が薄くなります!」

 臆する事なく、ローラはきっぱりと言った。

「まあ、薄くなるだけでしたら対処のしようがありますが、もし滲んでしまったりして肌についたら、簡単には直せないです! 肌についた部分を拭いて、その部分におしろいをつけても、他の部分と差ができてしまったりするんです。もう一度最初からお化粧をし直す時間なんてありません!」

 そう言うと、先ほどフェリックスが触れた頬や髪の部分を、汚いものが触れたかのようにブラシで払ったり撫でつけたりし……、

「さあエリス様、参りましょう。わたくし共は、フェリックス様より先に会場に入って待機しておりませんと」
「そ、そうですわね。ご来賓の方々も、エリス様の姿がないと不審に思いますわ。お義母様も、参りましょう」
「そうね、そうしましょう」

 女性達が慌ただしくエリスを取り囲む。

「あー……と、いうことだから……」

 すまなそうに笑いながら、エリスはスッと背筋をのばして言った。

「一番いい場所で、陛下のお姿を拝見させていただきますわ」
「ああ、そうしてくれ。ご婦人方、我が最愛の妻の付き添いを頼んだぞ」

 エリスを囲む三名の女性が『かしこまりました』と深くお辞儀し、エリスを会場へといざなって行った。

「えー……陛下、私の妻が……申し訳ございません」
「フッ、フフッ、いいさ、トマ、気にするな。ローラらしいじゃないか。さあ、お前達も行け。そして会場で、主役である私の登場を待て」
「はっ!」

 急ぎ、大股で女性達の後を追う側近達を見送り、フェリックスは侍従に囲まれて、悠々と会場へと向かった。

 
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